プロローグ
俺は車で事故を起こした。起こしたというより、起こされたのかもしれない。その程度の記憶しかない。今は横たわっている。特に感触はない。硬いのかも、軟らかいのかも。何も感じない。自身が浮遊しているのではないかと錯覚するように。美しく、聡明で、太陽の陽を浴びるかのような感覚。それでも辺りは常に深淵で包まれている。闇だ。暗い。周りが見渡せない。ここがどこなのかも、わからない。耳を澄ます。何も聞こえない。いや、何者かの吐息を感じる。自分に触れてみる。良かった、俺は生きている。壁に触れてみる。そもそも壁がない。地面はどうだ。地面は、ない。その時、初めて自身が浮いていることを知覚する。天に手を伸ばす。まるで室外に居るようだ。アパートの、ベランダか。それはただの予想であり、想像だ。何も触れることができない。俺は周辺の匂いを嗅いだ。意外なことに無臭では無く、ほんのちょっぴり薬用アルコールのような匂いがした。それは、すぐに消えた。今、服を着ていることに気づいた。服は着ていたはずなのに、着させられていた。自身の四肢が動いている。止んだ。何処かの誰かが勝手に動かしたようだ。とても居心地が良い。もう少し、休もう。
俺は誰かに身体を起こされた。起こされたというより、起きたのかもしれない。その程度の感覚しかない。まだ、横たわっている。少しザラザラした感触がして嫌悪になった。それでもその感触を味わった。優しく感じた。温もりがある。その時初めて自身がベッドのような、ソファーのような、柔らかい物の上で寝かされていることがわかった。多分、今まで気づいていなかったんだ。ここはどこだ。周りは明るかった。太陽の陽を浴びていた。直射ではない。もう暗黒に怯える事はない。でも、周りは見渡せない。まだここがどこなのか、わからない。耳を澄ましてみる。音が聞こえた。音楽ではない事にはすぐに気づいた。自分に触れてみる。身体は動かせなかった。力は入るのに。なぜか動かせなかった。匂いを嗅いだ。湿布の匂いがした。この匂いは苦手だ。それは、永遠と漂い続けた。嫌気がさし、同時に諦めた。もう少し、寝よう。
俺は起きた。瞼が重く、周辺は見渡せない。両腕も動かない。足も。でも生きてたんだ。良かった。日差しを感じる。ここはどこで、今は何時なんだろう。周りに誰かがいる。立ち込める雰囲気が俺を理解させる。靴底がリズミカルに弾む音がする。そして、甘い香りがする。ゆっくりだが、瞼を持ち上げることができそうだ。もう少し。もう少し。もうちょっと。
明るい。強い光が開眼の邪魔をする。俺はいつからこんな視力が悪くなったんだろうか。まるで曇り窓越しに見ているようだ。この時、自分はやっと自身の肉体が衰えていることに気づいた。声、出ないかな。
「あ・・・。」
掠れた声が出た。自分、こんな声だったっけ。多分違うよな。
「あ・・あぁ・・。」
出したくても自由に出せない自分の声。俺だけの声。これじゃあ喋ることもままならない。あれ、誰かが近づいてきた。誰だろう。顔を近づけてきてる。今声を出せば、気づいてくれるかな。
「あ・・。あ、あ。」
もはや音というよりも吐息に近い微弱音。相手は反応がない。やっぱり気づいていな
「先生!!佐倉先生呼んでください!!」
あぁ。誰かこの状況を説明してくれ。