第31話 忍び寄る"魔"
一体、この老婆は何者なのか(棒読み)
老婆が一人、歩いている。しかしその姿はどこか不自然だ。
右手には杖を持ち、それを突きながら歩いているが、その割には歩みはしっかりしている。歩調と杖を突くタイミングもてんで合っていない。
持っている杖自体も異様だ。老婆の身の丈に合わない程に長く大きい。持ち手には真っ赤な宝玉が埋め込まれており、歩行を補助する道具にしてはあまりにも仰々しい。
老婆の目の前には木造の巨大な門がある。辺りを見渡すが、見張りはいないようだ。門自体もだらしなく開け放たれており、侵入者を防ぐと言う本来の役目は果たせそうにない。
開け放たれた門を通り抜けると、人の気配はまばらで見るからに活気がない。老婆は辺りを見渡して誰も見ていないことを確かめると、スタスタと歩き出し近くの建物へと入って行った。
中では一人の男が机に突っ伏して寝ていた。他に人影は見当たらない。老婆は男に声をかける。
「もし、すいません」
「あん? 何だ、婆さん?」
「やけに寂れておりますが、これは一体、どういうことで? 話ではこの救いの里は、女神様を信仰する大勢の人々で賑わっておると聞いたんですが……」
「何だ、婆さんも今頃やって来たのか。そいつは残念だったな。もうここはもぬけの殻だぜ」
「と、言いますと?」
「何でも女神様が殺されちまって、救いの里は立ち行かなくなったって話だぜ」
「何と! 女神様が……」
老婆はこれ見よがしに驚いて見せる。男はさらに続ける。
「ユーダだかペテルだか言う奴に殺されたんだと。俺も少し前に来たばかりだから、詳しくは知らないけどよ。ここに来れば、飯も酒も寝る場所も無料で恵んでもらえるってんで来てみりゃ、この有り様だ。まったく、とんだ無駄足だったぜ」
「……そんなことになってたとはね」
「んっ? 婆さん、何か言ったか?」
「いえいえ、単なる独り言ですじゃ」
「帰ろうにも腹は減ってるし持ち合わせはないしで、ほとほと困り果ててんだ。金さえあれば、近くの村まで行って飯を食って馬車を呼べるんだが……」
男は老婆の杖を物欲しそうに見つめながら言う。そして老婆の杖に言及する。
「ところで婆さん、いかした杖だな。ちょっと見せてくれよ」
「いえ、これは人様にお見せするような立派なものではありませんで……」
「まぁまぁ、そう言わずに。すぐ返すからよぉ」
渋る老婆に男はなおも食い下がる。男は老婆から杖を奪おうと考えていた。
杖に埋め込まれたあの宝玉……あれを売ればかなりの額になりそうだ。
金があれば飯は食えるし、酒も飲める。馬車を呼んで悠々と帰ることもできる。余った分は日々の暮らしに充てればいい。具体的にいくらで売れるかは分からないが、しばらくは働かずに暮らせるだけの金にはなるだろう。もし抵抗されたとして、ババア相手だ。腕尽くで奪えばいい。
「なぁ、いいだろー? 少しぐらい……」
男は邪な腹積もりを隠そうともせずに、老婆の杖に手を伸ばす。
「触るなッッ!!」
男の手が杖に触れた途端、老婆は凄まじい剣幕で怒声を発した。男は僅かに怯んだが、攻めの姿勢は崩さない。
「いきなりデカい声出しやがって……。おい、ババァ! 痛い目に遭いたくなければ、大人しくその杖を……」
男の恫喝を遮るように、老婆はサッと杖を振った。刹那、男の身体は真っ赤な炎に包まれた。
アツイ、イタイ、クルシイ、アカイ……
叫び声を上げる間もなく、男はその場に崩れ落ちる。
炎は周りに燃え広がることもなく、男の身体だけを瞬時に焼き尽くした。
「汚ねぇ手で触るんじゃねーよ! 下種が!!」
老婆は口汚く男を罵ると、荒々しく扉を開けて外へと出て行った。
開け放たれた窓から風が吹き込む。灰燼は風に運ばれ、何処へと消えた。
深い深い緑の中を老婆が一人、歩いている。救いの里の北に広がる広大な森林地帯。鬱蒼とした木々が生い茂り、昼間でも薄暗く、陰鬱とした印象を抱かせる。
救いの里が賑わっていた頃は人が近寄らないのをいいことに、女神たちが救済した信者の亡骸を隠すのに使っていたが、今となってはこの森を訪れる者は誰もいない。
この森には"人払いの魔法"がかけられていた。決められた道順を通らなければ、決して奥へは進めないようなっている。魂と罪の救済の"真実"が信者たちに露見しないよう、女神たちが仕掛けたからくりだった。
それとは別に、この森にはある噂があった。怪物が出ると言う噂だ。目撃者の話によると、怪物は見上げる程の一つ目の巨人だとか。この噂も女神たちが人を森に近付けないために流したのだろうか? しかし女神亡き今、真相は闇の中だ。
そんな森の中を老婆は歩いていた。足取りは軽やかで、もはや杖も突いてはいない。人払いの魔法も怪物の噂も物ともせず、老婆はどんどん奥へと進んで行く。
しばらく進み、老婆はある場所で足を止めた。薄暗い森の中で、そこだけは柔らかな日差しが降り注いでいた。一見すると穏やかな光景だが、周囲の様子はとても穏やかとは言い難い。
この鬱屈とした森の中でそこだけが陽だまりとなっているのは、空を覆うものが何もないからだ。
生えていた木々はなぎ倒され、辺りには残骸と化した木片が散らばっている。根元から引き倒され、押し潰された木片は見るも無残で、とても人間の仕業とは思えない。巨大な何かが暴れ回ったとしか考えられない光景だった。
老婆はそこで指笛を吹いた。澄んだ音色が高らかに響き渡る。刹那、大地を震わす地響きと共にそれは現れた。
それは老婆の前に姿を見せると、凄まじい声量の雄叫びを上げた。獣とも人ともつかないその鳴き声は、強い怒気を孕んでいた。力任せに木を引っこ抜き、地面に叩きつけ、地団駄を踏むように徹底的に踏み砕く。深い森の中にできた穏やかな陽だまりは、それが暴れ回った結果だった。
その荒れ様を見た老婆はつぶやく。
「かーなり気が立ってるなぁ……。最後に"餌"をやったのいつだったっけ? 救いの里があの状況じゃ、新鮮な"餌"は手に入らないだろうし、新しい供給ルートを探さなきゃだよねぇ……」
「グオォォォォ!!!!!」
「あー、もう! うっさいなぁ! こんなことならさっきの下種ヤロー、燃やさずに連れて来るんだった!」
耳をつんざくような鳴き声に老婆はヒステリックに喚き散らす。その声と口調は老齢の女性とは思えぬ程に甲高く落ち着きがない。
耳を塞ぎながらふと顔を上げると、一羽の鳥が空を飛んでいるのが見えた。
老婆はすかさず上空に向かって杖を振る。すると晴れ渡った空にたちまち暗雲が立ち込め、雷鳴が轟いた。数秒前まで優雅に空を舞っていた鳥は、雷に射抜かれ真っ逆さまに地に墜ちた。
「グォォォォン!!!!」
それは再び雄叫びを上げる。おそらく今度は歓喜の雄叫びだろう。
墜落した鳥を引っ掴むと、巨大な手でブチブチと羽を毟り始めた。どうやら食事の前の下ごしらえらしい。
「少しは大人しくなったけど、この程度じゃ腹の足しにもならないか……」
老婆は暫し考え込む。
「しゃーない。近くの人里で情報集めつつ、適当に"餌"も見繕ってくるか……」
そうつぶやくと老婆はどこからともなく地図を取り出した。
老婆が起こした数々の業。火打石も使わずに火を放ち、晴天に霹靂を起こし、何もない所から地図を取り出す。その様はまるで"魔法"だ。
「んー、やっぱ情報集めるなら人が多いとこの方がいいよねー」
老婆は地図を眺めながらひとりごつ。
「この近くで一番大きな街はっと……ベシスの都か」
森の中にそれを残し、老婆は次なる目的地へと向かった。
ベシスへ向かう道すがら、老婆は四人連れの旅人とすれ違った。
一人目は見るからに屈強な身体の「筋肉だけが取り柄です」という顔をした頭の悪そうな大男。
二人目はやせ形の長身で見慣れない帽子をかぶった「自分は頭がいい」と言いたげな表情の傲慢そうな男。
三人目は赤茶色の髪と垢抜けない顔の田舎臭い若い男。
四人目は純白のローブに身を包みフードを目深にかぶった性別不詳の小柄な人物。
(あの服は……)
すれ違う瞬間、老婆は四人目の服装に着目した。あの白いローブは、救いの里で女神が信者たちに着せていたものだ。あの四人も女神の信奉者なのだろうか? しかし他の三人は白いローブを着用していない。
老婆は暫くの間、四人連れの後ろ姿を眺めていたが、やがて興味を失ったのかベシスの都へと歩みを進めた。




