3話 切断
「な……何をしている!」
守るはずの己が娘の足を斧で斬り落としたゲダルに向かって優馬は叫んだ。
出血は激しい。このままでは出血多量により死ぬ可能性が高い。いや、その前に痛みによるショック死だろうか。
野犬に噛まれたミサを助けるためであれば、犬の脳天に斧を振り落とせば良かったはずだ。もし犬を殺すことに躊躇したのだとしても、ミサの足を斬り落とすというのは道理がいかない。
手元が狂ったとは思えない。先ほどまで野犬を追い払っていたゲダルの斧捌きは見事なものだったし、ミサと野犬はそこまで激しく動いていたわけではない。むしろミサは噛まれたことを理解できずに立ち尽くしており、野犬は振りほどかれないようにガッチリと噛み咥えていた
「なにって、ミサの足を斬ったんだが?」
何気ないようにゲダルは答える。
まるでそれが当たり前の対処の仕方だというように、続けて近くにいた野犬に噛まれていた男の腕を斧で斬り落としていく。
切断された足を咥えていた野犬は斧の衝撃に驚いたのか、足を口から離しゲダルに向かって吠えている。ゲダルはそれに対しては意に介さずこれが自分の仕事だとばかりに淡々と街の住民たちの腕や足を斧で斬り落とす。
「っ!? ミサ、大丈夫か!」
凶行に走るゲダルを取り押さえるか、それともミサの手当てをするか。
悩んだあげく目の前で失いかける命を見捨てることは出来ず、優馬は着ていたシャツを脱ぐとミサの足から流れる血液を止めようと巻き付ける。
「……いい。むしろ邪魔だよ」
しかし、今まさに痛みと出血によって命が失いかけているミサ自身が優馬の応急手当を押し返す。
「何言っているんだ。このままでは死ぬぞ!」
「死ぬ? そっちこそ何を言っているの?」
焦る優馬に反してミサは平然としている。
なぜ優馬はこれほどまでにこちらを心配しているのだろうとまで不思議に思っている表情をミサはしている。
ミサは落ち着いて優馬の服に締め付けられた足部を解いていく。
服に血が染み込んでも尚、切断箇所からの出血は止まっておらず、ドクドクと心臓の鼓動に合わせて血が流れる。
しかし次の瞬間。ミサが光に包まれたかと思うと、足部の切断箇所の出血は止み、それどころか肉が盛り上がっていく。見る見るうちに盛り上がった肉は5つに別れ足指となる。
ミサの足が切断されてから30秒も経たないうちにミサの足は何事もなかったかのように元通りになっていた。まるで夢のような出来事だが唯一、血で汚れた優馬のシャツだけがミサの足が切断され出血していたという現実を思い出させる。
「私達は死なない。死ねないようになった。それが世界の常識でしょ?」
ミサはそう言って犬が落とした足から靴だけを脱がすと、残りは犬に放り投げる。
「それはあげるから山へ帰って」
野犬は恐る恐るかつてミサのものであった足を咥えると、そのまま山の方へと走り去っていった。
見れば他の街の住人を噛んでいた野犬たちもそれぞれ腕や足を咥えており、山へと帰っていく。
「……これでしばらくやつらはこの街に来ないだろう。一昨日から立て続けにいくつかの群れが来たから疲れたな」
呆然と今起きた事態を脳へと受け入れさせようとしていると、ゲダルが斧を担いでやってきた。
「ユウマ、だったな。さっきのミサに対しての対応。なるほど、お前は知らないんだな」
「知らない、とは……?」
いや、予測は付いていた。
しかしここまで強力な能力ではなかったはず。
かつて共に正義としていた彼女は自身とその周囲だけを癒すという能力であったはずだ。
「俺たちは聖女の加護を受けている。加護というよりも呪いだな。『闘わない方が正義』。忘れもしない10年前のあの日、やつは自分のことをそう名乗った。そして俺達の中で正義が魔王となった瞬間だった」
「やはりあいつか……」
別名『不戦の聖女』。
闘えないのではなくあえて闘わない。
戦場に降り立ち全ての攻撃を食らってそれでも反撃をしない。
攻撃を全て受けて相手から戦意を無くす。
闘わないことを思想としていた正義の中でも珍しく、そして正しさに関してはトップに立つ女であった。
そしてその正義を裏付けるが如く持つ能力が回復能力である。
馬鹿げたほどの治癒能力であり、たとえ致命傷であっても、猛毒であっても、精神的な攻撃であっても彼女にかかればたちどころに回復してみせる。
すでに死亡してしまえば別ではあるが、息さえあるのならば誰であろうと、敵味方関係なく回復してしまうために彼女を戦場に呼ぶことは終結を望んでいると同じ意味を持つと言われていた。
「なぜ……いや、そもそもで時間軸が違うのか……?」
ゲダルは今、10年前と言った。
しかし優馬たちが異世界へと旅立ったのは正確にとは言えないが一年ほど前のはず。
どう計算を間違っても10年前にはならない。
「本当に『闘わない方が正義』なのだな? 聖女のような姿をした女で間違いないか?」
「ああ。そこに恐ろしいまでの美女というのが付け加えられるなら間違いない。最後に俺が見たのは2年前だが、10年前と全く見た目が変わっていなかった」
「……どうやら間違いないようだな」
見た目が変わっていない云々はともかくとして美女であり聖女、そしてその女が正義を名乗っているなら間違いないだろう。
だが、間違っていてくれた方が良かったと優馬は思う。
「……1つ確認したい。ゲダル達はその女に対してどのような感情を抱いているのだ?」
「どのような感情だと?」
「愛している、憎んでいる、放置しておきたい、憐れんでいる……何かしら思うことはあるだろう」
「それなら……殺したい、だな。見ただろう、この街の現状を。こうなったのも全てあの女に所為だからな」
「そうか。ならば最初に誤解を解いておかなければならないな。先ほど俺は自分を正義と名乗ったが、それは俺がこの世界をその女から守るためにやってきたということだ。いいか、俺は恐らくだがあの聖女を殺すことになるだろう。だから、俺とお前は敵を共にする味方だ」
ゲダルの家にて優馬が自身の正体を明かした時、ゲダルは優馬に対して斧の切っ先を向け、殺意を放っていた。
優馬が『不戦の聖女』の敵であることをここではっきり言っておかなければ話は進まないだろう。
味方として扱ってくれるのならば情報も共有してくれるはず。
「……そうか。残念だがその言葉だけでお前を信じることは出来ないな」
そうだろうな、と優馬は自分でも思う。
ゲダルの言い方からして野犬に襲われるのが日常となっている。それがあの聖女がこの世界に来てからだというのなら、優馬が正義だと名乗ったところでこれ以上悪化するだけだと思われても仕方ない。
「だが、お前はお前なりにミサを救おうとしてくれた。どの道回復したわけだが、お前はそれを知らずに、ミサの為に自分の服を汚してくれた。見たところこの世界にはないものだ。ならばそれはお前にとっても大切なもののはず。だからこそ、それを捨ててでもミサを救おうとしたお前の正義を俺は信じようと思う」
「うん。ゆーまは良い人。必死な顔をしていた」
「ミサもこう言っているしな。ユウマ、お前はこれから聖女を倒しに行くのだな?」
「ああ。そのつもりだ。出来ればすぐさま倒しに行きたいところだが……」
やることも無いし眠ろうかと思っていた矢先の出来事であった。
今はとっくに日が落ちている。
「日が落ちてあの山に行けば野犬の餌にされかねない。俺達は野犬に餌を与えるが餌になる気はないからな。どうだ、一晩家に泊っていくという先ほどの言葉。もう一度言わせてくれないか?」
「……そうだな。ぜひとも泊まらせてほしい。そこで聞かせてはくれないか? この街のこと、お前たちのこと、そしてあの聖女がこの10年間で何をやったのか」
すでに野犬騒ぎはどこかへと消え、街はまた静寂を取り戻していた。
そして喧騒の元となった野犬は山へ、優馬たちは街の外れにある一軒の家へと向かい歩くのであった。
10話以内にこの世界終わりそう
もう少し長くしてみせたいものだけど