第105話 瓦解
この物語はフィクションです。登場する国名は実在の物とは一切関係ありません。
勇者との戦いの幕が開いた。最後の戦いを前にして、エトンは奮い立っていた。アレンは生きている。その事実が彼女に勇気を与えた。アレンが生きているとエルダから聞かされた時は心から安堵した。それと同時に不安でもあった。「アレンさんは本当に無事なのだろうか?」と。だが、それはいらぬ心配だった。驚愕する勇者の視線の先には、ある男の姿があった。見覚えのある懐かしい立ち姿。確かにアレンは生きていた。
アレンの姿を認めたエトンは、胸が震えるのを感じた。今すぐに駆け寄って今まで何をしていたのか聞きたいところだが、今は勇者との戦闘中だ。再会を喜んでいる暇はない。とにもかくにも、まずは合流を果たさなければ。そう思い直したエトンはもう一度、アレンの様子を確かめた。
アレンは弓に矢を番えた状態で、兵士たちの一団に紛れ込みながらじりじりと勇者に近付いている。それを見た彼女は僅かな、しかし確かな違和感を抱く。
(どうして、わざわざ……?)
言わずもがな弓は遠くの相手を攻撃するための道具だ。わざわざ敵に近付く必要はない。最初に放った一矢は勇者に届いていたから、距離が遠すぎて当てられないということはないだろう。ましてや、アレンの弓の腕前はかなりのものだ。元いた場所からでも、十分に勇者を射抜けたはずだ。
わざわざ勇者との距離を詰める理由は見当たらない。しかしエトンは、アレンの行動を疑わなかった。
(アレンさんが意味のない行動を取るはずがない。何か近付かなければならない理由があるんだ)
エトンはそう判断した。そして、その判断は正しかった。
アレンが兵士たちに紛れて前進していたのは、矢を射かけるためではない。勇者に例の腕輪を装着させるためだ。
勇者の力は強大だ。いくら数ではこちらが勝っているとはいえ、無策で突っ込めば以前のように返り討ちに遭うだろう。あの日の敗北から勇者の強さを学んだアレンは、兵士たちに距離を取って戦うように指示を出した。そしてベシスの兵士たちは、その指示に忠実に従った。
兵士たちの胸に刻み込まれた苦い記憶。彼らにとってあの日の敗北は、屈辱以外の何物でもなかった。訳も分からぬ内に陣形を崩され、手も足も出ないまま敗れ去った彼らは、敵国の元兵士の犠牲によって壊滅を免れた。敵によって陥った窮地を敵によって救われるという度し難い経験は、兵士たちの誇りを著しく傷つけた。しかし兵士たちは屈辱を代価として、勇者の強さと自分たちの弱さを思い知った。彼らもまたアレンと同様に、敗北から多くを学んだのだ。だが――
「勇者の首は我々が貰い受ける! 皆の者、続けー!!」
勇者の後方から勇ましい鬨の声が響く。声の主は勇者を討つために共闘することになった他国の兵士だった。
北の大国・フェルシュタット。軍事国家・ユガンデール。永世中立国・オルカナ。農業大国・ノーム。いずれも名だたる大国だ。
世界には大小様々な国が存在しているが、この四か国の力は群を抜いている。さらにここにベシスを合わせた五か国は、その強大な力と影響力故に「五大国」と呼ばれている。
そんな五大国だが、その関係は良好とは言い難かった。ユガンデールはフェルシュタットの広大な大地を狙い、フェルシュタットはノームの肥沃な土地を狙った。ノームはオルカナに助けを求めたが、オルカナは中立の立場を固持し、静観を決め込んだ。四か国が互いにいがみ合う中、ベシスもまた他国を出し抜く機会を虎視眈々と狙っていた。
魔王の出現後、各国は魔王軍の侵攻に備えるためにそれぞれ休戦協定を結ぶが、それは偽りの和平に過ぎなかった。
協力を持ちかけられた各国の首脳は、勇者と戦うことを決断した。しかしそれは世界平和のためでもベシスのためでも、ましてやアレンのためでもない。世界の覇権を握るためだ。
各国が求めたのは勇者を倒したという大義名分だ。魔王亡き今、諸悪の根源である勇者を討ち取れば、それは大きな戦果だ。討ち取った者は勇者に代わって新たに英雄の座に就き、英雄の祖国となった国は多大な影響力を持つことになる。その後で勇者を討ち取ったという功績を大々的に主張すれば、「悪を倒した正義の国」として自国の正当性を全世界に知らしめることができる。各国はそれを目論んだのだ。
兵士たちの士気はすこぶる高かった。たった一人の敵を討ち取るだけで、一介の兵士から世界の英雄へと転身できるのだ。富、名声、権力……。英雄になればそれら全てが手に入る。たった一人、勇者を討ち取るだけで――
だが、それは大きな思い違いだった。
ベシスを除いた四か国の連合軍は、手柄を求めて我先に勇者へと群がっていく。それを見た勇者は、口元を歪めてニヤリと笑った。
(不味い……!)
「すぐにそいつから離れろッ!」
危険を察知したアレンは叫ぶ。だが、アレンの発した警告は兵士たちの喧騒にかき消され、彼らの耳に届くことはなかった。それに、一足遅かった。
次の瞬間、凄まじい突風が巻き起こり、兵士たちは勢いよく吹き飛ばされた。勇者が魔法を行使したのだ。飛ばされた兵士は後ろの兵士を巻き込んでなぎ倒し、一瞬の内に隊列は総崩れとなった。さらに勇者は剣を振るった。例の飛ぶ斬撃だ。勇者の放った斬撃は、的確に兵士たちを切り刻んでいく。
「な、何が起きているんだ!?」
「痛ぇ……痛ぇよぉ……!」
「……くそっ! 邪魔だ、どけっ!」
不測の事態に兵士たちは困惑し、勇ましい声は悲鳴へと変わっていった。
ベシス兵は敗北によって勇者の強さを学んでいた。故に不用意に勇者に近付くことはしなかった。しかし勇者の強さを伝聞でしか知らなかった四か国の兵士たちは、「たった一人の敵」と勇者を見くびった。さらに彼らは手柄を立てるのに必死だった。そんな状態で、冷静に戦況を見極めることなどできるはずがない。たちまち戦場は大混乱に陥った。
「……チッ!」
隊列の崩壊と共に、思い描いていた作戦は早くも瓦解した。戦況の変化に今度はアレンが舌打ちをした。アレンが考えていた作戦は、以下のようなものだった。
まず、ベシス兵が距離を取りつつ勇者を牽制する。さらに後方から四か国の連合軍が少しずつ迫る。その間にアレンは一気に勇者に近付き、隙を見て腕輪を装着する。これで勇者の魔法を防げるはずだった。
この陽動と奇襲には兵士たちとの連携が必要不可欠だった。しかし急造の連合軍にまともな指揮系統などあるはずもなく、足並みを揃えること自体が土台無理な話だった。腕輪が思うような効力を発揮しなかった時の保険として数の力で一気に押し切るという策も考えてはいた。しかし総崩れとなった今の状態では、それはもう見込めないだろう。
(……このまま見ているだけでは、被害が広がるばかりだ)
そう考えたアレンは、傍らにいたクリフに何事か声をかけた。声をかけられたクリフは小さく頷くと、号令を発した。
「全軍、守りを固めつつ前進せよッ!!」
クリフの大声が戦場に響くと同時に、ベシス兵たちはゆっくりと勇者に向かって前進を始めた。アレンもまた兵士たちの隊列の中に紛れ込みながら、前進する。
奇襲策が不発に終わったアレンが選択したのは、無理やりにでも勇者に近付くことだった。
(……流れを変えるには、奴にこれを着けるしかない)
アレンはポケットの中に仕舞い込んだ腕輪をぎゅっと握り締めた。アレンの最後の頼みの綱は、魔族が遺した謎の腕輪だった。
この腕輪は魔法を無力化する。しかしそれはあくまでエルダが唱えた一つの仮説に過ぎない。実際に勇者の力を抑える保証がどこにもない。頼みの綱とするには、あまりにもか細い理由だ。だが、それでもアレンは進むことを選んだ。いや、進むしかなかった。
アレンの体が小刻みに震える。武者震いか、それとも恐怖心からなのか。それは当のアレン自身にも分からなかった。




