第93話 執行前夜
のび太の結婚前夜みたいなサブタイトル
その後もアルフレッドはアレンを殴り続けた。彼の両手は鮮血で真っ赤に染まり、アレンの顔はいよいよ誰か分からない程にひどく腫れ上がった。あまりに凄惨な光景に血生臭いことには慣れているはずの兵士たちでさえ、顔をしかめる程だった。
「ハァ……ハァ……」
アルフレッドは荒い息を吐きながら、拳にまとわりついた血を拭った。一方のアレンは床に伏したまま、ピクリとも動かない。勇者はアルフレッドに尋ねる。
「死んだのか?」
「いえ……気を失った……ようです」
「そりゃあ良かった。こんなところで死なれちゃ困るからな。これだけボコボコにされて音を上げなかったのは大したもんだが、気を失ったのはマイナスポイントだ。根競べは王子様の勝ちだな。本来なら脱獄に加担した罪で何らかの罰を与えたいところだが……ケジメは見せてもらったし、今回だけは不問にしておいてやる」
「御寛大な御心遣い、感謝いたします」
アルフレッドは勇者に向かって、深々と頭を下げた。勇者は床に転がっているアレンを一瞥して言う。
「これだけ痛めつけられりゃ、もう逃げ出す元気もないだろう。さて、役者も揃ったことだし、すぐにこいつを処刑しよう」
「お待ちください、勇者殿。今すぐにというのは止めた方がよろしいかと」
息巻く勇者にアルフレッドは異を唱えた。横槍を入れられた勇者は、アルフレッドをジロリと睨んだ。
「……また俺に逆らおうってのか?」
「滅相もありません。ただ、処刑を執り行うには諸々の準備や手続きが必要でして……。それに勇者殿の汚名を晴らすには、今すぐにというのは適切ではありません」
意味深な発言に勇者は思わず聞き返す。
「……どういう意味だ?」
「この者は勇者殿に関する風説の流布という名目で処刑される……という話だったはず。ですが、民衆はこの者の存在を知りません。この者が勇者殿の名誉を傷つけ、世を惑わせた悪であると広く知らしめてこそ、処刑が意味を成すのです」
「……」
理路整然としたアルフレッドの主張に、勇者は腕を組んで黙り込んだ。それを見たアルフレッドは畳みかけるようにさらに続ける。
「ただこの者を処刑するだけでは、勇者殿の名誉の回復には至らないでしょう。少なくとも城下に住まう都の民たちには、この者の罪状を知らせておく必要があるかと。彼らの口から噂が広がれば、少しずつ確実に世界中に伝播していくでしょう。そのための下準備が不足しているという点を踏まえて、適切ではないと申し上げたのです」
勇者は腕を組んだままアルフレッドに問う。
「……なら、いつが適切なんだ?」
「処刑のための手続き及び準備に今日を含めず丸一日。民に情報を与え、広めるのにもう一日は必要かと」
「つまり、執行は三日後か……」
勇者はそうつぶやくと、再び黙り込んだ。暫しの沈黙の後、勇者を意を決したように口を開いた。
「よし、いいだろう。こいつの処刑は三日後に引き延ばす。それまでに必要な準備とやらを済ませてもらおうか」
"痛み"によってアレンは意識を取り戻した。状況を確認すべく目を開けるが、どうにも視界がはっきりとしない。アルフレッドから受けた暴行により顔が腫れ上がり、思うように目が開かなくなっているのだ。顔に手を当てるとズキズキとした鈍い痛みは、刺すような鋭い痛みへと変化した。
辺りは暗く、そして狭い。ひんやりとした空気はどこか懐かしささえ感じさせる。見ることのおぼつかない状態のアレンだったが、自分が今どこにいるのかは即座に理解できた。アレンは再びベシス城内の地下牢に囚われていた。
アレンが地下牢に収監されて二日が過ぎた。彼が世界から隔離されている間にも、処刑の準備は着実に進んでいた。王は諸々の手続きを進め、兵士たちは都中に事の経緯が書かれた立て札を立てた。"情報"は瞬く間に広がり、アレンの存在と罪状は誰もが知るところとなった。しかし一日が終わり、二日が過ぎてもアレンは動かなかった。見張りの兵士から自らの処刑について聞かされた時も、動揺した素振りも見せず、言葉を発することもなかった。
勇者はそんなアレンの様子を訝しんだ。自分が殺されると分かっていながら、そんなに冷静でいられるはずがない。何か裏があるはずだ。自分は死なないのだという確信が。そう考えた勇者は、アレンの企みを確かめるために地下牢を訪れた。
「よぉ、気分はどうだ?」
「……」
勇者の問いかけに、アレンは何も答えない。勇者は尚もアレンを誘うかのように話しかける。
「なぁ、そう無視しないで教えてくれよ。死を目前にした奴の気持ちってのをよ。後学のために知っておきたいんだ。別に他意はない、純粋な知的好奇心だよ」
「……」
だが、やはりアレンは何の反応も示さない。痺れを切らした勇者は、単刀直入にアレンの本意を聞き出す方針に切り替えた。
「いつまでも黙ってないで、何とか言ったらどうだ? 大人しく殺されるつもりなんて毛頭ないんだろ? 死を前にしてそんなに落ち着いていられるなんて、明らかにおかしい。どうせまた何か企んで……」
「……もう疲れたんだ」
「はぁ?」
その時、アレンが静かに口を開いた。思いがけないアレンの返答に、勇者は素っ頓狂な声を上げた。
「もう戦うのに疲れたんだ。故郷を失い……家族を失い……仲間を犠牲にしてもお前に敵わなかった。もうこれ以上……誰かを犠牲にして戦うのはごめんだ」
「それで……戦うのを諦めたってか?」
「もう俺は……ゆっくり休みたいんだ……」
その言葉に勇者は牢の中のアレンを見た。地下特有の薄暗さと腫れ上がった顔のせいで表情は分からないが、声のトーンからは嘘を吐いている様子はない。勇者はさらに牢の中のアレンの様子を凝視する。
(……どうやら本当に諦めたらしいな。まぁ、この状況じゃどうすることもできないか。利用しようとした王子様には裏切られた上に、ここまでこっぴどくやられちまったんだからな。心が折れても無理はないか……)
「夜が明ければお望み通り、ゆっくりと休めるぜ。家族とお仲間にもすぐに会えるだろうさ。あの世でな!」
勇者は勝ち誇ったような下卑た笑みを浮かべると、捨て台詞を残して上機嫌で引き上げていった。
勇者が去った数時間後。静寂と闇に包まれた地下牢に再び訪問者が訪れた。訪問者は見張りの兵士に声をかける。
「ご苦労。何か変わった様子はないか?」
「はっ! 異常ありません」
「……奴の動きは?」
「先程、様子を見に現れました」
「そうか……。やはり、まだ疑っているようだな。再び戻ってくる前に早急に準備を進めよう」
"準備"を終えると訪問者は牢の中を見つめた。そして悔し気に歯噛みをすると、申し訳なさそうに牢の中に声をかける。
「すまない……。こんな役回りを押し付けてしまって……」
「……お顔をお上げください。自分から志願したことですから、とうに覚悟はできています」
自分を気遣うような言葉だったが、訪問者は敢えてそれを否定する。
「いや、謝らせてくれ。こんな目に遭わせた上に、命まで奪おうとしているのだ。謝罪しなければ申し訳が立たない。これが単なる自己満足に過ぎないということは重々承知だ。私が謝ったところで、どうなるものでもない。それでも謝らせて欲しい。本当に……すまない」
「国を守るために命を懸けるのは我が務めです。この命がこの国の未来に繋がるのであれば、こんなに誇らしいことはありません。ですから謝罪は不要です。その代わり、一つ……約束してください。必ず奴を倒すと。この犠牲を無駄にはしないと」
殊勝な言葉に訪問者は背筋を正すと、牢の中を真っ直ぐに見据えて宣言した。
「分かった……。ここに誓おう。貴君の尊い犠牲を決して無駄にはしない。必ず奴を討ち果たし、この国を救ってみせよう」
力強い返答に、牢の中からは安堵したような声が響いた。
「その言葉が聞けて安心しました。それでは……後の事はよろしくお願いいたします。アルフレッド殿下」
「……あぁ、任せておけ」
アルフレッドはそう返すと、決意を新たにして地下牢を去っていった。




