第68話 悪魔の出迎え
お・で・む・か・え、おでむかえ!
馬車の中はひどく静かだ。馬が走る蹄の音、馬車がゴトゴト揺れる音、そしてガラルドの高いびきの他には何も聞こえない。クリフは御者台で馬車を駆っているため、中にはアレン、ガラルド、エルダ、アルフレッドの四人が残された。
ガラルドは馬車に乗り込むと「着いたら起こしてくれヨ」とだけ言い残し、早々に居眠りを始めた。その豪胆ぶりを見たアレンは、「これから戦いに行くというのに、よく緊張もせずに寝ていられるな」と半ば呆れながらも、感心してしまった。
アレンは他の二人に目を向ける。エルダは楽しそうに流れる景色を眺めており、何かを気負っている様子はない。おそらくは実際に魔法を目にすることができるという期待に胸を高ぶらせているのだろう。一方のアルフレッドはというと、強く握りしめた両手を膝の上に置き、口を真一文字に結んでいる。眉間に寄せた深い皺は、刻み込まれた刀傷のようだ。端正な顔立ちは相変わらずだが、ひどく緊張しているのがありありと伝わってくる。
「落ち着かないようですけど、大丈夫ですか?」
「……」
あまりの緊張ぶりに見かねたアレンはアルフレッドに声をかける。だが、返事はない。
(……無視か?)
「あ・の! 大丈夫で・す・か!」
この対応にカチンと来たアレンは、不敬にも声を張り上げて、再びアルフレッドに話しかけた。
「な、何だ!? いきなり大声で話しかけるな! 驚くではないか!」
「……一度話しかけたんですが、反応がなかったもので」
「むっ、そうであったか。それはすまなかった。少々考え事をしていたものでな」
悪びれる様子もなく答えたアレンに、アルフレッドは詫びた。父親であるベシス国王と同じ威厳のある話し方だが、態度は素直だ。どうやら無視をしたのではなく、単に聞こえていなかっただけらしい。
思いがけない殊勝な態度に、アレンはすっかり恐縮してしまった。
「いや、そんな……こちらこそ失礼な態度を取ってしまって申し訳ありません」
「構わぬ。ところで其方、名は何と言ったか?」
「……アレンです」
「ではアレン。一つ問う。一介の村人に過ぎない其方が、そうも落ち着いていられるのは何故だ? 戦うことに恐れはないのか?」
アルフレッドの問いに、アレンは少し考えた後に答える。
「そうですね……。確かに戦うのは怖いです。現に仲間の一人は戦いの中で命を落としました。次に死ぬのは自分かもしれない。今でもそう考えています」
「ならば、何故……」
「前に話した通り、俺は勇者たちに故郷の村と家族を奪われました。それが俺を突き動かすんです。殺された村のみんなのことを思うと、俺一人だけ穏やかに暮らすなんて……とてもできません。俺がやらないといけないんです。ティサナ村の唯一の生き残りである俺が」
「……そうか。其方も様々なものを背負っているのだな」
「ただ……今は少し迷っています。魔族を倒して攫われた妹を救い出したとして、その後も戦いを続けるかどうか……。戦いを続けたとして、無事に勇者を倒せるならそれでいい。でも、その中で命を落としたら、妹は一人ぼっちになってしまいます。でも、このまま勇者を野放しにするわけには……」
「今回の戦いで結果を出せば、状況は変わるやもしれませんぞ? アレン殿」
いつの間にか話を聞いていたらしいエルダが会話に加わる。アレンはその言葉の意味を尋ねた。
「どういうことですか?」
「アルフレッド様のお話によれば、陛下は勇者たちの力を警戒しておられるとのこと。多くの兵を失って敗れたのですから、無理もありません。その上、マーガレット様を人質に取られては、下手に動けないのは当然ですな。ですが……この少ない手勢で魔族を打ち破り、マーガレット様をお救いできたとしたら、陛下はどうお考えになるでしょう?」
「……もし仮に魔族を打ち破り、無事に妹を救い出せれば、父上の憂いはなくなる。再び勇者と戦うというご判断を下されるかもしれない」
「その通りですぞ、アルフレッド様。つまるところ国と勇者の戦争ですな。戦争となれば当然、戦力の主体は兵士へと移り変わります。つまりは、今までのようにアレン殿が矢面に立って戦う必要はなくなるということですぞ」
エルダの言葉に、アレンの心はさらに揺れた。妹を取り戻し平穏な生活に戻るのか? それとも、仇を取るためにさらなる戦いに身を投じるのか?
『この……世界を……取り……戻せ……』
頭の中でフランツの最後の言葉が、再び鳴り響く。
アレンは妹を救い出して旅を終わらせるつもりだった。だが、師から託された想いが彼に迷いを生じさせていた。厚い雲に覆われた空は、まるで彼の胸の内を現しているようだった。
晴れない空と気持ちとは裏腹に馬車は快調に進み、半日ほどで目的地へと到着した。住民が消え去り、使われなくなった厩舎に馬を止めおくと、彼らは歩みを進めた。魔族の襲撃を警戒し注意深く進むが、敵の気配はなく不気味なまでの静けさが辺りを包み込んでいる。
静寂の中、彼らは件の場所にたどり着いた。数日前に大敗を喫した屈辱の場所。前方には頑強な城門が待ち構えている。だが、様子がおかしい。
「これは一体、どういうことだ……!」
クリフは驚きの声を上げる。アレンとガラルドも周囲を見渡し、違和感を察知する。
「何をそんなに驚いているのだ?」
「確かに。人の気配がどこにもないという以外は、特におかしな点は見受けられませぬが……」
アルフレッドとエルダの二人は不思議そうに疑問を口にした。彼らはあの日、この場にいなかったのだからこの不自然な状況に気付かないのも無理はない。
「……ねェンだヨ、あるはずのものが」
「あるはずの……」「もの?」
クリフの代わりに口を開いたのはガラルドだった。その言葉に二人の声が重なる。
「あの日……俺らは魔族のヤローに打ちのめされた。ヒサンだッたゼ、ありャあ。だが、おかしなコトにそのコンセキがどこにも見当たらねェ」
「痕跡……つまり……」
「遺体です。あの日、ここで亡くなった兵士の遺体が無くなっているんです。それも一つ残らず」
息を呑み言葉を詰まらせたアルフレッドに、アレンは端的に言い放つ。あの日、この場所では多くの兵士が命を落とした。にも関わらず、遺体はおろか彼らが身に着けていた甲冑や剣などの装備品すらも一つとして見当たらない。遺体が忽然と姿を消すなど、断じてあり得ない。何者かが手を加えない限りは――
「よく来たわねぇ、いらっしゃい。もう来る頃と思っていたわぁ。これはまた面白い顔ぶれねぇ?」
その時、声が響いた。神経を逆撫でするような、ねっとりとした口調。声のした方向に顔を向けると、青い肌の女が紫色の髪をなびかせ、こちらを眺めていた。
「あななたち二人は当然来るものと思っていたけど、隊長さんと王子様まで連れてくるなんて想定外だわぁ」
「なっ……いつの間に……!?」
「お気を付けください、殿下! 奴は神出鬼没です! 今すぐにでも襲い掛かってくるやもしれませんッ!」
音もなく現れた魔族の姿にアルフレッドは驚き、クリフは警戒を強めた。アレンとガラルドもそれぞれ武器を構える。
「嫌ねぇ……。そんな無粋な真似しないわよぉ。せっかくのお客様ですものぉ、じーっくりと楽しまないとねぇ?」
そう言って魔族は、口の端を吊り上げてニタァっと笑った。例の悪魔のような笑顔だ。何か良からぬことを考えているに違いない。アレンは警戒を強める。が、動けない。切り札となり得る鏡を手に入れたとはいえ、未だ魔族の力の全容は謎に包まれている。兵士たちが倒れて行く光景と、フランツの最期が頭をよぎる。下手に動けば、奴の魔法の餌食になりかねない。アレンはそう考えた。
ガラルドとクリフの二人もまた魔族の力を警戒してか、剣を構えたまま動かない。アルフレッドは剣を抜くのも忘れて呆気に取られ、エルダは注意深く、そして興味深く魔族を見つめていた。
僅かな膠着状態の後、先に仕掛けたのは魔族だった。
「それじゃあ……そろそろ始めましょうかぁ。それにしても、隊長さんと王子様が来てくれるなんて"準備"した甲斐があったわぁ。どんな反応を見せてくれるのかしらぁ?」
ザッ……
魔族がそう言い終えると同時に、奇妙な音が耳についた。どうやらそれは魔女の後方、シゼ城城門から響いているようだ。
ザッザッ……
音は次第に強く大きくなっていく。一同が警戒を強める中、魔族は襲い掛かってくる訳でもなく、ただ微笑みを浮かべるだけだ。
ゴゴゴゴゴゴゴ……
音が変わった。それが城門の開く音だと気付くのに、そう時間はかからなかった。
ザッザッザッ……
そして先程から聞こえているもう一つの音の正体は足音だった。揃いの甲冑で身を固めた一団が、開かれた城門から次々と出てくる。
「なっ……!」
「まさか……あれは……!?」
「オイオイ、マジかヨ」
動揺する彼らの様子を見た魔族は、声高らかに楽しそうに笑う。
「あはは! そんなに驚くことはないでしょう? よーく見知った顔のはずよぉ? だって……あなたたちの大切な仲間なんですものぉ!」
彼らの前に姿を現したのは、先の戦いで命を落としたはずのベシス兵たちだった。




