第112話 手掛かり
異文化コミュニケーション? ちゅうのはやっぱりええと思うねんな(激古)
「これがフランツさんの残してくれた最後の手掛かり……。中を見てもいいですか?」
「えぇ、もちろんですとも」
エトンは許可を取ると、エルダからフランツの形見の品を受け取った。表紙の黒い革はとても滑らかですべすべとしていて、素晴らしく触り心地がいい。中を開くと丁寧で細かい文字のようなものが等間隔に並んでいる。パラパラとめくってみたが、どの頁も同じような様相だった。白い部分を埋め尽くさんばかりに、細かく書き込まれている。これを見ただけで持ち主の几帳面さがよく分かる。だが、エトンに分かったのはそれぐらいだった。
(よ、読めない……)
頁の大半を占めている文字のようなものは、生まれて初めて目にする道の言語で、何と書かれているのか皆目見当がつかない。かろうじて読み取れた文字は「これは何だ」「あれは何だ」「水」「木」「石」とまるで要領を得ず、意味のある文章とは到底思えない。
「何て書かれているんですか? これ……」
「それが……分からないのですよ」
「わ、分からない……?」
予想外の返答に、エトンは間の抜けた声を上げた。
「資料を漁ったり、都中の人々に聞いて回ったりして手を尽くしたのですが、どうにも思うような答えを得られず手を焼いていたところでして……」
エルダは決まりが悪そうに、頭を掻きながら答える。
「そ、そうなんですか。でも……何が書かれているか分からないのでは、手掛かりにはならないんじゃありませんか……?」
「その点についてはそれがしも同意ですな。アレン殿はどうお考えで? ま、まさか既にこの文字を解読なされた……とか!?」
「いいや、俺にもこの文字は分かりません。でも……もしかしたら奴になら書かれている言葉の意味が分かるかもしれない」
「奴……? 一体、誰のことですか?」
エトンの問いにアレンは答える。
「ほら、一人いるじゃないか。同じように意味の分からない言葉を使っている男が」
「……勇者」
「つまりあの者とフランツ殿は同じ言語を有している……と?」
アレンの言葉にエトンは小さくつぶやき、エルダは確かめるように尋ねた。アレンはその質問に首を振る。
「それはまだ分かりません。単に俺たちには分からない謎の言葉という共通点から、そうなんじゃないかと思っただけです」
「し、しかしもし仮にあの者にこの言葉が分かったとして、意思の疎通ができないのでは確認の仕様がないのではありませぬか?」
「そこは奴の反応で判断するしかないでしょう。この文字が奴にとって馴染みのあるものならば、何らかの反応を示すはずです。一先ずこの文字を見せてみましょう。それで何か分かるかもしれません」
アレンは端的に意見を述べた。その整然とした物言いは、まるで在りし日のフランツのようだった。
狭く暗い地下牢の中、俺は自分の身に起きた変化に途方に暮れていた。今までごく普通に通じていた言葉が通じない。俺は奴らが口にする言葉を理解できず、奴らも俺の言葉が分からなくなったようだった。訳の分からない状況に打ちひしがれた俺は、頭を抱えて項垂れた。
「一体、何でこんなことに……」
力なくつぶやくと同時に、俺はさっき見た光景を思い返していた。篝火に照らされて兵士の鎧に映し出されたは、勇者の姿ではなかった。俺の目に映ったのは、生まれてから何十年もの間、散々俺を苦しめてきた大嫌いな顔だった。この顔のせいで俺は……! いや、落ち着け。今はそんなことを考えている場合じゃない。
どうにか冷静さを取り戻した俺は、自分の身に生じた変化について考えることにした。
(気を失って目を覚ましたら、まったく違う姿になっていた……。あの時とまるで同じだ。いや、今回は元に戻ったと言うべきか? いきなり言葉が通じなくなったのも、それが関係しているのか……?)
だが、いくら考えても俺の身に何が起きたのかは分からなかった。そもそも、どうやってこの世界に来たのかすらよく覚えてはいないのだ。いくら考えたところで、姿が変わった理由など分かるはずもない。
俺が頭を抱えていると、ギギギィという音がした。地下牢への入口の扉が開く音だ。間もなく姿を現したのは、長身のメガネの女だった。
(さっき出て行ったと思ったら、また戻ってきたのか。一体、今度は何だってんだ?)
俺が怪訝に思っていると、女は見張りの兵士に篝火を渡した。そして懐から何かを取り出すと、俺に向かって広げて見せた。
「ロオケティヒエス!」
女は例のごとく意味不明な言葉で俺に話しかける。相変わらず言葉の意味は分からないが、何を言っているのかは何となく想像できた。
「『見ろ』と言ってるのか……?」
その様子からそう読み取った俺はもそもそと起き上がり、のそのそと女に近付いた。煌々と燃える篝火の眩しさに顔をしかめながら目を遣ると、女が手にしているのは小さな本のようなものだと気が付いた。
(これは……手帳か?)
目を凝らしてよく見ると、細かい文字が書き込まれている。それを見た瞬間、思わず俺は声を上げた。
「こ、これは……!?」
ひらがな、カタカナ、漢字……。手帳に書かれている文字は、間違いなく日本語だった。
「おいっ! お前、日本語が分かるのか!? だったら俺をここから出してくれ!」
「……ゥハティアレヨウサィンジ?」
俺は両手で鉄格子を掴み、女に話しかけたが、返ってきたのは日本語ではなかった。
「クソッ! 何なんだよ!? 何で日本語で書かれてるのに言葉が通じねーんだよ! 俺をバカにしてんのか!?」
淡い期待を踏みにじられた俺は、怒りに身を任せてガシャガシャと鉄格子を揺らす。
「イチエスダンゲロウエス! エスタィアワィ! ヘィ! ドンティラゲ!」
兵士は女と俺に向かって交互に叫ぶと、牢から女を引き離した。
「おい、まだ行くな! 話はまだ終わってねーぞ! せめてそれだけでも置いていけ!」
俺は鉄格子の隙間から手を伸ばし、懸命に叫ぶ。突如として言葉が通じなくなった今の状況において、日本語の書かれたあの手帳は唯一の手掛かりだ。逃がすわけにはいかない。
俺の必死の訴えを理解したのか、女は確かめるように持っている手帳を指差した。通じるのかは分からないが、俺はぶんぶんと首を縦に振る。女は恐る恐る手を伸ばし、手帳を差し出した。俺はそれをひったくるように奪い取ると、食い入るように中を見た。
『どうやらここは、私が元いた世界とは全く異なる場所のようだ。所謂、異世界というやつか。信じ難いが、こうして目の前に見慣れぬ風景が広がっている以上は信じざるを得まい』
手帳にはそんな風なことが書かれていた。どうやらこの手帳の持ち主も突然、この世界にやって来たらしい。俺の他にも同じ境遇の奴がいたなんて驚きだ。だが、今はそんなことに構っている暇はない。
他に何か手掛かりはないかと、俺は必死に頁をめくる。そして俺はあることに気が付いた。日本語に交じって英語が書かれていることに。
「『what's this』『what's that』『water』『tree』『sky』……」
俺は記されたていた英語を、思わず口ずさんだ。何故、日本語に交じって英語が……? ほとんどが日本語で書かれていることから、この手帳の持ち主は日本人で間違いない。わざわざ英語でメモを残す必要などないはずだ。俺は問う。
「おい! これは誰が書いたんだ? これを書いた奴をここに連れて来い! そいつなら俺の言葉が分かるはずだ!」
「……イドンティケノゥゥハットティヨウアレサィインジ」
「……クソッ! 埒が明かねぇ! これだよ! これ! この手帳の持ち主だ!」
苛立った俺は、興奮気味に開いた手帳の頁をバシバシと叩いた。
「……ワテアル」
「だーかーらー! 何を言ってんだよさっきからよぉ! ここにそんな言葉、書いてねぇだろうが!」
俺は毒づきながらもう一度、手帳の中を見る。そこには「water」と書かれていた。
「待てよ……もしかすると……」
ある可能性に気付いた俺は、試しに日本語で書かれた部分を指し示してみた。が、反応はない。次に俺は、「tree」と書かれた部分を指し示した。
「……ティレエ」
今までとは異なる反応に俺の胸は高鳴る。もしかするとこいつは英語なら分かるんじゃないのか? だが、おかしい。今までの言葉を聞く限り、こいつらが喋っているのは明らかに英語ではない。それなのに書かれた英語に反応するというのは、どういうことなんだ? しかしそれなら……
「おい、紙とペンをよこせ! 紙とペンだよ! 分かるか?」
俺はジェスチャーで紙と書くものを持ってくるように要求した。英語が分かるなら、筆談で意思の疎通ができるのではないかと考えたからだ。
女はどうやら俺の意図を理解したらしく、懐から折りたたまれた神と羽ペンを取り出して俺に渡した。
(通じるか分からないが、とにかくやるしかない……!)
俺は藁にも縋る気持ちで羽ペンを走らせ、記した文字を女に見せた。
Please help me!
それを見た見張りの兵士は驚いたように目を見開いた。一方の女は、懐からもう一組の紙とペンを取り出すと、何事かを紙に書き始めた。間もなく書き終えた女は、俺にそれを見せた。
Who are you?
女が書いた文字は間違いなく英語だった。何故、こいつらが英語を理解しているのかは知らないが、これで筆談で意思の疎通ができる。安堵した俺は女の質問に答えることにした。
(『お前は誰だ』か……。姿が変わったことで、俺が勇者なのかどうか疑っているんだろう。まずは俺が間違いなく勇者であることを伝える必要があるな……)
そう考えた俺は、こう書いて女に見せた。
I'm Hero




