7話 出発
翌日の早朝。
狭い家の中に優馬とゲダル、そしてミサが向かい合うように座っていた。
前日の芋と雑草のスープを温め直し、ゲダルとミサはそれを胃に流し込んでいる。
黙々と食事を続ける親子を前にして優馬もまた、無言であった。
ゲダルにミサが同行することが優馬の聖女殺しにゲダルを同行させる条件としたが、それをミサに言い出すのは優馬かゲダルか、どちらからか決めあぐねていた。
「……」
優馬はゲダルを無言で見る。
それは、ゲダルから言ってくれと視線で語っていた。
対してゲダルは、それを受けて掌の椀に視線を落とす。
「……」
それは了承と受け取って良いのだろうかと優馬がゲダルの心中を測りかねていると、
「2人とも、どうしたの?」
ミサが首を傾げながら尋ねてきた。
「あ、ああ……そうだな……」
そういえば、と優馬はまだ確認していなかったことを思い出す。
ミサは聖女についてどのように思っているのだろう。
彼女は聖女の作り上げた世界しか知らない。
ゲダルはこの世界を壊そうと思っているが、ミサは受け入れているかもしれない。
「ミサ、聞いてくれ」
だが、ゲダルは意を決したようにミサに向き直る。
「ユウマは異世界から来た正義だ。この世界を滅茶苦茶にした聖女を倒しに来た正義。ここまではいいな?」
「うん。昨日ユーマが言っていた」
「俺は知っている。この歪な世界の始まりを。そして自然であった世界を。誰もが笑えない、そんな馬鹿げた世界を放置してはおけない。異世界から来た聖女の始末を異世界の正義に任せる。それは合理的かもしれない。だが、俺の心は正しくはないと告げている」
「お父さん……?」
「だから俺はユウマと共に聖女を倒しに行こうと思っている。この世界を正すために、正しかった世界を知っている俺が行かなくてどうする」
「ミサ。ゲダルは俺と一緒に正義を倒しに行くことになった。俺にとっても頼もしい。俺はそれに関しては感謝しているんだ」
同行に関して優馬は問題ない。
それを伝えた後に、
「ミサ、お前はどうしたい? ユウマや俺と共にこの崩壊しかけた世界を直しに行かないか? 父親らしいことは何一つ教えてやれなかった。生きる術くらいしかお前は知らない。俺はお前にもっと世界を知ってほしい。そして、その上でこの世界が間違っていると分かってほしいんだ」
どうだろうか、とゲダルはミサに問いかける。
ここでもし、ミサが断ることになっても優馬はゲダルの同行を取り消すつもりはなかった。ミサが自分の意思でこの世界の歪さを受け入れているなら、無理にそれを直すのではなく、聖女を倒した後に少しずつ教えていけばいいと思っていた。
だから、ミサの返答はミサだけのものである。
そこに優馬やゲダルの意思は付随しない。
「私は……」
そしてミサが答えを口に出した。
「私の世界はお父さんと一緒に暮らしたこの10年間だけ。それが良いものなのか悪いものなのか、私にはこれしかないから分からない。どうしたいのかなんて少しも考えることが出来ない」
まだミサは幼い。
判断を仰ぐには早かったかと優馬は思う。
しかし、ミサの言葉には続きがあった。
「だから、それを見極めるために私は付いて行きたい。他の街、村がこことは違うのか。聖女がどんな人なのか。そしてこの世界があっているのか間違っているのかを」
分からないこと分かりたい。
そう、ミサは答えを出した。
「いいんだな?」
「うん。ユーマもお父さんも、私が一緒に行って迷惑じゃない?」
「くくっ」
それを聞いて優馬は笑う。
「……?」
「いや、すまないな」
何が可笑しいのと首を傾げるミサに優馬は謝る。
同じだったのだ。自らの同行の許可の取り方が。
迷惑ではないか。
まず相手のことを考えることが出来る。
「ゲダル、お前の育て方は間違ってはいないようだ。ミサはいい子に育っている」
「だろう。良い子なんだこいつは」
ゲダルもミサの言葉に既視感を覚えたのか、優馬の言葉に頷く。
「お父さん」
からかわれたのかと思ったのかミサ語気を強める。
「悪い悪い」
いつの間にか、重々しい空気が和らいだと優馬は感じていた。
ミサを連れていくという危険性。それは親子が共にいるという日常へと変化していた。
「それで、いつ出発するの?」
「……俺は今日にでもと考えている。早いうちに決着を着けたい」
「そうだな。聖女を倒しても、世界が元に戻るわけではない。まあ、そこは俺達この世界のやつらで頑張るしかないがな」
「じゃあ、支度しなきゃ」
そう言ってミサはどこからか肩掛けのポーチを取り出してくる。
「ちなみにだが、聖女というのはここからどのくらいの距離にいるんだ?」
この世界の広さも分かっていないが、聖女の居場所も分かっていない。
唯一、拠点としている城があることが幸いだろうか。
「そうだな……昔なら馬が使えたが今は歩いて行くとなると3日はかかるだろうか」
「休憩も含めてか?」
「ああ。ミサの体力を考えて3日だ。これでもミサは俺と共に周辺から食料を取ってきているからそれなりの体力をつけているんだぞ」
3日ならば案外近い。
もし馬があれば一日以内に着いたのではないだろうか。
「十分だ。それまでに町や村はあるか?」
「ああ。歓迎はされるか分からないが、一晩宿を借りるくらいは可能だろう。……そこで見てくれ、如何にこの街がまだまともな方なのかを」
「ああ……肝に銘じておく」
ミサはポーチに小さなナイフや水の入った筒を入れていた。
また、台所にある塩や砂糖が僅かに入った瓶もポーチに入れており、小さなポーチはそれで満杯になっていた。
着替えは持っていかないようで、ゲダルも似たような量しか自分の荷物に入れていなかった。尤も、室内を見渡した限りでは衣類など満足にないようだが。
「……ん? これは持っていかないのか?」
ペッパーと書かれた瓶。中身を見ると胡椒だ。塩や砂糖と違ってほとんど使われていない。
「あー、これはな。ミサが嫌がるからあまり料理にも使っていないんだ。肉を食べられるわけじゃないから臭い消しとしても使えないしな」
「これ、くしゃみ出るから嫌」
「ふうん」
元の世界では胡椒といえば時代にもよるが、それと同じ重さの金と同価値だったとか。
「俺達には無用の長物だが、欲しいなら持っていっていいぞ」
「なら……借りていこう。使わなければ返す。なんせこれからは使うことがある世界になるのだからな」
「そう……だな」
支度というほど大きな荷物もなく、30分も経つ頃には出発する準備を整え終えていた。
「戸締りはいいか?」
「空き巣に入るような、そんな気力の有るやつは今やこの世界にはめったにいない。まともな食糧すらないのだから金銭の価値が無いのだからな」
「出発」
ミサも聖女のいる位置の検討はなんとなく分かっているのか、先に歩き出す。
「行くか……」
「ああ。ミサが元気なうちに進めるだけ進んでおこう」
道は一本道ではない。
山では獣道、碌に舗装されていない小石だらけの道を歩くこともある。
体力もそうだが、気力が必要になる。
どうせミサもゲダルも歩く際に出来るマメは聖女によって回復される。後は延々と続く歩くという作業に何時まで付き合えるかだ。
「一番近い村までは半日ほどだが、もう数時間足を伸ばせば街にまで届くぞ」
「なら、村で昼飯休憩を取って街に行くとするか」
そうして歩くこと5時間。思っていたよりも健脚であったミサとゲダル、そして正義としての身体能力を持つ優馬は休憩を最小限に抑えることで村に予定よりも早く到着した。
「ここもそこまで変わらないんだな」
「起きている人間はごく僅かか」
この世界の多くはゲダルのいた街の人間と同じく気力の無い、食っては寝るという生活を繰り返すだけの人間だという。
「少し休んだらすぐ出発しよう。時間は有限だ。この時間に今も世界は歪み続けている」
交渉の末、村の外れで小一時間ほど休憩させてもらえることになったため、3人は簡素な木造りの椅子に腰を降ろしたのであった。