第83話 密談
魔族の時といい、この城の警備ザル過ぎな件
絢爛たる自室でベシス王、エドワード・ド・ドレスティアは一人頭を抱えていた。
「全く厄介なことになりおったわ。どうしたものか……はぁ……」
王は苦々しく吐き捨てると、深い溜め息を吐いた。悩みの種は今後の勇者への対応についてだ。
勇者を倒して世界の覇権を握るという王の目論見は、あえなく潰えた。今やベシスは覇権はおろか、国家存続の危機に瀕している。王はそう考えていた。勇者を討ち損なったということは、こちらの敵意が勇者に知られてしまったということだ。執念深い勇者のことだ。必ずベシスに報復を仕掛けてくるに違いない。
一人の死者も出すことなく兵たちが戻って来たのは不幸中の幸いだが、クリフからの報告によれば、兵たちは一斉に勇者に襲い掛かったにも関わらず、誰一人として歯が立たなかったとのことだ。
「全兵力を上げてその体たらくでは、最早どうすることもできないではないか……!」
王は再び吐き捨てる。兵の損害の有無など、この際どうでもいい。損害があろうとなかろうと、ベシス軍が勇者に敵わなかったという事実は変わらない。問題なのは、兵たちが勇者によって一瞬の内に蹴散らされたということだ。倒せなかったにしても傷の一つでも負わせていれば、勇者はベシス軍の力を多少なりとも警戒したはずだ。だが、現実は違う。兵たちは勇者に傷を負わせるどころか、手も足も出なかった。それはすなわち勇者が報復のためにベシスに攻め込んできたとしても、成す術もなく城を落とされるということに他ならない。
王が頭を悩ませていると、ガチャリと音を立てて部屋の扉が開いた。音に気付いた王が顔を向けると、そこにはローブを着込んだ一人の人物が立っていた。顔を隠すようにフードを目深にかぶったその人物は、不遜にもずかずかと王の自室へと入り込んできた。
「何だお前は? 何用があってここに来た?」
王は落ち着いた声で威厳たっぷりに訪問者に問う。不審者はゆっくりとフードを上げて正体を明かした。その瞬間、王の威厳はあっさりと吹き飛んだ。
「なっ……! き、貴殿は……!?」
王は目を見開いて驚きの声を上げた。言い淀んだのは、危険を察知したからだ。初め王は、訪問者に対して「貴様」と呼びかけようとしたのだが、その正体を知り、機嫌を損ねないように敬称を用いたのだ。
何故、この者がここにいるのか? どうやって侵入したのか? 見張りの者たちはどうしたのか? 目的は何なのか? 脳裏には、いくつもの疑問が浮かんでは消えていく。だが、王はすぐさま冷静さを取り戻し、悠然と口を開いた。
「これはこれは勇者殿。今日はどういった要件かな?」
王は努めて落ち着いた口調で、訪問者に尋ねた。恐れを悟られぬよう、緊張を気取られぬよう……。それはほとんど虚勢のようなもので、本心では大声で助けを呼びたかったのだが、国王としての意地と誇りがそれを許してはくれなかった。
君主たる者、いついかなる時も威厳に満ちた態度でなければならない。そうでなければ、国を統治することなど、到底敵わない。威厳を失い無様な姿を見せれば、格下と見なされ軽んじられる。軽んじられればつけ込まれる。つけ込まれれば大事なものを奪われる。例え勇者がどれだけ強大な力を有していたとしても、一歩も引いてはならない。それが一国の王としての矜持だった。
「俺を殺そうと兵まで差し向けたくせにしらばっくれる気か? 図太い神経してんな。権力者ってのはどこの世も同じだな。でも計画は失敗だ。残念だったな、王様。あんたのご自慢の兵士たちは、俺に手も足も出ずにおめおめと逃げ帰ったぜ。情けないったらなかったね、あれは。そうそう、情けないと言えば……あの男もでかい図体の割にみっともない野郎だったなぁ」
勇者はしみじみとつぶやく。
「『むざむざやられるつもりはない』だの『自分を試してみたくなった』だのと大口を叩いてたが、チョロチョロとあちこちに逃げ回って、まるででかいネズミだったぜ。そのせいでずいぶんと手こずっちまったが、今思えばそれがあの男の作戦だったんだろう。おかげで兵士たちは全員無事に逃げ果せたんだからな。この俺を相手にたった一人であれだけ粘るだけでも表彰ものだぜ。あんたも感謝するんだな、王様。あの男がいなければ、今頃ベシス軍は全滅してたぜ」
ペラペラと調子よく喋る勇者に、王は疑いの眼差しを向けていた。まさか世間話をしに来たわけではあるまい。王は単刀直入に切り出した。
「前置きはいい。質問に答えてもらおう。貴殿は何をしにここに来た? 余を殺してこの国を乗っ取るつもりか?」
「おっと、いきなり強気だな。確かにそれも悪くない考えだ。だが、そんな酷いことはしないぜ。俺は平和主義者だからな。それに、もしそのつもりだったら……もうとっくにやってるよ」
そう言って勇者は、歪な笑顔を浮かべて薄く笑った。威圧感溢れる不気味な笑顔に、王の顔には冷や汗が浮かび、頬を伝い流れ落ちた。
「なぁに、そう固くならないでくれよ王様。俺はただ、あんたと話がしたいだけなんだ」
「話……だと?」
訝し気に尋ねる王に、勇者は頷く。
「そう、大事な話だ」
「それでわざわざここまで乗り込んで来たというわけか? して……その話とは?」
「ここまで来る途中に色々と耳に入ってな。都は俺の噂で持ち切りだったよ。それも悪い噂だ」
勇者は不愉快そうに吐き捨てた。勇者が言っているのは、魔王の死を偽り、各地から女性たちを攫っていた件についてだろう。だが、それは噂でも何でもない。紛れもない事実だ。王はそのことを指摘しようかとも思ったが、勇者が逆上するかもしれないと考えて、敢えて黙っていた。勇者は続ける。
「このまま悪評が広がっては俺も困る。そこで、だ。王様に一つ力添えをして欲しいんだよ」
「力添え?」
「なに、簡単なことだ。あんたの口から噂は真っ赤な嘘、まったくのデタラメだと証言して欲しいんだよ。あぁ、この場合は力添えよりも口添えの方が適切か?」
(……真っ赤な嘘? デタラメ? この者は一体……何を言っているのだ?)
勇者の要望を聞いた王は困惑した。民たちの間で広まっている話は、全て厳然たる事実だ。身から出た錆ではないのか? それをこの男はまるで、謂れのない濡れ衣着せられた被害者のような口振りで話している。自分が今まで行ってきた行動に対する反省や罪の意識は微塵も感じられない。
「それは、余に嘘を吐けと……貴様が行ってきた悪事に加担しろと言うことか?」
勇者の軽薄かつ無責任な態度に怒りを覚えた王は、思わず蔑称を用いて勇者を呼んだ。勇者は即座に反応する。
「言葉には気を付けろよ、王様。確かにあんたはこの国じゃ一番偉いのかもしれないが、一番強いわけじゃないだろ? 俺の力は、あんたの権力よりも遥かに強い。あんたも身に染みて分かってるはずだ。何ならもう一度、俺と兵士を戦わせてみるか? ただし今度は徹底的にやるけどな」
圧倒的な力を背景とした勇者の脅しに王は黙り込んだ。暫しの沈黙の後に王は言う。
「……もう話は広がりすぎている。いくら余が民衆に『巷に出回っている勇者の話は全て噓だ』と言ったところで、今更誰も信じまい。それが事実なら尚更だ。いくら嘘で塗り固めても、事実を覆い隠すことなどできぬ」
「……チッ、めんどくせーなぁ」
勇者は不機嫌そうに捨て台詞を吐くと、腕を組んで何事かを考え始めた。王の返答は勇者の望むものではなかったが、確かに王の言うことは一理ある。いきなり全て嘘でしたと宣言しても、中にはそれを疑う者も出てくるだろう。どこの世界にも疑り深いひねくれ者はいるものだ。
「なら、民衆にあんたの話を信じさせるにはどうすればいい?」
「……信じるに足る証拠でもあれば、信じるやもしれん。尤もそんなものがあればの話だが」
「証拠……証拠ねぇ……」
王の言葉通り、広まった噂が嘘であると示す証拠など存在しない。噂は全て事実なのだから当然だ。勇者は再び腕を組んでぶつぶつと繰り返す。
「どうするのだ? 証拠がなければ民は余の話を信じようとはすまい」
「証拠がないなら作ればいい。あのクソ生意気な……確かアレンとか言ったな。あいつを噂の出どころに仕立て上げちまえばいいのさ」
王の問いに、ニヤリと笑って勇者は答えた。




