第110話 ただいま
溢れ出るロマンスのかほり
「よし、これで大丈夫だろう」
処置を終えたゴードンは、包帯を巻いたアレンの背中をポンと叩いた。
「ありがとうございます、ゴードンさん」
「なに、礼には及ばんよ。薬膏を塗って包帯を巻くだけの簡単な処置だったからな。君は運がいい。もう少し傷が深かったら、縫わなければならないところだったぞ」
「……あの時、勇者は傷を負っていました。それが幸いしたんだと思います。それよりも、他の皆さんは大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。負傷者は多いが、奇跡的に死者はいなかった。とはいえ、あれだけの数の怪我人を診るのはずいぶんと骨が折れたがな」
「そう……ですか。良かった……」
ゴードンの言葉を聞いたアレンは、安堵したように溜め息を吐いた。そんなアレンに対し、ゴードンは感慨深げにしみじみとつぶやく。
「しかし君の顔を見た時は驚いたよ。てっきり、処刑されたものとばかり思っていたからな」
「……勇者を欺くために身代わりを立てたんです。あの時、公開処刑されたのはその身代わりです」
「そうか……そんなことが……」
「俺は勇者を討つために……他人の命を犠牲にしたんです。あの人は……本当は死にたくなんてなかったのに、俺は自分の都合であの人を……!」
後悔の念を口にするアレンの肩を、ゴードンは労わるように優しくポンと叩いた。
「色々と思うところもあるだろう。自責の念に駆られるのも無理はない。だが、私は君が無事でいてくれて、良かったと思っている。私だけではない。家内もそうだ。君の無事を話したら泣いて喜んでいたよ。自分を責めたくなる気持ちは分かるが、君の無事を喜ぶ者がいるということも忘れないで欲しい」
「……ありがとうございます」
「礼なら隣の部屋にいる家内に言ってやってくれ。そろそろ彼女の手当ても済んだ頃合いだろう」
勇者との戦いを終えた彼らは、一路ベシスへと帰還していた。ゴードンの言葉通り死者は出なかったものの負傷者は多く、町医者であるゴードンも駆り出され、治療に当たっていた。
ゴードンに送り出され隣室へと向かったアレンは、おずおずと部屋の扉をノックした。間もなく扉が開くと、現れたのはゴードンの妻であるアリスだった。
「あらあら、まぁまぁ! 誰かと思えば、アレン君じゃない! まったく、今までどこで何をしていたのかしら? 本当に心配したのよ?」
「……すみません。ご心配をおかけして……」
「本当よ。あなたが処刑されると聞いた時は気を失いそうになったわよ。それに今日、あなたが生きていると聞いた時もね」
「……すみません」
謝罪を繰り返すアレンにアリスは困ったようにふっと微笑む。
「でも、あなたが生きていてくれて本当に良かったわ。ずっと心配していたんですもの。あなたも色々あったのよね? 彼女から聞いたわ」
アリスは窓辺に視線を移した。窓辺にはベッドが置かれ、その上には黒髪を後ろで一つに結んだ少女の姿があった。
「私は席を外すわ。色々と積もる話もあるでしょうからね?」
そう言うと、アリスは部屋を出ていった。部屋にはアレンと少女の二人だけが残された。アレンはおずおずと窓辺へと向かう。
「エトン……その……怪我は大丈夫か?」
アレンの質問に少女は答える。
「……はい。肩は痛みますが、アリスさんの手当のおかげで楽になりました。アレンさんの方こそ……怪我の具合は大丈夫なのですか?」
「あ、あぁ……この通りピンピンしてるよ」
「そう……ですか……」
「……」
「……」
訪れる気まずい沈黙。どちらも口が上手い方ではないのに加え、あまりにも久しぶりの再会で何を話せばいいのか分からずにいたのだ。その沈黙にアレンはふと懐かしさを覚えた。
「……初めて会った時もこんな感じだったな」
「えっ?」
「ほら、ベシスの酒場でさ」
「あぁ、ありましたね。……あの頃は私たち、お互いの名前も知りませんでしたね」
「それどころか敵同士だったんだからな。それが一緒に旅することになるだなんてさ」
「そう……ですね。これまで色々ありましたね。色々な人と出会って……そして別れて……ジャンヌさんも……フランツさんも……が、ガラルドさんも……」
そう話すエトンの声は震えていた。
「あ、アレンさんが処刑されたと聞かされた時は……目の前が真っ暗になりました……。『私はもう独りなんだ』って……。でも良かった……。アレンさんが無事でいてくれて……」
「エトン……」
エトンはベッドから起き出すと、負傷した右腿を庇うようにゆっくりとアレンの側へと歩み寄る。そして彼女はアレンの体に縋りつくように抱き着いた。
「おかえりなさい……アレンさん……」
優しい言葉に穏やかな温もり。だが、彼女の体は小さく震えていた。
「あぁ……ただいま、エトン」
アレンは震えるエトンの体を慈しむように優しく包み込んだ。
「うっ……」
不意に俺は目を覚ました。どうやらいつの間にか気を失っていたらしい。辺りは全体的に薄暗く、現状を把握するための視覚情報は限られていたが、この場所に見覚えがあった俺はここがどこかをすぐに理解した。間違いない、ここはベシス城の地下牢だ。過去に何度か訪れていたのが幸いした。もっとも、牢の中からの景色を拝むのはこれが初めてだが。
俺は寝かされていた寝台からゆっくりと体を起こした。背中の痛みは固い寝台に寝かされていたことだけが理由ではない。見ると俺は上の服を脱がされ、上半身を包帯で簀巻きにされていた。ズキズキと疼く背中の傷が、苦い記憶を呼び覚ます。
烏合の衆の兵士どもを蹴散らしてエトンを追い詰めた俺は、名もなきモブキャラによって背後から斬り付けられた。背後からの不意打ちという卑劣極まりない行いによって負傷した俺は、怒りに震えながらその卑怯者を成敗した。その後だ。あの男が現れたのは。
俺はあの男の口車に乗せられて、奴の持っていた腕輪を奪い、それを左腕にはめた。その後のことはよく覚えていない。体が光に包まれて、全身から力が抜けるような感覚に見舞われたような気もするが、いまいち記憶がはっきりしない。その時に気を失い、意識のない内にベシスに運び込まれたのだろう。ふと左腕に手をやると、冷たい感触があった。俺の左腕にはあの忌々しい腕輪が未だぴったりとはまっていた。
こいつのせいで俺は……!
俺は無性に腹立たしくなり、腕輪を投げ捨てようとしたが、まるで皮膚に張り付いたかのように腕輪は外れなかった。
「……まぁいい。こいつは後だ」
俺は小さくつぶやくと、寝台から抜け出した。背中は痛むが、足元のふらつきや脱力感はない。休んでいる間に幾分、体力は回復したようだ。これなら問題ないだろう。それにしても俺を殺さずに生かしておくとは、マヌケな奴らだ。俺がこんなところで大人しく捕まっていると思ったら大間違いだ。
その時、俺が目を覚ましたことに気が付いた見張りの兵士がこちらに向かって叫んだ。
「ウォタレヨウドーインジ!」
「……は?」
こいつは何を言っているんだ? 意味の分からない言葉に呆気に取られた俺に対し、兵士はなおも喚き散らす。
「ウォタレヨウドーインジ! ドンティモーヴェ!」
さっきから何を言ってるんだ、こいつは? 気でも狂ったのか? こんな奴、相手にするのは時間の無駄だ。
俺は意味不明な言葉を喚き散らす兵士を無視し、両手で鉄格子を掴んだ。俺の力ならこんなもの、こじ開けるなど造作もない。俺は渾身の力を込めて、鉄格子の破壊を試みた……が、鉄格子は開くどころかびくともしない。外れない腕輪といい、さっきからどうなってるんだ? まだ本来の力が戻ってないのか?
俺が憮然としていると、入口の奥から兵士が続々と集まってきた。どうやら騒ぎを聞きつけて来たらしい。
「ウァテャッペネディ?」
「ヘーヲケウピ!」
「ホリィシティ!」
「ゴーアワィ!」
集まった兵士たちの言葉も、やはり意味不明だ。一体、何だってんだ? 俺を馬鹿にしてるのか?
兵士の携える篝火によって、辺りは煌々と照らし出される。その時、俺は見た。鏡のように磨き上げられた兵士の鎧に映る自分の姿を。
落ち窪んだような淀んだ目。伸びっぱなしのボサボサの髪。浮浪者のような無精髭。勇者の端正な顔立ちとは程遠い醜悪な顔。だが、ひどく見覚えのある顔だ。
それは俺がこの世界に来る前の顔だった。




