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第71話 攻防 side-E

このエピソードには暴力シーンやグロテスクな表現が含まれています

「……ここは……」

 ガサガサとした固い感触。ひんやりとした風が頬を撫でる。未だ意識がはっきりとしない中、ぼんやりと直前の記憶を手繰り寄せる。

(確か聞きたいことがあると部屋を連れ出されて……それで……)

 部屋を出て兵士の後ろを歩いていくと、その兵士が突然くるりとこちらを振り返った。兵士は何事かをつぶやく。その瞬間、意識を失った。覚えているのはそこまでだ。徐々に意識がはっきりとしていく中、彼女は自らの状態を確認した。身動きは取れる。手足も拘束はされていない。ゆっくりと起き上がると、目に飛び込んだのは鉄格子だった。

 彼女は周囲を見渡した。部屋は薄暗く、ジメジメしていてカビ臭い。目の前には頑丈そうな鉄格子があり、三方はこれまた頑丈な石壁で囲まれている。部屋はだだっ広いが壁に窓はなく、光が差し込むこともない。寝かされていた場所には藁が敷き詰められており、これが寝床ということらしい。だが、粗末な寝床はお世辞にも寝心地が良いとは言えない。現に、ガサガサとした不快な寝心地で目を覚ましたのだから。

 彼女はゆっくりと立ち上がり、確かめるように鉄格子に触れてみた。すると鉄格子はギィと情けない音を立てて、あっさりと開いた。

「まさか、鍵が開いているなんて……」

 驚きながらも彼女は訝しむ。何かの罠だろうか? 警戒しながら周囲を見渡すが、誰かがやって来る様子はない。状況は怪しいが、いつまでもここにいるわけにはいかない。そう判断した彼女は先を進むことにした。

 狭い一本道を進んで行くと、これ見よがしに扉の開いている部屋を見つけた。中に誰かいるかもしれない。彼女は足音を立てないように、こっそりと扉の中の様子を覗き見た。

(あれは……人……?)

 部屋の奥に人がいる。その人物は両手首を縛られ、それを頭上に掲げるようにして吊るされている。部屋の暗さに加え、がっくりとうなだれているため顔は見えないが、どうやら女性らしい。詳しい状況は分からないが、自分と同じように囚われているということは分かる。彼女はそっと部屋に入り、女性へと近付いた。だが、女性は微動だにしない。

「あの……大丈夫で……」

 そう言いかけて、彼女は気付いた。女性の胸に、一本のナイフが深々と突き刺さっていることに。

「これではもう……」

 生きてはいないだろう。

 そうつぶやき、視線を上げた瞬間、彼女は「うっ」と息を呑んだ。両目が抉られている。耳と鼻は削ぎ落され、ぽっかりと開いた口の中には舌がない。おそらく切り取られてしまったのだろう。おまけに元の顔が分からない程に顔全体がズタズタに切り刻まれている。

「うっ……!」

 あまりの惨たらしさに、彼女は胃の奥から酸っぱいものが込み上げてくるのを感じた。訪れた生理反応は自分の意思ではどうすることもできない。彼女は床に手をつくと、勢いよく胃の中のものをぶちまけた。

 しばらくゲーゲーやっている内に胃の中は空になり、出すものがなくなった。浅い呼吸を繰り返し、口元を拭う。

「はぁ……はぁ……」

 幾分気を持ち直した彼女はゆっくり立ち上がると、再び遺体に視線を移した。目を背けたくなるひどい状態だ。彼女は恐怖すると同時に、怒りに体を震わせた。一体、どうすればこんな惨いことができるのか。とても人間がやったとは思えない。悪魔だ。これは悪魔の所業だ。

 彼女は遺体に手を合わせると、胸に突き刺さっているナイフをゆっくりと引き抜いた。この女性をこんな目に遭わせた張本人が近くに潜んでいるかもしれない。もしもの時のために、武器があった方がいい。何より、このままにしておくのは、あまりにも不憫でいたたまれない。

 彼女は左手にナイフを握り締めると、静かに部屋を出た。

 さらに進むと、目の前に石の階段が現れた。周囲には他に通じる廊下も部屋もない。ここを出るにはこの階段を上がるしかない。その時だった。

 カツ……カツ……

(足音……!?)

 階段に足をかけたまさにその瞬間、何者かが下りてくる足音が響いた。彼女は自分の存在を気取られないために、すぐさま来た道を戻った。息を殺し身を潜めていると、カツカツという足音と共に明かりが近付いて来る。どうやら相手は松明を手にしているらしい。足音は二つ。すなわち二人組ということになる。

 物陰からひっそりと様子を探ると、明かりに照らされて何者かの姿が見えた。白いブラウスに茶色のロングスカート、さらにその上に赤い前掛けをしている。その後ろにはもう一つの人影があった。はっきりとは見えないが、どうやら少女らしい。

(後ろにもう一人、誰かいる……? あ、あれは……!)

 その瞬間、彼女は全てを理解した。あの二人は敵などではない。そう判断した彼女は、松明を持った女性の前に姿を現した。

「あ、あなたは誰なの……? そ、そのナイフは……!?」

 女性は警戒した様子で彼女に声をかけた。その視線は彼女の顔と左手を行ったり来たりしている。ナイフには血がべっとりとついているのだ。警戒されて当然だろう。

「安心してください。このナイフは護身のために拾った物で、危害を加えるつもりはありません。私もここに連れて来られたんです」

「そう、あなたもなのね。私はミーナ。あなた、名前は?」

 女性はほっとした様子で自己紹介をした後に彼女に尋ねる。

「私はエトンです。ミーナさんの後ろにいらっしゃるのは……マーガレット王女ですよね?」

 鮮やかな銀色の髪と気品ある美しい顔立ち。フリルとレースをあしらった上品な水色のドレスが、少女の美しさを際立たせている。少女の名はマーガレット・ド・ドレスティア。勇者に攫われたベシスの第一王女だ。

「は、はい……その通り……です。よくお分かりですね」

 自分の名を言い当てられたマーガレットは、おずおずと答える。

「前にお見かけしたことがありましたから。王女様がいるということは……ここはシゼのお城の中ですね?」

 エトンの言葉にミーナとマーガレットの二人はこくりと頷いた。王女はシゼにいるというフランツの予想は正しかった。

(フランツさん……)

 エトンはフランツの死を思い出して涙ぐんだ。だが、泣いている場合ではない。エトンは気持ちを切り替えると、二人に尋ねた。

「お二人は何をしにここへ? この先は地下牢のようですけど、何かご用ですか?」

「実は……仲間を探しに来たのよ」

「……仲間?」

「えぇ。私たちと同じように連れ去られた娘で、少し前に魔族に連れて行かれたの」

「一体、何のために?」

「何かの研究をしていて、そのために必要だっていう話だけど……詳しくはよく分からないわ」

「……本来なら、わたくしがそうなるはずでした。ですが、その方は……わたくしの身を案じて自ら代わりを買って出てくださったんです」

「それで探しに来たってわけ。エトンさん。あなた、ここに来るまで誰かに会わなかった?」

 二人が言っている仲間というのは、おそらく先程見かけた遺体のことだろう。だが、この状況下で仲間の死を伝えるのはあまりにも酷だ。ましてやあんな惨い姿を見せられるはずがない。

「……いえ、誰もいませんでしたよ」

 ミーナの質問にエトンはそう答えた。嘘は吐いていない。少なくとも生きている人間は誰もいなかったのだから。

「……そういうことなら他の場所を探してみましょうか、姫様」

「そうですね。どこにいらっしゃるのでしょうか……?」

「ちょっと待ってください。お二人は囚われの身のはずですよね? そんなに自由に歩き回って大丈夫なんですか? もし見張りに見つかったりしたら……」

「大丈夫よ。ここには見張りなんていないから。それにこれは公認なのよ」

「公認?」

「ここに連れて来られた時、青肌の女に言われたわ。『この城にある物は、どれでも自由に使っていい。もし帰りたいのなら、いつでも好きな時に出て行って構わない』と。そしてその言葉通り、どの扉にも鍵はかかっていなかった。城の入口でさえもね」

「入口も……ですか?」

「わざわざこんな所に連れて来て、好きな時に出て行っていいなんておかしいと思うでしょ? でも、何人かはその言葉を信じて、ここを出て行った。思えばあの時、もっとちゃんと止めていれば……」

「……一体、何があったのですか?」

「食い殺されたのよ。一人残らずね」

「く、食い殺された……!?」

 ミーナの語った衝撃的な内容に、エトンは思わず息を呑んだ。刹那、彼女の脳裏に魔女との戦いの苦い記憶が蘇る。異形の怪物に無惨に食われた仲間の記憶。

「まさか、ここにも巨人が……?」

 エトンは恐る恐る尋ねる。だが、彼女の言葉を聞いたミーナは不思議そうな顔をして首を横に振った。

「巨人? いいえ、違うわ。そうね……言うなれば魔獣ってとこかしら」

「魔獣……ですか?」

 聞きなれない単語に、エトンは思わず聞き返す。

「それが正しい表現かどうかは分からないけど、そうとしか言いようがないわ。外に出た者は全員、そいつに食い殺された。青肌の女はそれが分かっていながら、私たちが逃げるように仕向けたのよ。悪魔よ、あの女は」

 ミーナは苦々しい顔をして、吐き捨てるようにそう言った。

「つまり魔獣がいる限り、私たちはここから出られない……と」

「その通りよ。外に出た途端に襲われるわ」

「その魔獣というのはどれぐらいの大きさですか? 数は? 見た目や動きはどんな生き物に近いですか?」

 矢継ぎ早に次々と質問を繰り出すエトンに、ミーナは面食らったように尋ねる。

「ちょ、ちょっと待ってよ。そんなこと聞いてどうするつもり?」

「相手を知らなければ対策は立てられません。そのための準備です」

「準備……って、まさか戦うつもりなの? 無茶よ、そんなの!」

「このまま来るかどうかも分からない助けを待ち続けても仕方ありません。それよりも、自分たちの力でここを抜け出す努力をするべきです」

「それはそうだけど……。でも、そんなことできるの……?」

「そのためには情報が必要です。魔獣について知っていることを何でもいいので教えてもらえますか?」

 不安気な顔で尋ねるミーナにエトンはそう答えた。その表情は地道な調査と策略によって勇者の秘密を暴いた、ある男によく似ていた。


 数十分後。一際重厚な扉を開けて外に出たエトンは、注意深く辺りを見渡した。空には鉛色の雲が広がり、どんよりと薄暗い。荒涼とした大地の先には城門が見える。だが、魔獣とやらの姿はどこに見当たらない。少しの間佇んでみたが、現れる気配もない。近くにはいないのだろうか? 疑問を抱きながらも歩みを進めると、それは音もなく現れた。

「エトンさん、後ろッ!」

 城の入口から顔を出したミーナが叫ぶ。エトンが振り返ると、真っ黒な何かが真っ直ぐにこちらに向かって来るのが見えた。エトンは即座に身構える。彼女は外に出る直前、ミーナに自分を見張り周囲の状況を知らせるように頼んだ。死角から魔獣が現れた際に素早く対処するためだ。それが功を奏した。

 外見(みため)四足歩行(うごき)は犬や狼に近い。だが、野生動物なら無駄な争いを避けるために、まず威嚇を行うはずだ。それをこの生物は何の躊躇もなく襲って来た。やはり単なる野犬の類とは生態が異なるようだ。

 魔獣は見る間に距離を詰め、牙を剥き出しにしてエトンに飛び掛かる。遠くでミーナが悲鳴を上げる中、エトンは右腕を差し出し、魔獣はその右腕に本能的に噛み付いた。だが、エトンは怯むことなく噛み付かれた右腕をぐいっと引っ張り、魔獣の脳天に向かって左拳を振り下ろした。その瞬間、魔獣は頭から血を吹き出し、そのままぐったりと動かなくなった。魔獣の頭には一本のナイフが深々と突き刺さっていた。

 エトンは魔獣との戦いに向けて"準備"をしていた。ミーナとマーガレット、そして囚われていた女性たちの証言によれば、魔獣の数は一匹。見た目は犬や狼によく似ているとのことだった。

(犬や狼の脅威は牙と機動力……。戦うにはそれをどうにかしないと)

 そう考えたエトンは、右腕を噛ませた隙に一撃を加えるという作戦を考えた。あえて噛み付かせることで機動力を封じてしまおうというわけだ。だが、そんなことをすれば腕を食いちぎられてしまう。そこで彼女は右腕に細工を施した。城内の探索で見つけた鉄製の籠手をはめ、その上にベッドのシーツを巻き付けたのだ。籠手をはめたのは腕を保護するため、シーツを巻いたのは牙を食い込ませて絡め取るためだ。作戦通り動きを封じたエトンは、女性の胸から抜き取ったナイフを魔獣の脳天に突き立てた。

 魔獣を屠ったエトンだったが、その死骸は未だ右腕に噛み付いたまま離れない。仕方なく彼女は籠手を外し、ようやく右腕から魔獣を引き剥がした。一部始終を見ていたミーナが遠くから声を上げる。しかしそれは、歓声ではなく警告だった。

「危ない! 後ろ!!」

 その言葉に顔を上げて振り返ると、真っ黒な何かが真っ直ぐにこちらに向かって来るのが見えた。魔獣はもう一匹いたのだ。だが、今の彼女は丸腰だ。先程の戦法はもう使えない。

 魔獣は見る間に距離を詰め、牙を剥き出しにしてエトンに飛び掛かる。その時、彼女が咄嗟に取った行動は、回避でも防御でもなかった。

 エトンは神速の突きを放ち、魔獣の口の中に左腕を突っ込んだ。喉奥を突かれた魔獣は苦しそうにもがく。彼女は嘔吐反射を利用したのだ。嘔吐反射とは多くの動物に備わっている生理機能で、喉の奥に異物感を感じた時にそれを吐き出そうとする反応である。そうすることで体内に異物が入るのを防ぐのだ。

 魔獣はもがくばかりで口を閉じようともしない。口を閉じれば、この左腕を噛み砕けるというのに。だが、それは仕方のないことだった。嘔吐反射は本能的な反応だ。訪れた生理反応は、自分の意思ではどうすることもできない。ましてやそれが、理性のない(けだもの)ならば尚更だ。

 エトンが腕を引き抜くと、魔獣は下を向いて苦しそうに胃液を吐き出した。首を差し出すようなその姿勢は、まるで処刑前の罪人のようだ。エトンはその隙を見逃さず、魔獣の頸椎を踵で踏み抜いた。鉄板を仕込んだ靴による痛烈な一撃。ゴギッという鈍い音とギャンという低い悲鳴が響くと、魔獣は口から血の泡を吹いて地に伏せた。

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