1話 新たな異世界
というわけで本編です
光に包まれたことによって失いかけた視界が回復する前に五感の1つが感じ取ったもの。
それは腐敗臭であった。
何が腐ったのか、元が分からない。
様々なものが腐り、それらが放っておかれることでごちゃまぜになったことによってこのような悪臭が生み出されたのか、それとも生み出す原因があったのか。
この世界を滅ぼす怪物の仕業……とは思えにくい。
なぜならこの世界を壊そうとしている者の正体は神父によれば、正義なのだから。
「山の中、か……」
視界が回復し、周囲を見回すと木々の中であった。地面には高低差があり、下の方に街らしきいくつかの建造物が見えるため、森というよりは山の中なのだろうと優馬は判断する。
「すぐこの世界を担当する正義のところへ行きたいところだが……」
その正義の現在地は分からない。
優馬は自分の担当した異世界では簡易的な家を造り、そこを拠点としていた。定期的に拠点を移してはいたがこの世界の正義が常に移動していようものなら探すのは困難であろう。
だが、優馬は思う。
世界を壊すほどの影響力を持つ正義ならば、決して隠れることなど出来ないだろうと。
誰が見てもそれが常人ではない、通常ならざる雰囲気を持つはずだ。
「よし、まずはこの世界の人間にコンタクトを図るか」
人を探すなら人に聞けばいい。
一年前、この世界に突如現れ、曲がりなりにも世界を正そうとした正義がいるはずだ。それを認知できなかったなどあるわけがない。
運が良いことに近くに街はある。
まずはそこを目指そうと優馬は山を降りることにした。
「文化レベルは高いのだろうな」
見える限りでは建造物はレンガ造りである。
優馬の担当した世界は建造物といえば藁づくりであり、それに準じて食事を始めとした生活水準のレベルが低かった。
正義に休息は必要ないとはいうものの、それでも休められるならばゆっくりと疲れを癒したいものだ。
一年振りに何か手の込んだ食事を取りたい。
藁に布を被せた布団ではなくベッドで寝たい。
まだ優馬は若い。高校生と正義の2つの身分を両立しており、娯楽にだって飢えている。
「というか、この世界の人間はどのような性格が多いのだろう」
担当した世界の人間は総じて腰が低かった。
優馬が現れたことによるものなのか、それとも強大な悪や正義という強者がこれまで存在していなかったが故に厳密な階級制度が作り上げられることがなく誰もが平等に、対等に低いままであり続けたのか。
「まあ街はすぐそこだ。辿り着けば分かることだな」
正義の身体能力は優馬レベルのものでも常人よりは高い。
山中の木の根で躓いたり腐葉土で滑ることなく駆け下りていく。
「むっ、あれは狼……いや、野犬か?」
野犬の群れが何かに群がっていた。
最初は狼かと思ったが、大きさがまちまちであり、その見た目はかつて元の世界で見たようなプードルやゴールデンレトリバーのような、決して野生では見ないような犬種もいた。
誰か心無い飼い主が、ペットの飼育に手を焼いて野生に返してしまったのだろうか。
それならばこの犬たちは何も悪くは無いが、近くには街がある。街の人間に放されたのだとしても、この野犬の群れが人間を襲わないとも限らない。
「少し遠くまで追い払っておくのがどちらにとっても為になるか」
そう思い優馬は野犬の群れ目掛けて体の向きを変える。
「グゥ? グワゥ!」
しかし風向きが悪かったのか、独り言が耳に届いてしまったのか。野犬の1匹が優馬に気づき吠える。
そしてそれを皮切りに群れ全体が優馬を視認した。
「気づかれてしまったか……」
腰に下げた日本刀に手を当てるが、すぐに引っ込める。
毎日手入れを怠ったことの無い刀だが、これは必要のない時には使わないと決めてある。
たかが野犬の群れ、というよりもこれは追い払うための闘いである。
野犬を傷つけたいわけではない。
「悪いが、少しくらいは痛い目を見てもらうぞ?」
優馬は刀の代わりに拳を堅く握る。
野犬も臨戦態勢になり、小さい犬を隠すように大型の犬たちが前へと出てくる。
「行くぞ!」
大型の犬たちがまず優馬へと噛みつくように走ってくる。
その咢を避け、首元に手刀を入れる。腹を蹴り上げる。
あくまで追い払うためにこちらが強い存在だと分かってもらうための攻撃だ。気絶やまして殺すほどの威力は出さない。
攻撃を受けた犬たちは動きが鈍っているが、それでもまだ優馬に向け吠えることを止めない。
5匹目の大型犬を蹴り飛ばした時、小型犬の一匹が足に噛みついてきた。
無論、痛みは無い。たとえ優馬の皮膚を貫き傷を付けたとしても、少し時間が経てば傷跡も残らず回復するだろう。だから、この小型犬を引き離し、残る大型犬や小型犬に痛い目を見てもらって遠くへ追い払うことを続けようと優馬は小型犬へと手を伸ばした。
だがその顔を見て優馬の手は止まる。
「……家族を守るためにお前らも必死なんだな」
野犬と化してもその犬の顔は狂気に満ちてはいなかった。
かつて人間に飼われていた時代に飼い主を守るために小さな体で闘ったのだろうと思わせるほどの勇敢な顔を小さな犬は優馬に向けていた。
「悪かったな、急に余所者が殴りこんできて」
だからこそ、これ以上殴ることは優馬には出来ず、今噛みついている小さな犬の頭を撫でた。
この犬も、そして先ほどまで優馬が追い払おうと傷を負わせてしまった犬たちも群れを守ろうとして牙をむいた者達ばかりだ。優馬が圧倒的な力を見せても尚、立ち向かい、小さな犬までも優馬に噛みついてきた。
誰かの為に闘える。それは正義だ。
正義を敵にすることは出来ない。優馬にはこれ以上闘う理由が無かった。
「だけど、お前たちがここにいるといつか近くの街の人間達に殺されるかもしれない。早いとこ、どこかへ行け。な?」
もう一度優しく小型犬の頭を優しく撫でると、優馬の言いたいことを理解してくれたのか、そっと噛みついていた口を優馬の足から離した。そして少し血の滲んだ箇所をペロペロと舐める。
「くすぐったいよ」
優馬は笑う。
いつの間にか野犬たちが全て優馬の近くまで来て頭を垂れていた。
優馬はそれら全てを撫でてやると犬たちは気持ちよさそうに目を細める。
「いいか、遠くまで行くんだ。これだけの山だ。野生の動物も他にいるだろ。そいつらを自分たちの食べる分だけ狩って、そして人間には見つからないように暮らすんだ」
ひとしきり撫でまわした後、優馬は野犬たちにそう言った。
犬たちは名残惜しそうにしているが、もう一度諭すように優馬は繰り返すと山の奥に去っていった。
「これで一安心、と。そういえばいつの間にか臭いに慣れていたな」
嗅覚というのは確か順応性が高いのだったなと思い出す。
しかしそれにしても嗅覚が鋭いはずの野犬たちも気にしている様子は無かった。
以前からこの腐敗臭はしているのだろうか。
「正義としての力が俺はそこまで高くなかったのが幸いしたか。嗅覚まで高すぎたら地獄だったな」
この腐敗臭を気にしない正義とはどのようなものか。
この地域一帯だけが腐敗臭に溢れている?
それほど力が無く能力だけが強い正義?
臭いなど気にしない豪胆な性格?
今はそのどれか、これ以外かもしれないが判断が付かない。
どの道会ってみるしかない。
会うことさえ出来れば、対話するか対決するかは分からないが決着は付くだろう。
予想するならば、神父の言ったあの言葉。
「『平和すぎる世界』。そして俺くらいしか対処できない正義、か。出来れば闘いたくはなかった相手だな。性格的にも、能力的にも」
いや、そもそもで正義と闘うなど避けたい。
どちらも悪と闘う存在であって仲間内で争う存在ではないのだから。
「……完全にどこかへと行ったようだな」
野犬の姿が完全に見えなくなり、山の奥の方へと行ったことが分かると優馬は山下りを再開しようとする。
「……ん? あれは……」
しかしふと先ほどまで野犬が群がっていた場所を見ると優馬の動きが止まった。
そういえば野犬は何かに群がっていたのだったな。何か動物でも狩っていたのだろうかと見てみると、
「これは……人間の手、か!?」
人間の手や足がいくつもそこにはあった。野犬が喰い散らかしてしまったため骨が覗いているものも少なくない。
だが、不可思議なことに手足はあろうと、胴や頭部はそこには存在しなかった。
「どういうことだ? 処刑の類、とでもいうのか?」
それにしては数が多い。そしてこれは新鮮過ぎる。
まだ切断?されて一日程度しか経っていないものばかりだ。
同じ部位を数えてみればおよそ10人ばかりの人間の手足がそこにはあった。
10人の犯罪者を一気に処刑したとは考えづらい。見える街の規模で10人の犯罪者、しかもこれほどの重い刑罰となると街は今混乱しているはずだ。だが、それにしては静かすぎる。
「切り口は、刃物で切断されたようだが……」
しかし切断箇所が刑罰によるものではないかと物語っている。
野犬が噛み切ったようには見えない。綺麗な切断面だ。
「……街で何かが起きている。情報収集と休憩を兼ねてと思ったが、これは何かありそうだ」
優馬は気を引き締める。
もしかすると異世界で初めての悪と遭遇するかもしれない。この漂う腐敗臭の原因かもしれない。
「正義を執行しよう。俺以外にも出来る普通の正義を」
1つの異世界につき、何話くらいのペースになるかな…