プロローグ 正義その2
一年後、優馬はその世界において何もやることがなくなった。
アラミルという名前の世界だったらしいが、その世界では自然と人間が上手く協調して暮らしており、時折現れる猛獣が生活を脅かす程度といった有様だ。
優馬はその猛獣を倒し、素材をそのまま近くの村に提供し自分の生活を成り立たせていた。
細かな人間関係はさすがに優馬でもどうしようもなかったためそこは年長者などに頼み、あくまで命の危機やどうしようもなく第三者が介入しなければならない時にのみ優馬は力を貸していた。
「これで人食いトラの討伐は終わりました」
「ありがとう……本当にありがとう。これで私達は冬を越せます」
異世界での言語はそのまま元の世界と同じだったのかそれとも正義の力の1つに翻訳機能があったのかは分からないが、言語や読み書きで困ることは無かった。
文化や価値観も元の世界でも国が変われば違うものであったため、そうなのかと優馬は無理やり納得するが、神への供物と言いながら化け物に女子供を差し出す際には化け物を倒していた。
「さすがに疲れたな」
今回原住民たちに依頼されたのは村の付近に住み始めた人食いトラの討伐であった。
村の近くにある川一帯を縄張りとし始めたため農作業や生活そのものに支障が出始めた。そんな折に噂を聞いた優馬が人食いトラを討伐してみせると現れた。
だが現実は、人食いトラは群れを作っており小虎に栄養を与えるために人を食べていた。
トラは自分の生活のために人を食べており討伐することは人間のエゴではないのか。そう悩んだ末に優馬は一帯のトラを全て殺した。
最後の一匹である小虎を手にかける際に頭に浮かんだのは村長の孫娘の顔であった。
事態を知らずに村の外へと遊びに行こうとする孫娘を村長を始めとした大人たちが必死に止めていた。
結局は人間のための正義でありトラにとっての正義ではないのだろうか。
そう思いながら優馬はトラの返り血にまみれた衣服を纏いながら簡易的につくられた家へと続く道を歩く。
すでにこの世界で優馬にやるべきことはない。
初めから無かったのではないか、そう思えるほどにこの世界に強大な悪は存在せず、正義の活躍の場など当然無かった。
必要だったのは正義ではなく、優馬の力。生活を脅かす災害から助けるための力。
無論、それとて正義の活動には違いないが、災害など何時までも優馬が助けられるものでもなく、自分達解決したほうがいいというのは優馬だけでなく原住民たちにも分かっているはずのことだ。
最初こそ歓迎された優馬だが、最近は気を遣われているといった印象を原住民たちの態度から感じる。
何もさせないのは悪いから自分達でも解決しようと思える案件を解決してもらおう。
そう感じてしまうのだ。
異世界からこの世界を救いに来た正義。
最初にそう自分を定義づけてしまった結果がこれだった。
原住民たちとの距離感。あくまで自分は頼まれた仕事を解決する何でも屋といった立場に立ってしまったが故に優馬は個人と親しくなることはなく、ただ日々を化け物退治に使っていた。
だからだろうか。この世界にもう正義は必要ないんじゃないかと思い始めていたから。
「ふむ。満点とまではいかないが十分な及第点だ」
唐突に神父が現れた。
歩く道を警戒とまではいかないが前を見て歩いていたはずなのに、神父はまるで最初からその場に立っていたかのような振る舞いを見せている。
どうやって、と考える前に神父の隣にいる少女を見て思い出す。
「確か……『愛ある正義』だったか」
「ひ・さ・し・ぶ・り・で・す」
相変わらず片言の日本語は改善されていないらしい。
「神父よ、及第点ということはこの世界はもう救えたということなのか?」
優馬は神父に尋ねる。
一年どころか半年ほど過ぎてから薄々この世界の危機など無かったのではないかと優馬は思い始めていたのだ。
「ああ。優馬君、君の仕事はもう終わりだ。安心して元の世界に戻るといい」
「そうか」
一年。1つの世界を救うには長いのか短いのか。それは計り知れないが、兎にも角にも彼のやるべきことは終わったのだ。
「他の世界はまだ救われていないが、君には関係の無いことだ。たとえ他の正義が理想を貫き通した先に世界そのものを壊しかけようとしても、君は自分の担当する世界を救った。元の世界で待っている者がいるだろう? 今すぐに帰してあげよう」
「待て、どういうことだ?」
「うん? どういうことだとは、どれを指しているのかね」
優馬が神父の言葉を止めると神父はニヤニヤと笑う。
まるで最初からこの展開が分かっていたかのように。
いや、神父は優馬に止めさせるためにわざとこの言い方をしたのだと優馬にははっきりと分かった。
「他の正義が世界を壊そうとしているだと?」
異世界を救済するという目的でそれぞれの正義が旅立っていったはずだ。
それは一年前、優馬は確かに見ていた。
それぞれ一癖も二癖もあるが彼らはれっきとした正義。
何名か揃えば対立してしまう思想もあるが、彼らは少なくとも誰かを救うために正義となったはず。
「気になるかね?」
「気にならせるために言ったのだろう。いいから早く教えろ」
この世界で過ごすうちに他人との会話が乱雑になってしまっていた。
神父にはかつてもう少し柔らかい態度をとっていたはずだが、一年前の脅迫じみた異世界転移とこの世界での生活によって優馬の話し方と態度は少しだが変化していた。
「いいだろう。だが、知ったからには君にはまだ世界を救うために働いてもらうことになるぞ。まあ、君の性格上、放っておくことは出来ないだろうがな」
「……よく分かっているな」
「一年前、君達はそれぞれの世界を救うために異世界に旅立った。ここまでは君も覚えているな?」
「ああ。よく覚えているよ、大事なものを人質に取られていたからな」
「ふっ、どうせ全員人質など無くとも行っただろうさ。さて、異世界と一口に言っても、その世界の難易度は大小様々だ。君のように一年もあれば救いきって暇になるようなところもあれば、百年かかっても無理だろうというようなところもある」
「百年……それは俺達の寿命が尽きるだろ……」
正義とはいっても人間の寿命を突破しているわけではない。
優馬のような高校生でありながら正義となった者もおれば高齢の正義とて存在している。
「君の実力を基準にすればな。そういう世界には最強や最高の正義を送った。私の計算では数年あれば救えると思っていた。だが……」
「救えなかったのか? 異世界の悪が強すぎて」
いや、と優馬は思い直す。
確か神父はこう言っていたはずだ。
理想を貫き通した先に異世界を壊す正義と。
「違う、その世界の悪は私の想像以上に早く滅びた。その点は彼らには感謝しているし成長に嬉しく思っている。だが、彼ら正義達はその世界で自分の思い通りの正義の活動をし始めた」
「それなら俺だってやっている。つい今しがたも人食いトラを人間のために殺して来た」
果たしてこれは正義の活動なのかと悩んでいた直後だ。
正義を貫いているわけではないが、これはこれで原住民たちにとって良いかと問われれば未来を考えると良くないと分かる。
魚を与えるのではなく釣りの仕方を教える。
自分で立ち上がってもらわなければならないのだ。
「規模が違うのだよ」
「規模?」
「君はあくまで助けられる範囲の人間を助けているだけに過ぎない。未来を考えれば良くないことかもしれないが、それはこの世界の者達が自力でやろうと思えばやってのけられることだ。現在を助けている分、許容範囲といえよう」
「と、いうことは……」
まさか、有り得ない、と優馬の脳に言葉が木霊する。
「ああ、彼ら正義は異世界の現在をも取り返しのつかない勢いで壊し始めている。このままではすぐにでも原住民たちも、異世界そのものも壊されかねない」
「っ!?」
「だから私はこうやって異世界を救い終えた者達に頼みに来たのだ。暴走した正義を止めてくれと。倒してほしいと」
「それを俺にやってくれということか」
「ああ、理解が早くて助かるよ」
優馬は考える。
正義同士の闘いはこれまでにもあった。
多少の傷を負って勝敗が着くことはあったが、今回は恐らく殺し合いにまで発展するかもしれない。
国同士ではなく世界の存亡をかけた戦いだ。どちらも譲ることは出来ない。
このまま知らないふりをして元の世界に帰れば平和な暮らしが待っている。
大きく減少した正義の代わりに小さい悪を倒す日々は案外悪くないのかもしれない。
だが……、
「分かった、俺に出来るなら。いや、出来なくとも行くしかない。無謀な闘いでも行かなくてはならないのが正義なのだから」
世界を救うために正義と闘うことを優馬は承諾した。
「さすがだね。君なら引き受けてくれると思ったよ」
「御託はいい。それで、俺はどんな世界に行くんだ?」
「ふむ……いくつか候補はあるのだが、君にまず行ってほしいのは『平和すぎる世界』だな。これだけは他の正義にも倒すことは出来ないだろう。君の能力はうってつけだ」
神父の隣にいる少女から光が発せられる。
「待ってくれ。まず、と言ったな? ということは他の世界も――」
最後まで言うことは叶わず、優馬の視界は白に包まれたのであった。
次から本編です