第59話 混乱
パニック パニック パニック みんなが あわててる
次々に倒れていく兵士たちにクリフは困惑する。
「何だ!? 一体、何が起きているんだっ!?」
戸惑いながらも、クリフは指揮官として後方から指揮を取る。
「むやみやたらに奴に近付くなッ! 何らかの攻撃を受けている! 動ける者は負傷者の手当てを!」
倒れた兵士は口から血を流し、虚ろな目で虚空を見つめている。顔はすっかり血の気を失い、青ざめてしまっている。他の兵士も同様だ。皆一様に口から血を流し、青ざめた顔で虚空を見つめている。
攻撃を受けているのは確実だ。だが、魔族は兵士たちに指一本触れていない。これだけの数の人間を指一本触れずに倒すなど、出来るはずがない。しかし魔族は実際にそれをやってのけた。
「一体、何がどうなってるんだ!?」
「ち、ちくしょう…………何だってんだよ……俺は……まだ何も……」
「クソッ! こんなところで訳も分からずに死んでたまるか!」
「逃げるつもりか!? それでもベシスの兵士か! 相手はたった一人だぞッ!!」
「少し近付いただけでこの有り様だぞ! 相手の手の内も分からずに、どうやって戦えって言うんだ!」
未知の事態に兵士たちは大混乱だ。もはや統制も統率も取れていない。
人は未知に対して恐怖を抱く。知らない人物、得体の知れない物体、理解のできない出来事に恐怖を抱くのだ。ましてやそれが、命に関わるとなれば尚更だ。仮に戦いの相手が他国の兵士だったとしたら、ベシス兵たちは死をも厭わずに勇敢に戦い抜いていただろう。戦場で死なないためには、戦うより他はない。剣を振るって敵を殺し、勝利を得る事こそが生き残る唯一の術だ。兵士たちはそれを知っていた。だが、今この場においては、その常識が通用しない。戦う前から大勢の兵士たちが命を落としている。剣や矢や槍なら盾を構えれば防ぐことはできるが、今回は相手の攻撃手段が全く分からない。つまりは防ぐ手立てがないということだ。勇ましいはずの兵士たちが恐れをなすのも無理からぬ話だった。
「恐怖に引きつった表情……、恨めし気に聞こえてくる断末魔……。やっぱりいいわぁ。とーっても素敵よぉ♡」
大混乱の最中、魔族は右往左往する兵士たちを眺めながら、恍惚とした表情で吐息を漏らす。
(こ、こいつ……!)
人の死を前にして、笑みを浮かべられる狂気。何の躊躇もなく魔法を行使して命を奪う残虐性。魔族の顔を見たアレンは、魔族の中に、先に戦った女神と魔女との邪悪な共通点を感じ取った。魔族の凶悪さは、いわば女神と魔女の混合と言ってもいい。それだけで魔族の危険性がよく分かる。
「……クソッ!」
度重なる不測の事態。さらに最悪の状況に、クリフは悪態を吐いた。
何が起こっているのかまるで分からない。内心、兵士たちと同じ様に叫び出したい気分だったが、クリフは冷静さを失ってはいなかった。指揮官が冷静さを失えば部隊は壊滅する。隊長という立場が彼に理性を保たせた。悪態を吐いたのは、落ち着きを取り戻すための一種のガス抜きのようなものだった。
(敵は一人だが、死者は多数。攻撃を受けているのは確かだが、何をされているのかは不明。このままでは全滅だ……! クソッ!)
クリフは状況を整理すると、心の中で再び悪態を吐いた。そして叫ぶ。
「全軍……急ぎ退却せよッ!」
阿鼻叫喚の混乱の最中、クリフの退却命令が虚しく木霊する。事実上の敗北宣言。命令を受けた兵士たちはこれ幸いとばかりに、脱兎のごとく一目散に逃げ出した。
数時間後、彼らはほうぼうの体で、シゼとベシスの国境付近まで逃げ帰って来ていた。あれだけいた兵士の数は、今や半数程になっていた。たった数分の間に、およそ半数の兵士を失った。それもたった一人の相手に手も足も出ずにだ。僅か数分の間に敗残兵へと成り下がったという事実は、彼らをひどく打ちのめした。魔族は生き残ったベシス兵の心に、深い恐怖を植え付けた。
「勝てるわけがない」
誰もがそう感じていた。態勢を立て直してもう一度戦いを挑む気力など、もう残ってはいなかった。
兵士たちが敗北に打ちひしがれる中、アレンは悔しさを滲ませていた。ようやく妹の所在が分かり目の前までやって来たというのに、助け出すことはできなかった。
(あれだけの数の兵士をほんの一瞬で……。魔族にあれだけの力があるなら、勇者はどれだけ強いんだ? 俺たちが女神と魔女に勝てたのは、単に運が良かっただけなのか……)
身を持って魔族との力の差を思い知らされたアレンは、深い溜め息を吐いた。
女神に捕まり殺されそうになった時も、剣士と武闘家が襲撃してきた時も、魔女が巨人を呼び出して襲いかかってきた時も、ベシス兵に捕らえられ国王に謁見することになった時も、全て何とか切り抜けてきた。今回もきっとうまく行く。アレンのそんな淡い期待は、見事なまでに打ち砕かれた。
アレンは周囲の人々を見渡した。クリフもエトンもガラルドも生き残った兵士たちも、皆一様に沈んだ顔をしている。何の成果も得られずに、ただいたずらに多くの兵を失ったのだから当然だ。きっと自分も同じ顔をしているだろう。いつもの涼し気な顔のフランツも、今回ばかりは眉間に皺を寄せている。だが、あれは力の差に打ちのめされている顔でも、敗北に打ちひしがれている顔でもない。何かを考えている顔だ。
思えばこの人はいつもこうだった。先に挙げた数々の危機を切り抜けられたのは、ただ単に運が良かったからではない。フランツがいたからこそだ。女神を返り討ちにしたのも、エトンとジャンヌが仲間になったのも、魔女から真相を聞き出したのも、謁見の機会を勝ち取り国王を説得し国を動かしたのも、全てフランツのおかげだ。何よりフランツが勇者と魔王の関係に疑惑を抱き調査を進めなければ、真相にたどり着くこともなかっただろう。アレンはフランツと初めて会った日の事を思い返す。
あの日、アレンは絶望の淵にいた。家族、故郷、慎ましくも穏やかな暮らし……。一夜の内にその全てを失い、彼は途方に暮れていた。
(もしもフランツさんと出会わなかったら……俺は……)
もしあの時、フランツと出会わなければ、アレンは自ら命を絶っていたことだろう。絶望の暗闇の中、灯火を照らし進むべき道を示してくれたのは、紛れもなくフランツだった。フランツの言葉に従いその後を追いかけて来たからこそ、今の自分がある。今回は魔族に手も足も出なかったが、この人がこれしきで諦めるはずがない。きっとこの状況を打開する策を考え、魔族を破って連れ去られた女性たちを助け出すに違いない。フランツさんについて行けば、きっとうまく行く。この人ならきっと何とかしてくれる。今までずっとそうだったじゃないか。
手痛い敗北を味わったばかりだったが、それでもアレンの中には確信めいた予感があった。
フランツは依然として、何事かを考えている。普段と何一つ変わらぬフランツの姿に落ち着きを取り戻したアレンは、思案中のフランツに話しかける。
「フランツさん、これからどうするつもりですか? このまま大人しく引き下がる……なんてこと、もちろんありませんよね?」
「無論だ。だが、我々の動きを魔族に知られたのは痛いな。勇者に知られるのも時間の問題だ。今まで通り各個撃破という訳にはいかんだろう。つまりは魔族と勇者、それぞれを相手にしなければならないということだ。話によれば勇者もかなりの手練れと聞く。その力は魔族と同等か、それ以上と考えておくべきだろう」
アレンの問いに、フランツは淡々と答える。
彼は少しも挫けてはいなかった。今もこうして状況の把握に努め、次の策を考えている。やはりこの人はどんな時でも冷静だ。安堵したアレンはさらに問う。
「それで具体的にはどうするんですか? あれだけの数を一瞬で倒すってことは、数による力攻めは効かないってことですよね?」
「問題はそこだ。数を増やしても返り討ちに遭うのが落ちだ。これ以上いたずらに犠牲者を増やせば、ベシスからの協力を得られなくなる恐れもある。どうやって魔族を……ゴホッ、ゴホッ!」
その時だった。フランツは激しく咳き込むと、血を吐き倒れた。




