第58話 悪魔の微笑
兵士は噛ませ犬になりがち
金色の輪の中から現れたのは、一人の女だった。
青い肌をした女が、紫色の長髪をなびかせて立っている。青色の肌もさることながら、それ以上に特徴的なのが"目"だ。白目がない。犬や猫などの獣のように、眼球全体が黒いのだ。闇を溶かしたような真っ黒な目は、見る者に恐怖と嫌悪を抱かせる。
アレンはこの異様な風貌の女を知っている。アレンだけではない。フランツもエトンもガラルドもクリフも、ベシス兵に至るまで、この場にいる誰もがこの女を知っている。
「こんなに大勢で何の御用事かしらぁ?」
魔族は妖艶な笑みを浮かべながら、一行に尋ねる。その姿を見た瞬間、アレンは魔女の言葉が嘘ではなかったことを理解した。
今まさにシゼ城に足を踏み入れようとしたその時に姿を現したということは、城の中に見られたくないものがあるという証拠だ。やはりガラルドの言う通り、連れ去られた女性たちはこの中にいると考えて間違いないだろう。
(勇者がいないようだけど、こいつ一人でここに来たのか……?)
アレンは警戒して周囲の様子をうかがうが、勇者の姿は見当たらない。
(まさか……勇者は城の中で……)
連れて来た人たちを始末しているのでは?
最悪の考えが頭に浮かぶ。アレンは頭をぶんぶんと振り、浮かんだ考えを振り払う。
「私はグレゴールと申します。魔王軍に占領されたシゼを奪還すべく兵を挙げました。戦況報告によれば、魔王にはシゼでの戦いにおいて勇者殿を退けたと聞いています。そしてそれ以降シゼは、魔王軍に占領され続けているとも。しかしながら此度の遠征で、魔王軍とおぼしき敵勢力と遭遇することは一度もありませんでした。シゼの城下も同様です。魔王軍に占領されているはずが、敵軍はおろか住民の一人すら見当たらないのです。果たしてこれはどういうことなのでしょうか? 占領されているはずのシゼで勇者殿のお仲間であるあなたは、何をしておられるのでしょうか? 魔王軍は既にこの地を去った……ということでしょうか?」
フランツは素性を隠すために偽名を名乗った。顔を見られた上に名前まで知られる訳にはいかない。そう判断しての行動だった。こちらが既に真相を把握していることをあえて伏せたのにも理由があった。魔族の出方をうかがうためだ。
魔族がノー、すなわち「シゼは解放されていない」と答えれば、それは嘘だ。既に魔王が勇者によって打ち倒されたのは、この場にいる誰もが知っている。嘘を吐いた時点で、勇者側の信用は失墜する。
もしイエスと答えたとしても、人攫いという不都合な事実を正直に話すとは考え難い。話のどこかに嘘を織り交ぜるはずだ。嘘を混ぜれば矛盾が生じる。そこを追求すれば必ずボロが出る。つまりどう答えても、魔族に後はないのだ。それを分かってフランツはあえて質問をした。たった一つの質問によって魔族を追い詰めるために。だが、魔族の答えはイエスでもノーでもなかった。
「貴方は何者なのかしらぁ? 服装や体格を見る限り……兵士ではなさそうねぇ。かと言って、軍師や参謀という訳でもなさそうだし。ただの平民? だとしたら、兵士に交じってこんなところにいるのは何故かしらぁ?」
魔族はフランツの質問をはぐらかすように飄々と述べる。間延びした口調とは裏腹に、指摘は的を射ている。
「それにあなた、どこかで見たような……、あらぁ?」
魔族は集まった兵士たちをぐるりと見渡した。そしてその中にある人物の姿を見つけ、わざとらしく声を上げた。
「エトンちゃんじゃなぁい? いなくなったと思ったら、こんなところにいたなんてねぇ。元気そうで何よりねぇ。それで……、エトンちゃんはここで何をしているのかしらぁ?」
魔族はフランツの質問に、エトンに質問を投げかけた。
「それはこちらの台詞ですよ。私は……勇者やあなたが世界を守るために戦っているのだと、世界を救う英雄なのだと信じて、あなたたちの仲間に加わりました。ですが、あなたたちと離れて行動するようになって、私は何も知らなかったことを知りました。……本当にあなたたちは世界のために戦っているんですか? あなたは魔王に占領されているはずのシゼで、たった一人で何をしているんですか? 最初に質問をしたのはこちらです。まずはその質問に答えてください」
エトンは一歩も引かず、きっぱりとそう言った。エトンの言葉を聞いた魔族は、いかにも可笑しいと言わんばかりにニタァっと笑った。
「あらあら、いつもジャンヌちゃんの後をついて回っていたえあのエトンちゃんが言うようになったじゃなぁい? あらぁ? そういえば今日はジャンヌちゃんは一緒じゃないのかしらぁ?」
「だから! こちらの質問に答えてくださいッ!」
からかうようにはぐらかす魔族に、エトンは声を張り上げる。彼女にとってジャンヌの死は、触れられたくない泣き所だった。思わず感情的になってしまうのも無理はない。そんな心の揺らぎを、魔族は見逃さなかった。
「あーらあら、そんなに怒っちゃって喧嘩でもしたのかしらぁ? それとも……。まぁ、いいわぁ。兵士まで引き連れてここまで来たってことは、もう大体の察しはついてるってことでしょう? つまらない探り合いはやめにしましょう。……その鎧、確かベシスの兵隊さんのよねぇ? 前にずいぶんとおもてなしを受けたから、よーく覚えてるわぁ。王様はお元気ぃ?」
魔族は飄々と尋ねるが、兵士たちは誰も答えない。魔族は無反応は想定内と言った様子で、気にした素振りもなく話を続ける。
「さっき帽子のあなたが言った『占領されたシゼを奪還すべく兵を挙げた』って言うのは嘘……いわゆる建前ねぇ。同盟を結んでいるわけでもないのに、わざわざベシスがシゼのために動くなんてあり得ないものぉ。そんなことしたって、ベシスにはなーんの得もないものねぇ? それをあえて行うってことは、そうせざるを得ない理由があるってことでしょう?」
魔族は間延びした厭らしい口調で、再度尋ねる。まるでこちらの考えを確かめるような言い回しだ。
「無論、理由ならある。勇者が連れ去った者たちを取り戻すためだ。ベシスにとって大事なもの、返してもらうぞ」
口を開いたのはフランツだった。フランツは敢えて、王女の名を明言することを避けた。この時点では城にマーガレット王女が囚われているかどうか定かではないからだ。シゼに王女が囚われているというのは、あくまでフランツの推論に過ぎない。仮にここに王女がいないとなれば、兵士たちの士気は著しく低下するだろう。『ベシスにとって大事なもの』という抽象的で曖昧な言い方をしてのはそのためだ。
「それで力尽くで奪い返しに来たってわけねぇ。まぁ、王女様がいなくなったんじゃ、国としても示しがつかないものねぇ?」
フランツの言葉に誘われ、魔族は王女という言葉を口にした。
「何故、王女を誘拐した?」
「さぁ、私に聞かれてもねぇ? 主導したのは勇者様ですもの。まぁ、あの方は若くて美しい娘が好みですから、見込まれたと言ったところかしらぁ?」
フランツの問いに、あっけらかんと魔族は答える。魔族はあっさりと白状した。自分が王女誘拐の共犯者であることを。そしてそれが合図だった。
「奴を退けて、マーガレット様をお救いするのだ! かかれッ!!」
クリフの号令と同時に、兵士たちは一斉に魔族に向かって突撃を開始した。だが、魔族は身じろぎ一つせず、妖艶な笑みを崩さない。何百もの敵意を向けられ、今まさに攻撃を仕掛けられようとしているにも関わらず、だ。
(この状況であの態度は何だ? 何で笑っていられるんだ?)
アレンは魔族が浮かべた笑顔の不審さに違和感を抱く。
その時、奇妙な事が起こった。魔族に向かって行った兵士たちが、次々と倒れていくのだ。原因は魔族に違いない。だが、魔族はただ笑みを浮かべて立っていただけだ。魔法を使った様子は見られない。
(奴は魔女と違って、予備動作なしで魔法が使えるのか!? いや、そもそもこれは魔法……なのか? 俺たちの知らない、何か別の能力の可能性もあるんじゃないのか?)
混乱の中、思考を巡らす内にアレンは魔族の笑顔の意味を理解した。魔族は最初からこうなる事を予期していたに違いない。巣を張り、獲物を捕らえる蜘蛛の如く、兵士たちが罠にかかるのを待っていたのだろう。魔族にとってこの状況は危機ではなく好機なのだ。そう考えれば、笑っていたとしても何ら不思議はない。
魔族は変わらず笑みを浮かべている。初めは妖艶に思えた笑顔が、今は悪魔のように見えた。




