4話 食事
「少しだけ待っていろ」
ゲダルとミサの家に到着するとゲダルはそう言って、食事の支度をし始めた。ミサもゲダルの隣に立ち何やら小さな刃物で切り刻んでいる。
優馬はそれを床に座って見ていた。こうして後ろ姿だけ見ていると、シングルファザーと一人娘だなと思いながら――実際にそうなのだが――、そういえば母親はどうしたのだろうと疑問に思った。
この場合、考えられるとしたらすでに死んでいるという線が濃厚ではあるが、それを聞けるほど優馬は空気が読めないわけではない。
だから、遠回しに
「料理はいつも2人で?」
「ああ。俺達も食事をしなきゃ死んじまうからな。ん? ああ、そうかこいつの母親か」
ゲダルは鍋に火をかけるミサの頭を優しく撫でる。
「こいつが生まれたその日にな。元々体の強い方じゃなかった。聖女が来る前のことだ。俺もこいつもそれは吹っ切っているから安心しな」
なるほど、と思いながら新たな疑問が優馬には生まれる。
ゲダルは今、聞き流すことのできないことを言った。
「食事をしなきゃ死んでしまうと言ったな? 聖女の加護とやらはそれには発動しないのか?」
「ああ。前に空腹を我慢し過ぎて死んでしまったやつがいた。聖女はどうにも腹を満たす力は無いみたいだな」
どうやら聖女の加護とやらで怪我や病気は回復すれど、空腹感は収まらないらしい。
それはミサ曰く、
「足が生えてくるのとお腹の中に食べ物が現れるのは別」
であるため、それには優馬も頷く他なかった。
空腹が悪化し栄養素の欠如で死ぬ場合もあるのだろうかと優馬は思う。
それならば、聖女の回復能力というのは必ずしも完全ではないのだろう。いくら回復を続けたところで生きるためのエネルギーにはならない。
だから、こうして2人は食事を取っているのだろう。
ただし、その食事も空腹感を減らすため、ということに優馬が気が付いたのは食事を振る舞われた後であった。
「これはいったい……?」
それはそこいらに生えていたような雑草と芽が出てもお構いなしの芋を煮込んだものであった。
食べればまず間違いなく腹痛を起こし最悪死に至る。
毒を食べるようなものな、そんな食事であった。
「食べないの?」
ミサはそれを平気で口へと運んでいる。
小さな口に芋や草が入れられるたびに、細い喉が動くたびにミサの体が光に包まれる。
「ミサ、ユウマは聖女の加護を受けていない。……そういえば俺達と同じ様に考えていたが、すまんな。無理しないで食べなくていいぞ」
「すまないな。せっかく用意してもらったのに」
「いいさ。お前に倒れられては俺達も困る」
1人芋と草の入ったお椀を床に置いてゲダルとミサの食事風景を見ている優馬であったが、やがて2人が光に包まれているのを見て気づく。
草と芋。草は分からないが、芋の芽の部分には毒があることは間違いないだろう。見た目がジャガイモに似ていることも、色がすでに毒々しいこともある。そして、食べるたびに光に包まれる。これこそ『不戦の聖女』が回復――否、解毒をしている証である。
芋とて毒だけを成分としているわけではない。少なからずの栄養が含まれている。毒さえ無ければ立派な食材である。だからこそ、聖女によって体内に入り込んだ解毒されることを承知で毒を含んだ食材を食べ、栄養素だけを取り込んでいるのだ。
優馬の視線に気づいたのか、
「昔はな、もっとまともな食事だったさ。こんな訳の分からないものを食べるんじゃなくて、野菜や肉、魚だって食べていたさ。だが、それも今は無理だ。誰も働こうとしない。動こうとしないんだからな」
「それが聖女がこの世界でやったことの結果なのか?」
「ああ。食事をただ見ているのもつまらないだろう。少しずつだが、話すとしようか」
そしてゲダルはぽつりぽつりと語り出した。
それは優馬にとって正義なのか悪なのか、判断し辛いものであった。だが、確実に言えることは、ゲダル達はこの現状を決して望んでいなかったということだ。
10年前のことであった。
この世界は小さな国がいくつもあり、その庇護下に街や村が連なることで国同士の戦力差は少なくバランスが保たれていた。
国が多いことで戦争も短くない期間の頻度で行われてはいたが、頻度が多いが故にルールというものが決められ、その審判員すらも付けられて戦争は行われていた。
戦争というよりは試合に近かったのだろう。死者は出たが、降伏すればそれ以上の攻撃は不可とし、必要以上に殺さないことが鉄則とされてきた。
戦場も広い荒野をいくつも用意し、そこで攻城戦や平地での撃ち合い、歩兵のみで武器は槍、といったもはや国の命運を掛けたにしては遊び心さえ入れられている戦争となっていた。
戦争を行う2つの国とそれとは別の第三者の国が取り仕切ることで戦争は成立する。もし不意打ちや闇討ちなどをしようものならそれは国に非ず罪人の溜まり場である、とされて他の国全てから総攻撃を仕掛けられるため、公平に闘うことは当たり前であった。
戦争こそ多発するが極めて危険性の少ない、命を重視された世界であった。
兵士すら志願制。高度な訓練を受けても良し、気ままに参加しても良し。スポーツ代わりに自分の鍛えた体を見せびらかせに来る者もいたという。
なぜそこまで戦争に対してどの国も安易な考えを持てていたのか。
それは戦争の敗北時に降伏した国は当然ながら勝利国に吸収されるが、決して陥れられることがないからだ。敗北した国の者を奴隷とすることもなく、昨日までと同様に笑って暮らしていられる。勝った国は敗北国から少なくはないが多くもない賠償金をもらうため少しだけ裕福な暮らしになる。
やり過ぎてはいけない。限度を決めることで勝っても負けても笑うことのできる、後ろめたさのない戦争になっていた。
無論、戦死する者もいる。だが、自ら志願した者達であり、死ぬ可能性が高いと分かっている彼らは身辺を整理してから来る者も少なくない。勝った国が賠償金の中から戦死者全ての家族に対して見舞金を渡していることもこの戦争を問題視していないことに関係しているだろう。
バランスは取れていたのだ。
誰も不幸にならない戦争。死者こそ出てしまうがそれすらも極力出ないように、出ても何かしらで補償される戦争。産業も発展し、戦争を行えば行うほど国々は豊かになり、貧しくなる国などどこにも存在しなかった。
だが10年前、小さな国同士が吸収合併され、やがて大きな国が4つのみの世界となった頃。あと少しで最後の戦争が始まろうとしていた。これが終われば世界は1つに統合され、真の意味で戦争に無い世界となることは誰もが確信していた。
世界中が注目していた。どの国が勝利するのか、今回はどのような方法で戦争が行われるのか。
4つの国からそれぞれ兵士達が集まり、2つの戦場に降り立つ。
その様子は空中に浮かべられた球形のドローンから映像を転送されて家庭で、国の中央に配置された大型のスクリーンで中継されていた。
戦争とは科学の発達が最も進む文化である。とりわけこの世界では防衛に関する発達が進み、肉体の強固面の改造から衝撃を吸収するスーツなどが開発されていた。
ここまで来ればよほどのことが無い限りは死者が出ないような戦争であった。
銃弾は実弾であるが、それを難なく防御するスーツがある限り兵士達は体力の続く限り進む。
戦争の開始の合図。それを審判員の代表が鳴らそうとした時。
「これが私が救うべき世界なのですね!」
聖女が現れたのであった。