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第109話 信じる心

今回は今までで一番よく書けたかも

 戦場に響いた叫び声。絹を裂くような声とは程遠い、低く野太い声だ。

「い、痛ぇ……! 畜生……! 何が起きたんだ……!?」

 勇者は混乱した様子で後ろを振り向いた。その時、エトンは見た。勇者の背中が切り裂かれ、赤く染まっているのを。

 叫び声の主は勇者だった。突如として訪れた焼け付くような背中の痛みに、思わず声を上げたのだ。

 エトンが勇者の異変に気付いたのと同じくして、勇者もまた自らの身に起きた異変の原因に気が付いた。鎧を身に纏った一人の若い兵士が肩で息をしている。両手で剣を握り締め、その剣からは真っ赤な鮮血が滴り落ちていた。

 兵士は悔いていた。本来であれば、身代わりとなって処刑されるのは彼だった。だが、兵士は死を恐れた。愛する家族を残して一人逝くことを拒絶したのだ。友はそんな彼を気遣って、自ら身代わりを買って出た。友は気丈だった。地下牢に収監された夜も、執行を迎えた朝も、「これが自分の役目だ」と言い聞かせるように笑っていた。そう、()()()()()()()()のだ。気丈に振る舞っていた友は、最後の最後に本心を吐露した。


『オレはまだ死にたくないッ! こんな形で死ぬなんていやだーーー!』


 それが友の残した最期の言葉だった。まるで駄々をこねる子供のような情けない叫びには、「死にたくない」という悲痛な想いが如実に詰まっていた。処刑台の上で聞いたあの叫び声は、今も耳にこびりついて離れない。

 兵士は(いか)っていた。

 犠牲を強いるような作戦を立てた立案者に。

 その作戦を許可した軍の上層部に。

 諸悪の根源である勇者に。

 友を生贄にしておめおめと生き延びた自分自身に。

「お前のせいでロビンは……! お前が……()()()がいなければぁぁぁぁ!!」

 若い兵士(マルコ)は剣を振り上げ、怒りの叫びを上げながら勇者に襲い掛かる。

「何をワケの分からねぇことをほざいてやがるッッ!!!」

 マルコの叫びに呼応するように、勇者もまた怒声を上げながら向けられた一撃を受け止める。

「ぐっ……!」

 攻撃を受け止めた瞬間、勇者は背中に走った痛みに思わずうめき声を漏らした。

「うぉぉぉぉッ!!」

 さらにマルコは猛烈な勢いで勇者に剣を打ち込む。技術もへったくれもない力任せの連打。まるで子供が棒切れを振り回すような無茶苦茶な攻撃だが、今の勇者には効果的だった。

 勇者は今まで圧倒的な力で、絶対的な勝利を収めてきた。これだけの深手をはおろか、傷一つ負ったことすらない。その強さが仇となった。勇者には手負いの状態で戦うという経験が不足していた。

 剣で攻撃を受ける度、ズキズキと背中が痛む。血を流したせいか足元はおぼつかず、攻撃をかわすこともままならない。ならばと反撃をしようにも、痛みで腕に力が入らない。今の勇者にはマルコの攻撃を受け止めるだけで精一杯だった。

(勝てる……これなら……!)

 防戦一方の様相を呈する勇者に、マルコは勝利の気配を感じ取る。だが――

「……調子に乗るんじゃねぇぇぇぇ!! この……虫ケラがぁぁぁぁ!!」

 勇者は怒りを爆発させると、大地を轟かすような怒鳴り声を上げ、渾身の力を込めて激しく剣を振り抜いた。

 獣のような激しい剣幕に危険を察知したマルコは、身を守るために剣を引き、防御の構えを取った。その直後、真横に薙ぎ払うような痛烈な一閃がマルコに襲い掛かる。マルコは両手に力を込め、剣を握り締めた。刃と刃が触れ合う、甲高い金属音が響き渡る。

「……ッ!」

 予想より遥かに重い一撃に、マルコは思わず息を漏らした。柄を握る両手がジンジンと痺れる。しかしこれを耐えれば勝機はある。この攻撃を防いだら、即座に次の攻撃を叩き込む。それで全てが終わる。

「ミシ……ピキ……」

 勝利への道筋を描いたマルコは、微かな異音を耳にした。何かがひび割れるようなその音は、どうやら自分のすぐ近くで鳴っているようだった。さらにパキィンという小気味いい音が辺りに響いたかと思うと、不意にマルコの手元が軽くなった。次の瞬間、マルコは左方向へと吹っ飛ばされた。宙を舞ったマルコの体はゴロゴロと地面を転がり、ようやく止まる。身に着けていた鎧の右胴部分はぱっくりと割れ、そこから赤い血が流れている。吹き飛ばされた拍子に手放してしまった剣は、根元から刃が折れていた。

 勇者の怒りの一撃は、マルコの防御を貫通し、剣ごと鎧を切り裂いたのだ。防御のために剣を引いたのは賢明な判断だった。刃が緩衝材となって、どうにか致命傷は免れた。もしあのまま攻撃を続けていれば、彼の胴と下半身は泣き別れになっていただろう。

 勇者に初めて傷を負わせ、あと一歩のところまで追い詰めたマルコだったが、勇者を討ち取るにはもうあと一歩及ばなかった。だが、彼に憂いはなかった。

 勇者を討ち取るまでには至らなかったが、負傷させることはできた。これだけお膳立てしてやったのだから、後はきっちりと役目を果たしてもらう。そうでなければ(ロビン)が浮かばれない。息も絶え絶えにマルコはつぶやく。

「後は……()()()が……」

 彼の意識はそこで途絶えた。


「はぁ……はぁ……雑魚が……! 手こずらせやがって!」

 勇者は息を切らしながら、忌々しげに吐き捨てる。苛立ちを抑えきれずに勇者は叫ぶ。

「どいつもこいつも、この俺に盾突いてきやがって! 何だってんだよ、一体!? 何でこう揃いも揃って死に急ぐような真似をするんだ、こいつらは!?」

「……信じているからですよ」

 半狂乱になって叫んだ勇者の問いに、涼やかな声が答える。慌てて振り返った勇者の目に映ったのは、荒野に立つエトンの姿だった。エトンは刺し貫かれた左肩を庇うようにして、右手で押さえつけている。痛々しい姿だが、その顔には毅然とした表情を浮かべていた。

「たとえ力及ばずとも、()()()が必ず貴方を倒す。皆がそう信じているからこそ、犠牲も厭わずに立ち向かっていけるんです」

「『信じている』だと? 何を馬鹿なことを! お前らみたいな有象無象に、この俺を倒せるわけがないだろうがッ!」

「……そうでしょうか? 私の知る限り、貴方は戦いで傷を負ったことはありませんでした。その貴方がたった一人の兵士に傷を負わされた。思いも寄らない事態に、かなり動揺しているのではないですか? 怪我をしていると、体を動かすのも辛いでしょう?」

「だ、黙れ! 黙れぇ!」

 エトンの言葉に反論するように勇者が叫んだ直後、その男は再び姿を現した。男は静かな足取りで、勇者の前へと躍り出る。

「ヒッ……!?」

 男の登場に勇者は情けない声を上げた。一歩、また一歩と男が歩みを進める度に心臓の鼓動が早くなる。額に浮かんだ冷や汗がゆっくりと頬を伝う中、勇者はチラリとエトンを見た。

(やるなら今しかねぇ……!)

勇者は心の中で決意を固めると、もつれそうになる足をどうにか前へと運んでエトンの側に走り寄る。そして彼女の首に腕を回すと、その喉元に剣を突きつけた。

「動くんじゃあねぇ! こいつを殺されたくなければ、今すぐ俺に降伏しろッ!」

「くっ……! 卑怯な……!」

 追い詰められた勇者は、エトンを人質に取ったのだ。勇者の腕の中でエトンはもがく。本来であれば、後れを取るような彼女ではなかったが、負傷のために反応が遅れ不覚を取った。

 家族、故郷、仲間……。自分から全てを奪った元凶が目の前で仲間を人質に取っている。にもかかわらず、男は極めて冷静だった。

 男は勇者の余裕のなさを見抜いていた。圧倒的な力の差があるのなら、わざわざ人質を取って降伏を迫る必要などない。力でねじ伏せればいいだけの話だ。そうしないということは、何らかの理由があるはずだ。

(傷を負って気が動転しているように見えるが……。しないのか、或いはできないのか……)

「おいっ、聞いてるのか!? こいつがどうなってもいいのか!?」

(……俺を誘い込むための演技という可能性も考えられる)

 勇者の真意を測りかねた男は、ズボンのポケットからおもむろに何かを取り出した。

「な、何だ、それは? それで何をしようってんだ? 何を企んでやがる!?」

「これはお前を倒すための最後の切り札だ」

「その小汚い腕輪が? ふんっ! はったりだ!」

「この腕輪はお前の仲間の魔族が持っていたものだ」

「あの女が……?」

「この腕輪には奴の力が込められている。お前も仲間だったんなら、奴の力の恐ろしさは知っているはずだ。これを着けた時がお前の最後だ」

 男はそう言って、自らの腕に腕輪を着けようとした。その刹那、勇者はエトンを突き飛ばし、男に向かって剣を振るった。放たれた斬撃は男の胸元を切り裂き、男はその場に倒れ込んだ。

「うぐっ……!」

「あ、アレンさんッ!!」

 エトンの悲鳴が木霊する中、落ち着きを取り戻した勇者は悠然と倒れた(アレン)に近付いていく。

「く……そ……!」

 アレンは取り落とした腕輪を掴もうと、這いつくばったまま右手を伸ばした。勇者はその手を踏みつけ、アレンの顔面に剣先を突きつけた。

「おっと、そこまでだ。調子に乗ってペラペラと喋り過ぎたな」

 勇者は器用に剣先で腕輪を拾い上げると、しげしげとそれを眺めた。

「こいつが切り札か。確かにあの女はコソコソと何かしてたようだが、こんなもんを作ってたのか」

「か、返せ! それは……!」

 足元でうめくアレンを見下し、勇者はニヤリと笑う。

「安心しな。こいつは俺がありがたく使ってやる」

 そう言うと男は、自分の左腕に腕輪を着けた。その瞬間、勇者の体は眩い光に包まれる。

「な、何だこれは!? 力が……!」

 ()()()()()……!?

 不意に訪れた虚脱感に耐え切れず、勇者はがくりと片膝をついた。それを見たアレンはふらふらと立ち上がり、ニヤリと笑った。

「信じていたよ。お前は必ずこうするだろうと」

「なん……だと……?」

「その腕輪は最初からお前に使う予定だったのさ。俺がそいつを切り札と説明したのは、お前に行動を起こさせるためだ。そしてお前は思惑通りに、俺からそいつを奪い取った。ありがとう。俺の言葉を信じてくれて」

「また俺を……騙したのか……!!」

 歯を剥き出しにして睨みつける勇者に、アレンはクールに答える。

「言っただろ? 『これを着けた時がお前の最後だ』って」

「この……卑怯者がぁぁぁぁ!!」

 勇者が怒りの咆哮を上げると、その体はより一層、眩い光に包まれた。

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