第111話 残されたもの
ゾロ目ですよ、ゾロ目!
「ほほぉ、これが勇者ですか……」
エルダは牢の中の男を確かめるようにジロジロと眺め見ると、興味深げな様子でしみじみとつぶやいた。
「確かに我々のよく知る勇者の姿とは、似ても似つきませんなぁ」
牢の中では髭面の男が力なく寝台に腰掛けている。エルダはつかつかと牢獄へと歩み寄ると、鉄格子の向こうの男に向かって声をかけた。
「あなたは誰ですか?」
「……」
しかし男は首をもたげてエルダの方をチラリと見ただけで、一言も発することはなかった。
「反応はすれども返答はなしですか……。いつ頃からこのような状況になったのでありますか?」
エルダの質問に見張りの兵士が答える。
「はっ! ここに運び込まれた時はまだ意識がありませんでした。目を覚ましたこの者は牢をこじ開けようとしましたが、何故か途中で断念したような様子でした。その後はしばらくの間、何事か喚き立てておりましたが、しばらくすると諦めたように大人しくなりました。その後は見ての通りです」
「ちなみに何と言っていたのですかな?」
「それが……終始訳の分からない言葉で何を言っているのかさっぱりでして……」
「訳の分からない言葉?」
「今までに聞いたことのない言葉で、まったく意味不明でした」
「……ということは、話していたのはベシスの公用語ではないと?」
「聞いた限りはそのようでした。念のため四か国の兵士にも確認させましたが、誰一人としてこの者の言葉を理解できる者はおりませんでした」
「ユガンデール、フェルシュタット、ノーム、オルカナ……そしてベシスの人間にも分からない言語ですか。いやはや一体、どこの国の言葉を話していたのやら……」
やれやれと言う様子で首を振るエルダに、見張りの兵士は声を潜め耳打ちをする。
「……仲間内では気の狂った振りをして、こちらを油断させようとしているのではないかという話も出ているのですが……どうでしょうか?」
それを受け、エルダもひそひそ声で答える。
「ふーむ、確かにその可能性も否定はできませんが、現時点では何とも言えませんなぁ。そもそもこれだけ大きく姿形が変わってしまっては、彼が本当に勇者と同一人物なのかすら……」
「……では、どうするおつもりで?」
「やはりこういう場合は、実際に勇者と面識のある方から話を伺うのが一番でしょうなぁ」
兵士の問いにエルダは答える。牢の中の男は相変わらず黙り込んだまま、淀んだ目で二人のやり取りをぼんやりと眺めていた。
「……というわけで、どうにも行き詰まっておりまして……。今までの戦いの中で培ってきた知見を是非ともお借りしたく、お呼びした次第であります!」
大量の書物が堆く積まれた研究室にて、エルダは高らかに宣言した。彼女は勇者と関わりが深いアレンとエトンの二人から話を聞くことで、状況を打開する手掛かりを得ようと考えたのだ。
「……」
エルダの話を受けたアレンは、腕組みをしながら顎に手を当てて何事かを考え始めた。アレンが頭の中で情報を整理する隣で、エトンはおずおずと口を開く。
「そう言われても、私には何が何だか……。アレンさんならまだしも、私がお役に立てるとは思えません」
「そう難しく考えることはないですぞ、エトン殿。確か勇者は、例の腕輪を身に着けた直後にあの姿になり、エトン殿はその瞬間を目撃している……。ここまではよろしいですかな?」
確かめるようなエルダの問いに、エトンは静かに頷く。それを見たエルダはさらに尋ねる。
「勇者の姿形が変わるのを見た時、エトン殿はどう思いましたか?」
「少し……驚きました」
「『少し』……ですか。もしそれがしがその場に居合わせたのなら、少しどころか大騒ぎする自信がありますぞ。何しろ目の前の人間がまるっきり別人に代わってしまったわけですから。それが"少し"で済んだのは何故ですかな?」
「知っていた……からでしょうか」
「『知っていた』?」
エトンが口にした言葉を、エルダは思わず繰り返す。
「私たちは以前、魔女が全くの別人に姿を変えるのを見ています。今回もその時と同じように、魔法で姿を変えたんだと思ったんです」
「確かに一度経験していれば、驚きも少ないでしょうな。つまり……あの人物は紛れもなく勇者であるとエトン殿はお考えなのですな?」
「……はい」
エトンはこくりと頷いた。
「なるほどなるほど。大変参考になりましたぞ。アレン殿にも御意見をいただきたいのですが、よろしいですかな?」
「そうですね……」
意見を求められたアレンは、腕組みをしたまま答える。
「俺もエトンと同じ考えです。背中の傷と腕輪を考慮すると、単に姿を変えただけと考えるのが妥当だと思います。ただ……」
「ただ……何ですかな?」
「魔法で姿を変えたとして、何故わざわざあんな姿になったのか? 逃げ出さずに大人しくしているのも謎です。魔法が使えるのであれば、力尽くで脱獄することも可能なはずです。現に一度、奴は牢をこじ開けようとしたんですよね? だが、どういうわけか奴はそうはしなかった」
「或いは……できなかった」
アレンの意見を補足するように、エルダがぽつりとつぶやいた。アレンは続ける。
「ところができなかったと仮定すると、前提が崩れるんですよ。俺たちはあの腕輪には魔法を封じる力があると結論付けましたが、奴は魔法で姿を変えている。つまり俺たちが導き出した結論は誤りだったということになります。でもそうなると、大人しく捕まっている理由が分からない。さっきも言ったように、力尽くで逃げればいいわけですから」
「あちらを立てればこちらが立たず。堂々巡りですなぁ……。いっそ当人に直接事情を聞ければ早いのですが、正直に話してはくれないでしょう」
溜め息交じりのエルダの言葉に、アレンは再び思案を巡らせる。
奴は一体、何を企んでいるのか? 奴が話していたという訳の分からない言葉。そこに何か意味はあるのだろうか?
(急に言葉が分からなくなったわけでもあるまいし、やはり演技と見るべきか? だが……そんなことをして何の意味がある? まさか……本当に言葉が分からなくなったとでも言うのか? 何故、急にそんなことが……姿を変えた影響か……?)
難しい顔をするアレンの横で、エトンはぽつりとつぶやく。
「こんな時、フランツさんがいてくれたら……」
エトンは在りし日を懐かしむように、今は亡き仲間の名を口にした。
フランツ。魔王の死を突き止め、勇者の死を暴いた男。もしもフランツがいなければ、アレンたちが勇者の真相を知ることもなかっただろう。フランツならば、この謎を解き明かす冴えた方法を必ず見つけ出したはずだ。だが、フランツはもういない。彼はもう死んだのだ。いくら嘆いたところで、死者が蘇って助言をくれることなどありはしない。いなくなった者を当てにするのは、意味のない現実逃避でしかない。この問題は残されたもので解決するしかない。そう、残されたもので――
「そうだ……フランツさんなら何か分かるかもしれない」
「……えっ?」
アレンの言葉にエトンは戸惑った。フランツがもうこの世にいないことは、アレンも重々承知のはずだ。死者に助けを借りることなどできない。それをアレンは否定するどころか同意した。自分が吐いた弱音がアレンを追い詰めてしまったのだろうか?
「で、でもフランツさんはもう……」
アレンの様子を案じたエトンは、慌てたように自らの吐いた弱音を否定した。
「分かってるさ、エトン。フランツさんはもういない。でも……フランツさんが残してくれたものがある。もしかしたらあの中に何か手掛かりが書かれているかもしれない」
「あぁ……アレですな」
エルダはその言葉にピンと来たらしく、何かを思い出したかのように小さくつぶやいた。だが、エトンには何のことやら見当もつかない。
「フランツさんが残してくれたものって一体、何なんですか……?」
エトンの質問に、エルダは机の上に置かれていた一冊の本を手に取った。だが、それはこの部屋に大量に積まれている書物より二回り程小さく、そして薄かった。ちょうど手の平に収まるぐらいの大きさしかない。
「それは本……ですか? それにしては少し小さいようですけど」
不思議そうに尋ねるエトンにアレンが答える。
「これがフランツさんが残してくれた最後の手掛かりさ」




