未だ見ぬ西域
一
李広利という男は、中山郡の出身であるが長安に来てからは定職に就いていない。いわゆる遊民であった。その彼の訪問を私が受けたのが、太初元年のことである。
「王恢どの……」
訪問した際の彼の表情には、目に見えて不安の色が浮かんでいた。私はいったいどうしたのかと質さざるを得なかった。
「確か君の妹君は、このたび晴れて陛下の寵姫としてお召しがあったのではなかったか。めでたいことだというのに、何をそのような浮かない顔をしているのか」
それに対する彼の返答は、実にたどたどしい。どうやら人の邸宅を訪問しておきながら、心ここにあらずといったところだったのだろう。
「私の妹は、皇室に召されて……夫人の称号を……陛下は……一族である私にも……妹は陛下の寵愛の度が厚く……だから一族も重用したいと……」
「ゆっくり整理してから話すがよかろう。悪いが、私には君が何を言っているのかよくわからぬ」
そう告げると、李広利は一呼吸置いてから、端的に言いたいことを表現した。
「要するに、皇帝陛下は寵愛する妹の一門に遊民が存在することを憂慮し、私に命令を下されたのです」
つまり、彼は縁故によって官職についたということであった。彼は浮かぬ顔をしていたが、私はその理由がよくわからなかった。
「それはめでたいことではないのか。人が聞けば羨む話に違いないというのに、なぜ君はそのように不安を感じているのか」
「おわかりですか。私が不安であることを?」
「顔を見ればわかる。いったいどういう命令を下されたのか、話してみたまえ」
「はい……」
それから、彼はひとことひとことを押し出すように、私に話してくれた。私は、その内容に衝撃を受けた結果、彼に必要な助言を与えることができなかったのである。
「まだ内々の話ではありますが、陛下は私に軍を率いて大宛国へ遠征せよと仰せられました。大宛国とは西域の果てにある異民族の国のことらしいのですが、そこがどこかは私にはわかりません。それに……私には軍の統率はおろか、兵として参戦した経験もないのです」
大宛を討つのか……私にはそのとき、彼の境遇よりそのことの方が気にかかった。
しかし皇帝も思い切った判断をするものだ。交流があるとはいえ、軍事力の仔細もよくわからない遙か西の国を討伐するにあたって、知識も経験もない男に軍を統帥させるとは……。
「全く軍事の経験がないのか。軍隊に所属した経験も?」
「まだ中山郡にいたとき、徴兵されて地元の守備隊に属していた経験は二年ほどあります。ですが、幸いにもその間に実際に出兵したことはありませんでした。……それよりも」
「なんだ」
「軍事の経験もなく、西域の地理も知らない事情を私が陛下にお話ししたところ、陛下は王恢どのを道案内役にしようと仰いました。近々、正式にご命令が下されることと思います」
「…………そうか。陛下はそのようにお考えなのか」
「こうして私が王恢どののお屋敷を訪問させていただいたのも、それが理由です」
私が西域から戻ったのは五年前のことであった。陛下は、また私に砂漠へ赴けと言うのか……。
「王恢どのは、以前に西域の楼蘭国を攻めて国王を虜にしたと聞いております。どうか西域とはどのようなところなのか、教えていただきたい」
「うむ……よかろう」
私は彼に西域と漢の攻防のあらましを話して聞かせることにした。
※
「しかしその前に、陛下がなぜ大宛を討つおつもりになったのか、それを聞かせてほしいが……仔細を聞いているのか?」
李広利は頷いたが、どうもその内容に納得がいかない様子であった。国同士が兵を交えて戦う理由としては、小さすぎるように感じていたのだろう。
「聞くところによると大宛国の名産は葡萄と苜蓿、それと息も乱さずに千里を走る名馬だそうで、陛下はそれを求めてかの国へ使者を送ったのだそうです。千金と金で作った馬の像と引き換えに……」
「うむ。……汗血馬のことだな」
汗血馬とは大宛国名産の良馬であり、血のような赤い汗を流して走る姿から、そう呼ばれる。一日に一千里を走るといわれ、非力な漢原産の馬とはその能力で比較にならない。
「はい。しかしその汗血馬と呼ばれる馬は、大宛にとっても国の宝ともいえる代物だったらしく、彼らは漢の求めを結果的に断りました。そこで腹を立てた漢の使者たちが、先方に無礼な発言をしたところ、彼らは殺されてしまった、と……。陛下はこの事実にお怒りになり、大宛出兵を決意されたとのことです」
「ふむ。つまり君は、諍いで……ちょっとした喧嘩のようなもので戦争に至ることが信じられないのだろう」
私は、李広利にそのように問いかけた。彼の表情から、このたびの発令に対して疑問を抱いていることが明らかであったからである。
「陛下が汗血馬を欲していることは事実であり、諍いがあったことも事実だろう。しかし、それはきっかけに過ぎない。皇帝陛下はこのような機会を待っていたのだ。また、相手が必ずしも大宛国である必要もない。漢の威信と武力を示す機会があれば……極端な話、相手はどこであろうと構わないのだ」
李広利は目をぱちくりさせた。
「いったい、どういうことなのでしょう」
「私が敵として戦った楼蘭国は、西域の中で最も漢に近い国の一つであった。しかしそれでも匈奴の方が彼らに対する影響力が強く、彼らは我々が西域諸国と交易しようと思っても匈奴の意思を慮って妨害することが多かった。だから我々は楼蘭を攻めて、打ち負かしたのだ。それによって楼蘭に対する漢の影響力は、匈奴のそれを上回ることになった。事実、それをきっかけに現在の楼蘭は皇子を人質として漢に預けているのだ」
「なるほど」
「大宛は楼蘭に比べて遠く離れた国であるため、なお一層漢の影響力は薄い。彼らは我々のことを脅威に感じるより、近くの大月氏国や安息国の鼻息をうかがって日々を暮らしていることだろう」
「それらは、大国なのですか?」
「漢の方が国力は上であろう。それにもかかわらず、大宛は我々よりもそれらの国の方を重視するのだ。……それについてはおいおい教えることとして……陛下はなにも大宛を打ち負かして、かの国を漢の領土としたいと考えているわけではなかろう。遠く離れ、通訳なしに言葉も通じない国を直接支配することは、望ましくない。要は、彼らが我々に必要なものを素直に提供してくれれば、それでよいのだ。こちらも対価を支払うのだから」
「まだ、よくわかりません」
「……相手がこちらを軽んじると、対価はつり上げられる。それを防ぐにはある種の見せしめが必要なのだ。大宛は漢を軽んじたため、征伐を受けた、その事実が周辺の国々を恐れさせる。これは何も交易のみに限った話ではない。軍事でも同様なのだ」
漢は匈奴という長年の仇敵を抱えているが、西域諸国が漢を恐れ、なおかつ影響力を増せば、匈奴に対する防壁としても利用できるのだ。そのことを考えれば、大宛の宮廷で暴言を吐いたとされる漢の使者たちは、実によい仕事をしたといえるかもしれない。その代償として彼らは死を賜ったわけだが……。
「なるほど、よくわかりました。大宛国にはそれほどの恨みはないが、情勢を考えると討つのが上策だ、そういうわけですね」
「納得がいったか?」
「……もやもやとしますが、匈奴に漢の領土が蝕まれぬためには、やらねばならないことだと考えることにします」
とばっちりを受ける形の大宛国には甚だ迷惑な話だろうが、彼の解釈はだいたいにおいて間違いないだろう。
この大陸では、春秋・戦国の世から覇権を唱えることが最上の国家運営の方法だとされてきた。自国民の安寧を図るためには、いかにして他国より上の立場にたつか。……それを考えるのは王族の「義務」であって、決して「欲求」ではない。
我々は従うしかない。いや、そうあるべきなのである。
二
「西域とは漢が匈奴との争いの中で、血路を開くべく博望侯張騫が探し当てた土地のことだ。彼は過去に匈奴と争って敗れた月氏が西に逃れた事実を探り出し、それを探し出して漢と連合関係を築こうとしたのだ」
私は、李広利に西域発見のあらましを最初から説明することにした。彼がどこまで知っているか、探りを入れながら……。
ところが、彼は何も知らなかった。
「それは、いつ頃の話ですか?」
「そうだな……三十年か、四十年前の話だ」
博望侯張騫はすでに故人である。その功績はとてつもなく偉大であり、余人の追随を許さないものと言っていいだろう。
張騫は、月氏の探索という困難な任務に自らを推した。志願したのである。それが愛国心からなのか、それとも自己顕示欲からなのか、あるいは名誉欲からなのか……それは彼が故人となってしまった今となってはわからない。
しかし彼は長安を出てわずか数日で匈奴の領域に入り、捕らわれた。このことを彼が想定していなかったはずがなく、危険を覚悟しての志願であったことは間違いないだろう。また、彼が虜囚の身であった期間はまる十年に及んだが、その間決して使者としての符節を手放さなかったことは、有名な話である。並々ならぬ使命感をもって、張騫は任を果たしたのだ。
「あまりにも経緯が私と違いすぎて……自信をなくしそうです。いえ、もともと自信があるわけではありませんが……」
李広利は苦笑しながら視線を落とした。張騫の功績に励まされるのではなく、それを重圧に感じ取ったらしい。だが、それも無理のないことである。
「張騫という人は、その功績だけを見ると堅忍不抜を絵に描いたように映るが、実は万事に楽観的な男であったらしく、その明るい人柄に人々は惚れ込んだという。匈奴もその例外ではなく、彼らは抑留している張騫に自分たちの同胞を妻として与えたそうだ。張騫はその匈奴妻との間に子さえも設けた」
本来ならば過酷であるはずの抑留生活も、楽しく過ごし得たということだろうか……この辺りの張騫の心情を、正確に説明することは不可能である。李広利にとっても、ためになる話ではなさそうであった。西域遠征に不安を感じている彼のためには、あくまでも帰還することに希望を抱かせねばならない。
「まあ張騫は張騫、君は君だ。張騫の功績が素晴らしかったといって、君がそれを真似して成功するとは限らない。西域の地理について具体的に話を移そう。それが道案内役である私の、本来のつとめだ」
「そうしてください。私は東国の生まれなので、西方に関してはまるでわかりませんので……」
彼はそう言ったが、本当は偉大な張騫と自分自身を比べることを嫌ったのだろう。しかし、誰にでも可能性はあるのだ。おそらく今の李広利には、軍を指揮することはおろか、自身の馬を操る能力も怪しい。経験に乏しいのだ。
だが、最初は誰もがそうであるはずなのだ。むしろ事前に知識を得ておこうとする彼を、私は頼もしく感じたものである。
※
「その昔、漢の西の版図は隴西までに過ぎなかった。隴西を超えると匈奴の勢力範囲であり、当時張騫はこの地で捕らえられた。しかしその後大将軍衛青や驃騎将軍霍去病の活躍によって、現在では漢の領域は広がっている。隴西より西の地には武威・張掖・酒泉・敦煌の四郡が置かれ、漢の西域支配のための足場となっている。通称だが、河西回廊と呼ばれる地帯だ」
「回廊……?」
「なぜこの地が回廊と呼ばれるか……この地の北は砂漠が広がり、南は祁連山脈が連なっていて超えることが難しい。西域にたどり着くには、この回廊と呼ばれる道を通るほかないのだ」
祁連の山は天まで聳え、山頂に氷冠を戴く。氷冠が解け、いくつかの川となって山麓に注ぐと、その流域には人が集まり、集落が形成され、やがてそれは都市となる。武威や張掖などの都市は、その典型であった。
その一方で祁連山脈は南から流れてくる雨雲を遮り、自身より北の地に雨を降らせなくする。そのせいで祁連より北の地ははげしく乾燥し、砂漠化が進む。
山は都市を形成する一方で、その形成を阻害しようとするのだ。このため、人が行き来できる道は限定され、その道が回廊と呼ばれることになる。
「河西回廊は現在では漢が制圧し、自らの領域としているが、張騫が訪れたときは匈奴の領域であったことは先に申したとおりだ。しかしさらにその前は月氏の領域であったことが明らかになっている」
「月氏とは……西方に逃れたという張騫が探した遊牧騎馬民族のことですな」
「そうだ。月氏はもともとこの地を根拠地としていたが、匈奴と争った結果、その王が殺害されたという。それでやむなく西方に逃れたわけだが、その際に匈奴は月氏王の頭骨を盃にするなど、徹底的な屈辱を与えた。その情報を得た皇帝陛下が、このことによって月氏の匈奴を恨む心は漢の政策に利用できると考え、張騫に調査を命じたのが西域発見のきっかけなのだ」
しかし、十年の抑留期間を経て張騫が見た風景は、一面に広がる大砂漠であった。
「砂漠は大きな卵のような形をしていることがわかっている。その南北にはやはり大きな山脈が聳えていて、その規模は両方とも祁連より大きい……北の山脈を天山山脈、南のそれを崑崙山脈と呼ぶ」
「山脈あるところ砂漠あり、ですね。やはりその山脈からの雪解け水が都市を作り、それが西域諸国と呼ばれるようになったのでしょう」
李広利は自身の理解力の良さを示し始めた。どうやら頭はそれほど悪くなさそうである。私は安堵を覚えるとともに、話すことに喜びを感じた。
「うむ。その通りだ。砂漠の北の端には天山の雪解けを水源とする都市が、南の端には崑崙のそれを水源とする都市が散在している。その数は当初三十六カ国であったが、現在では新たに発見されたりして五十カ国に至ろうとしているのだ。……我々はこれらを国として扱っているが、実際のところは都市に過ぎない。それぞれの都市に王がいて、それぞれが国家として独立を保っているが、いずれも小国家で、長安を超える人口を抱える国はない」
「具体的には?」
「長安の人口は今や四十万を超える。それに対して……例えば楼蘭の人口は一万四千百名だ。漢の地方都市ほどの規模に過ぎない」
そのような小国家がそれぞれ生き延びているのはなぜか。中原に生きる我々漢民族にとってはなかなか考えづらい疑問である。大昔には中原にもいくつかの国が存在していたが、それらの国は互いに争い、それぞれに覇権を唱え、やがては勝者となった一つの国がすべてを支配する構図が成立した。しかし事実上、西域にそのような争いはない。
「これらの国々は、あまりにも国家的規模が小さいため、自分たちだけでは自国でさえも維持することができない。楼蘭国は自国の領内の土壌が概ね塩質を帯びた砂地であるため、隣国の田を借りて苗を植え、また他国の穀物を買い入れて生活している。ほかの国々も事情はさして変わらない。よって西域では国同士での通商が盛んだ。これが中原であれば、自国に足りないものが隣国にある場合、武力で隣国を占領しようとするだろう。しかし西域ではそれがないのだ」
「ですが、軍隊もあるのでしょう? 攻め入って隣国の耕田を手に入れれば、わざわざ借りたり買ったりする手間が省けるのではないですか」
「確かに軍隊はある。だが隣国に攻め入ってその王を殺し、民に反感を抱かせた後……誰が田を耕す? 強権的に民を働かせることは可能かもしれぬが、結果的に穀物の品質が落ちてしまえば、わざわざ軍を動かした意味がなくなる。農民とはいえ、自発的に働くのと強制的に働かされるのでは、生産物の質も違ってくるのだ。彼らは市場原理を尊重しているため、そのことをよくわかっている」
李広利は納得の表情を浮かべた。しかもその表情には、未だ見たことがない西域諸国への憧憬が現れている。素朴な平和な世界を想起しているのであろう。
だが、実情は少し違うのだ。
三
我々が西域と呼ぶ地域の大部分を占める砂漠のことを、漢では単に「大砂漠」と呼んでいる。だが現地の人々は、これを塔里木(タリム)あるいは塔克拉瑪干(タクラマカン)と呼ぶことが多いようだ。が、現地の言葉はよく聞き取れないので、私にとってはどちらでもいいというのが正直なところだ。
重要なことは、この大砂漠の北東にも別の広大な砂漠があるということだ。この砂漠は戈壁(ゴビ)と呼ばれ、長らく匈奴がこれを根拠地としているのだ。
匈奴は漢が成立する以前から中原の国家と対立してきた遊牧騎馬民族である。その性質は礼儀と道徳を知らぬ蛮族、という表現がふさわしい。
中原に住む我々は、何においても年長者を尊重し、個人間ではたとえ相手が死んだとしても、生前の約束事や取り決めに基づいて行動する。相手がまだ生きているとすれば、なおさらのことだ。
しかし匈奴は我々と真逆である。若さと健康を尊重し、老いと病弱を卑しむ。若者たちが美味いものを食べ、老人はその残り物を食べた。父親が死ぬと息子がその残された婦人たちを自分の妻とし、兄が死ねば弟がその妻をすべて我がものとした。
匈奴は平時には家畜の赴くままに居住地を移動しながら、鳥や獣を弓矢で射ることで生活の糧とする。危機が訪れると人々は武器をとり、侵略と略奪を繰り返す。成人男子はすべて戦士であり、いかなる例外も許されなかった。
耕作に従事することはなく、親族を単位とした自給自足が生活の前提である。隣人と生産物を交換しあうという慣習も持たない。欲しいものが手元になくなり、我慢できなくなれば隣人を襲って奪うことを悪意もなく行う。このため、彼らには通商の文化がなかった。
民族全体に飢えの兆候が出始めると、彼らは決まって漢の国境を襲った。軍事に勝る彼らに漢はしばしば敗れ、匈奴が兄、漢が弟という屈辱的な休戦協定が結ばれたまま、現在に至っている。
「今上の皇帝陛下は、このような状況を打開したいとお考えだが、匈奴という民族は西域の北東、漢の北西の地域を根拠地としている。想像がつくかもしれぬが、この地の冬はとてつもなく寒く、彼らが大事にしている牛や羊などの家畜を育む草が育たない。湧き出る水も凍り付くような土地だ。にもかかわらず彼らは生き延びている。この理由がわかるか」
李広利はこの問いにやや戸惑った表情を示した。質問に対する答えもそうだが、なぜいま唐突に匈奴の話を始めたのか、と言いたいに違いない。
「肝心なことだ。考えてみよ」
「ええと……冬になると中原に侵入して漢の財物や食料を奪うのでしょう。そうに違いない」
「確かに匈奴はそのような行動をとることが多い。だが、彼らはもっと安定した収入源を持っている。……匈奴の収入源は西域諸国なのだ」
「収入源とは? 匈奴は通商しないのでしょう? 貨幣も持たない」
「うむ。貨幣を持たぬどころか、文字も持たない。つまり通商に限らず、人と契約する習慣がないのだ。匈奴の意思疎通の手段は、口頭での伝達に限られる。……だが、この事実をもって匈奴が我々漢民族より知的な面で劣っていると判断することは危険だ」
漢の人々は匈奴を蛮族だと蔑み、彼らが毛皮を衣服としていることや、髪を剃り上げて辮髪としていることをよく話題にする。漢人はそのことを話題にすることで、自分たちの内心のみで彼らに勝利し、安堵を得ているのだ。
しかし客観的に見て、漢は匈奴に負け続けている。これは文化が蛮族には通用しないということの象徴なのだろうか……。いや、そうではない。蛮族には蛮族の知恵があるのであって、いまのところ我々がそれを打ち崩すことができないでいるに過ぎないのだ。我々は、匈奴を上回る知恵を発揮できていないのである。
「匈奴は小国家の集合体である西域を、自らの軍事力でまとめ上げている。彼らは、大砂漠の北端に僮僕都尉と呼ばれる武官を配置し、常に西域全体を監視させている。争いが起きると介入し、この地域の平和と安定に尽力しているが……その見返りとして、匈奴は西域諸国にきびしく賦税し、自分たちが飢えることなく冬を越すための資材としているのだ」
「西域の平和の秘密は、そこにあるというのですか……。ですが課税される側は納得しているのでしょうか」
李広利の放った質問は、当然抱えるべき疑問であろう。しかし私は、これに対して確信できる返答を用意していた。
「小国が乱立する世界にあっては、必ず他を出し抜こうとする国が一つや二つ出てくる。しかも多くの場合、他を出し抜く方法は武力によるものだ。匈奴が西域を統括すれば、その動きは牽制される。その価値は諸国にとっても有益なもので、たとえ課税されようとも恒久的な平和が得られるのであれば、他に代えがたいものであるに違いない」
李広利は得心したような顔を見せた。
「西域から匈奴を追い払い、漢がそれに変わって平和と安定をもたらす……陛下の狙いはそこにあるのでしょうね。西域諸国にとって匈奴は有益な存在かもしれないが、漢にとっては厄介な存在そのものでしかない。だから匈奴を駆逐するためには、西域から匈奴の影響力を取り除かねばならないし、漢が匈奴に取って代わる実力を示さねばならない……そういうわけで今度の大宛遠征が決まった、ということですね」
「偶然かもしれないが、皇帝陛下はこれを好機と考えたのだろう。幸い大宛は大砂漠のさらに西にあって、砂漠の国々よりも大きな国だ。これを撃ち破れば、彼らに実損を与えずに影響力を波及することができる。漢は匈奴より恐るべき存在だと彼らに思わせれば、後の実効的支配も容易となろう」
李広利は頷いたが、その表情はあまり冴えなかった。どうやら、政治的なことはあまり考えたがらない男のようであったが、彼に課せられた使命は非常に重要なことである。理解力が乏しければ、彼自身の生命はおろか、国の命運も傾きかねない。私は説明を続けるしかなかった。
四
武威・張掖・酒泉・敦煌の四郡からなる河西回廊を抜けて砂漠地帯に入ると、先述したとおり南北に大山脈を臨む。その両山脈に挟まれた土地が大砂漠であって、そのさらに中央を大河が流れている。大河は砂漠の入り口近くにある湖に注いでいるが、この湖は塩分を帯びていて、残念ながら砂漠をさまよう人々に潤いをもたらすような存在ではない。
大砂漠が現地語で塔克拉瑪干と呼ばれていることは先に述べたとおりであるが、これはそもそも「死」とか「無限」の意であるらしい。夏は暑熱である一方、冬は極寒というおよそ人の生きる環境とはかけ離れた世界でありながら、人はたくましくもこの土地にいくつかの都市を建造した。
敦煌を出て最初に到達する国は楼蘭である。楼蘭から砂漠の南縁をたどり、崑崙山脈を左に見ながら西行するのが漠南路で、別名を西域南道という。楼蘭国から且末国、精絶国、于闐国(ホータン)、皮山国、西夜国を通過した後、莎車国(ヤルカンド)に到達する。その先は我々が葱嶺と呼ぶ高山地帯が広がっている。葱嶺は現地語では帕米爾と呼ばれ、「世界の屋根」を意味するのだそうだ。この葱嶺を超えると砂漠は終わり、大月氏国、大夏国(バクトリア・トハラ)、烏弋山離国(アレクサンドリア・カンダハール)、安息国(アルサケス朝パルチア・イラン)、条支国(セレウコス王朝・シリア)などの国に到達する。
「大月氏国……」
「そもそも張騫は西方に逃れた月氏を探して西域を訪れたが、その月氏の逃れた先が、この大月氏国だ。張騫にとってみればついに見つけたという気持ちでいっぱいだったろうが……大月氏は葱嶺を超えて西に逃れた結果、匈奴の影響力から脱して平和を享受していたらしい。さらに南の大夏国を実質的に支配下に納めることに成功していて、漢と共同して匈奴を攻撃しようという張騫の説得を断ったのだそうだ」
「張騫どのは、無念であったでしょうね。ひとときも符節を手放さなかったというのに」
「確かにそうであろうが、それでもこの結果は、彼の功績に影を落とすものではない。葱嶺の先には、また全く違う世界が広がっていたことがわかったのだからな。……西方最大の国は、安息国だ。条支国も大きいが、一説によると安息はこれを支配しているのだという。人口も武力も漢に劣らず、といったところだが、あまりにも遠い国であるので脅威はないといってよかろう」
敦煌を出てから砂漠の北側をたどり、天山山脈を右に見て西行すると、姑師国、危須国、尉犁国、焉耆国、烏塁国などの典型的な小国が続く。ただし匈奴が僮僕都尉を置いていたのがこの地域で、その影響力が色濃く残っている国々である。張騫の西域発見以来、漢では数多くの使者を派遣してこれらの国々と交易を図ろうとしてきたが、なかでも姑師国と楼蘭国は匈奴に命じられてこの動きを阻害することが多かった。そこで漢は従驃侯趙破奴に命じて姑師を撃たせ、楼蘭王を捕虜としたのである。
この作戦に私王恢も関わったが、率いた兵はわずか七百名に過ぎず、漢としてはその実力を西域全体に示すよい機会となったことは事実である。
烏塁国の先には亀茲国(クチャ)、姑墨国と続き、疏勒国(カシュガル)へと至る。その先にはまた葱嶺が行く手を阻むが、これを超えると大宛国(フェルガナ)、康居国(ソグディアナ)、奄蔡国(アオルソイ)に至ることができる。
「大宛や康居は張騫が実際に赴いた国だが、そのときは非常に友好的な態度で迎えてくれたのだそうだ。言葉も通じず右往左往する張騫を、大宛は道案内をつけて隣国の康居にまで送り届け、康居もそれに倣って大月氏国まで送り届けたのだという。それが今や敵対することとなったとは、皮肉なことだが……君が思い悩むべき事柄ではない」
「大宛とは、どのような国なのですか」
おそらく李広利も考えるところはあるだろう。しかし戦端を開くには動機があることは確かであり、その規模の大小はあまり問題とならない。それまで友好的な相手であったにもかかわらず、ほんの小さな出来事がきっかけで戦争に拡大することは中原の歴史においてもなかったことではない。考えても仕方のないことだ。
「気候は夏と冬の気温差が極端であり、一年を通して雨が少ない。砂漠になるまでには至っていないが、全体的に乾燥した土地だ。葡萄の栽培が盛んで、人々はそれを原料にした酸味のある酒を作る。この酒は数十年の保存が可能で、年数を経るほど熟成されてよいものになるのだそうだ。金持ちの蔵にはこれが一万石あまりも眠っているのだという」
「ほう……酸味のある酒とは興味深い」
「人々は習性として酒好きだ。街角に人の集まっている場所があれば、その中心には必ずと言っていいほど酒樽がある。彼らは、酒を飲みながら仕事に精を出すのだ」
「ふざけた国民性だ。彼らは酒を信仰しているのですか」
「そういうわけではない。彼らは体質的に我々よりも酒精分を分解する能力に長けていて、あまり酔わないのだ。……信仰の話が出たから言うが、彼らのその対象は火だ。祭壇を設けて常にそれを絶やさぬようにしており、人々はその前を通ると必ず跪く。……また、葬式の風習も変わっていて、彼らは遺体を棺桶に入れたり、土に埋めたりしない。あえてそれを野に晒して風化するままに、あるいは鳥が死肉をついばむのに任せるのだ」
「なぜ、そのような奇習を……」
「火を崇拝するのと同じ理由だ。彼らは火の中に精霊が宿っていると考え、人もその精霊によって作られたものとしている。だから死んだときは、何の障害もなくその精霊のもとに帰ることを願っている、ということらしい。我々にはなじみのない考え方だが……彼らの死生観を形だけでも知っておくことは有益であるに違いない。覚えておいた方がいい」
「はい。しかしあまりにも我々とは違う点が多すぎます」
「思うに、環境によって人という生き物は、同じ人でありながら全く違う生物にもなり得るのだ。気候、土地、そこから生産される食べ物……それによって人は考え方を大きく変えるばかりか、外見も全く異なった生き物となる。大宛人の目は大きくくぼみ、瞳の色は黒でなく青だ。髪の毛も黒くなく、赤茶色をしていて、巻き毛の者が多い。我々に比べて髭が濃く、その髭の色も髪の色に準じている」
「…………」
「見慣れない風貌によって我々は威圧され気味だが、本質的に彼らは争いごとよりも商売を好む。暴力で相手を打ち負かすことよりも、蓄財を競い合って相手よりも実利を得ることを選びたがるのだ。人々は夜明けとともに街路に繰り出し、即席の小屋を建てて店とする。街路にはその店が数十軒も連なり、その結果、街路は市場となるのだ。店はそれぞれに我々が見たこともない楽器を鳴らし、我々が聞いたこともない音色で客引きをする。女たちはその音色に合わせて舞い踊る……大宛に限らず、多くの西域諸国ではこのような市場がよく見られる。私も楼蘭で見たが、非常に魅惑的な光景だ」
李広利はそれに対して、目を伏せて応じた。
「そのような光景を……私は武力で撃ち破らねばならないのですね」
私は、とっさに答えることができなかった。
「……そういうこともあるかもしれぬ。だがしかし、その必要もないかもしれぬ。要は、彼らが素直に汗血馬を差し出すような状況に追い込みさえすればよいわけだから」
私としては、李広利に余計な重圧を与えぬような言葉を選んだつもりだった。しかし、若干無責任な物言いだったかもしれない。彼は、少し呆れたような表情を見せながら言った。
「できることなら、この私が文明の破壊者となるような状況は避けたいものです。もしそれが、本当に魅惑的な光景であれば、残しておきたいではないですか」
西域は張騫により、その詳細が明らかになった。その発見のあらましは本文中に述べたとおりだが、補足すると彼は当初百余名の随員と共に長安を出発したが、無事に帰還できたのは通訳の役目を果たした匈奴出身の(捕虜から奴僕の身分になったと思われる)堂邑甘父との張騫自身の二人だけであった。張騫は往路で匈奴に十年間抑留され、さらに帰途でも一年間抑留された。往来にかかった期間は十三年である。




