第104話 開戦
もうすぐ年の瀬ですね
(あ、あの男は確かに死んだはずだ……! まさか生き返ったとでも言うのか? 馬鹿なっ! あり得ない!)
アレンの姿を目にした勇者は、我が目を疑った。死んだはずの人間が蘇るなどあり得ない。そう、あり得ないのだ。
(つまりあの時、首を刎ねられたのは……)
その時になって、ようやく勇者は気が付いた。自分がまんまと騙されていたことに。
各国との協力を取り付け、打倒勇者の準備はいよいよ大詰めとなっていった。次なる議題は、集まった兵力をいつどこで勇者にぶつけるかだ。
ペトルは奇襲を提案した。勇者は現在、ベシスにいる。城の兵士と連携を取って奇襲をかければ、勇者を出し抜けるかもしれない。だが、それはベシスが戦場となることを意味している。そうなれば多くの犠牲は避けられない。下手をすれば都が丸々焼け野原と化す可能性も考えられる。そのことを危惧したベシス国王は、この案を断固として拒否した。
アレンもまた奇襲案には否定的だった。しかし彼が否定的な立場を取ったのは、ベシスへの被害よりも勇者の逃亡を懸念してのことだった。
勇者は地位や名誉、そして他者からの評価に執着している。勇者がティサナ村に火を放つように命じたのは、人攫いの現場を見た目撃者を消すため。広場での公開処刑を求めたのは、アレンに罪を擦り付けて広まった自身の悪評を払拭するため。いずれも自分が犯した悪事を隠蔽するための行動だ。そんな異常なまでに外面を気にする勇者が、ベシスでの戦いを選ぶだろうか? 都の真ん中で戦闘になれば、否が応でも大勢の人間に見られることになる。人々は勇者と兵士たちが戦っていることに疑問を抱く。建物や民に被害が出れば、その責任を求められるだろう。
それは勇者にとって都合の悪い展開だ。ティサナ村の時のように目撃者を消すわけにもいくまい。都に住まう人々を殺して回るとすれば、それはもう大虐殺だ。そんなところを見られたら、それこそ言い逃れはできなくなる。勇者の性質上、戦わずに逃げたとしても不思議ではない。
話し合いの末、彼らは勇者を別の場所におびき寄せて戦うことで合意した。そこで選ばれたのがシゼだった。彼の地はすでに魔王の手によって滅ぼされているため、人は住んでいない。ここなら戦闘による被害を心配する必要がないというわけだ。周囲を山に囲まれた地形も、勇者の逃走を防ぐという点で好都合だった。
問題は如何にして勇者をおびき寄せるかだった。戦いの前にベシス兵を呼び寄せ、今回の作戦について周知する必要もある。そのために考え出した口実が野盗だ。シゼに住み着いた野盗を討伐するという名目で、城にいるベシス兵を少しずつ呼び集めたのだ。討伐隊を結成させたのは、勇者に疑われないように兵士を動かすためだ。
作戦は功を奏し、ベシス兵はシゼへと集結した。事情を聞かされた兵士たちは、手も足も出ずに勇者に敗れたという苦い記憶を思い出し、気後れした様子だったが、各国が力を貸してくれるという事実に奮い立ち、戦う決意を固めた――
(全て噓だったのか……。野盗も……王の言葉も……そしてこいつも……!)
自分が罠に嵌められたことに気付いた勇者は、怒りを露わにしてエトンを睨みつけた。勇者は吠える。
「よくも……騙しやがったなぁ!」
「世界中を騙してきたあなたがそれを言いますか? それに、最初から私のことを疑っていたのではないですか?」
エトンは勇者の威嚇に動じることもなく、涼しい顔で啖呵を切った。
エトンが言った通り、勇者は彼女を疑っていた。こいつは仲間の仇を討とうと考えている。同行を申し出たのは、俺に不意打ちをするためだ。この道中のどこかで、こいつは必ず行動を起こすに違いない。勇者はそう思い込んでいた。
アレンはその思い込みを利用した。エトンに自分が生きているという情報を伝えた上で、勇者をシゼに連れてくるよう密旨を出した。エトンが同行を申し出たのは、あくまで勇者をベシスから引きずり出すためだ。
消息を絶った兵士たち、王の強気な言葉、一向に姿を現さない野盗……
不審な点はいくつもあった。しかし勇者はエトンに疑いの目を向けるあまり、その他の事象に対する違和感を見落としていた。いや、そうなるように仕組まれたという方が適切だろう。
アレンはエトンの性格を利用した。任務を与えられたエトンは実直にその役目を果たした。だが、隠し事ができない性格の彼女の行動は、勇者の目には不自然に映った。それがアレンの狙いだった。エトンに注意を向けさせることで、勇者の目を欺いたのだ。アレンがエトンを勇者を引きずり出す"切り札"と称したのは、これが所以だ。
斯くして役者は揃い、舞台は整った。一方は激しい怒りを浮かべて、一方は冷たい憎しみを湛えて、睨み合うように対峙する。
世界を騙した男と勇者を騙した男。荒涼たる大地の上で、二人の嘘吐きは再び相まみえた。最後の戦いが今、始まろうとしていた。
先手を打ったのは勇者を騙した男だった。獲物である弓を手にしたアレンは、世界を騙した男に矢を射かけた。空高く放たれた矢は、放物線を描きながら勇者のもとへと飛んでいく。勇者は腰に差した剣を抜くと、一太刀のそれを斬り落とした。アレンの一矢を皮切りに、弓兵たちは順々に勇者に矢を射かけていく。
「効くかよ、こんなもんっ!」
勇者は怒りの咆哮を上げながら、向かってくる矢を次々に斬り伏せていく。
「効かねぇって言ってんだろうが!」
勇者が奮戦する傍らで、兵士たちは徐々に勇者との距離を詰めていく。
「……チッ!」
勇者は不愉快そうに舌打ちをした。自分の力に絶対的な自信を持っていた勇者は、現在の戦況に苛立ちを隠せずにいた。
勇者は自分の力に絶対的な自信を持っていた。こんな有象無象がいくら徒党を組んだところで、この俺に敵うはずがない。たとえ世界中全ての人間が敵に回ったとしても、負ける気がしない。
過剰なまでに膨れ上がった絶大な自信は、過去の成功体験に裏打ちされたものだった。
勇者は過去にこのシゼの地で魔王軍と最後の戦いを繰り広げ、勝利を収めている。追い詰められた魔王軍は必死の抵抗を続けたが、勇者一行の前に敗れ去った。
(俺に負けたとはいえ、魔王軍は強かった。それに比べて……)
勇者は目の前にいる軍勢の力を値踏みする。絶え間なく飛んでくる矢は、何の変哲もないただの矢だ。向かってくる兵士は、特別な力も何もないただの人間だ。どちらも大したことはない。これなら魔王軍の方が遥かに手強かった。だが、そんな格下の軍勢に勇者は苦戦している。その理由は兵士たちのある"変化"にあった。ベシス兵と戦うのはこれで二度目だが、戦力は以前とは大きく変わっていない。変わったのは戦い方だ。
矢は絶え間なく飛んでくるため、避けるか叩き落とすかして対応しなければならない。離れた相手を斬ることもできるが、この距離では分が悪い。おそらくギリギリで届かないだろう。かと言って近付こうにも、剣を構えた兵士たちが行く手を塞いでいる。この兵士たちの動きもどうにも妙だ。距離を詰めてきたと思ったら、一定の間隔を保ったままそれ以上は向かってくる気配はない。警戒しているのか? それとも恐れをなして近付けないのか……。いずれにせよやりづらい。
あの時のように一斉にかかって来るのなら魔法で吹き飛ばして一気に方を付けるのだが、こう距離を取られては、まとめて始末することはできない。一気に攻め込めんで陣形を崩したいところだが、矢の処理を怠れば射抜かれてしまう。いくら敵を圧倒する強大な力があっても、傷を負えば死ぬかもしれない。撤退しようにも後方には大軍勢が控えており、行く手を塞いでいる。どうあっても逃がさないという強い意思を感じる布陣だ。
「チッ……! 小賢しいマネしやがって!」
勇者が再び舌打ちをする中、アレンは静かに行動を開始した。




