荒波を乗り越えよう
◆ 血鮫号 甲板 ◆
雨脚が強まり、甲板に叩きつける音がうるさい。船体もかなり揺れてるし、これが沈まないとか言われても信じられない。イルシャちゃんとレリィちゃんには甲板に出るなと言ってあるようで、つまり私達だけでここを守れという事。冒険者なんてやるんじゃなかった。
「来ました! ストームギャングです!」
「戦闘Lv36!」
甲板めがけて突撃してきたのは、立派なエリマキをつけた黄色と黒が入り乱れた配色の魚だった。コイル状に水をまとい、それを回転させて身を守っている。もうムチャクチャだ。
「サンダーブレードッ!」
「グゲャッ!」
と、そんな原理不明の魔物もアスセーナちゃんの魔法剣の前に散っていく。感電死したストームギャングが海に落ちていった。何度も思うけど、もうあの子だけでいいんじゃないかな。
「アハハハ! すっげー! これがシルバーの実力かぁ!」
「当然ですねっ!」
「おーい」
ナナーミちゃんが調子づかせるものだから、アスセーナちゃんが胸を張って偉ぶってる。それにしても、さっきから誰かが呼んでいるような。こんなにハッキリと聴こえるのに、二人は気づいてないのかな。
そんなのに気を取られていると、海面から水が盛り上がる。水の柱が立ち上がり、それが湾曲した時にはこれが魔物だとようやくわかった。
「スプラッシュスネークが出たか……やばいな。海竜の一種だぞ……」
「アスセーナちゃん、サンダーブレードで」
「効き目が薄いんですよねぇ。実はあれ水じゃなくて、皮膚の表面を覆う粘膜なんです。それが雷を分散させてしまうんですよ。他の属性も同じです」
「戦闘Lv55……! マスター! バニーギロチンで片付けましょウ!」
「こうして私にお鉢が回るか」
ぎゅるりと船を旋回する海竜の一種の胴体をめがけてギロチンを振り下ろす。また一振り、またまた一振り。千切りとまではいかないけどバラバラになった海竜の一種は成す術なく、海へと還った。
「す、すっげ……海賊よりも嵐よりも怖いとまで言われた魔物だぞ……」
「強すぎですよ、ギロチンバニー!」
「そりゃ未踏破地帯の英雄殺しだからね」
「冒険者引退します!」
「意趣返しやめろ」
「おぉーい」
脅威を二つも退けたし、今日の仕事は終わりにしたい。それに、さっきから誰かがこっちに呼び掛けてくれているのに返答なしは失礼だ。いい加減に二人には気づいてほしい。
「ねぇ、助けに来てくれた船がいるんじゃない?」
「気づかない振りをしろ」
「なんで? ひどくない?」
「どこにも船影なんて見当たりません。それにこの嵐の中ですよ」
「へんじをしてくれー」
そこでようやく気付いた。暴風と暴雨の中、遠くから呼びかける声なんて普通は聴こえない。それなのにさっきからハッキリと聴こえてしまっている。これはもしかして、出くわしてしまったか。
「魔物はともかく、あれの討伐なんてエクソシスト案件だろ」
「ところがですね。一つ思い当たる節があるんですよ」
「今いくぞ~」
来るらしいですけど。さすがの私もうすら寒くなってきた。嵐のせいとかじゃなくて、実際に怪異に遭遇してしまったからかな。背筋が凍るなんていうけど、得体の知れない怖さというのはこんなにも気持ち悪いのか。ここはアスセーナちゃんの思い当たる節とやらを当てにさせてもらおう。
「そう……モノネさん。私の考察では幽霊船は恐らくツクモちゃんの街の時と同じパターンです」
「まさか物霊だっていうの? そうじゃなかったら?」
「その時は……まぁ、頑張りますよ」
「よくわかんねーけど、こりゃ逃げられそうにもないな」
「もうすぐだからな~」
ナナーミちゃんが操舵室で必死に操縦しているにも関わらず、一向に船が進まない。それどころか何かに吸い寄せられてる気がした。そしてより寒気が強まる。いる。真横だ。視界の端にちらちらと映る巨大な船。この血鮫号よりも遥かに大きい。
「……あのさ。アスセーナちゃん」
「はい?」
「アスセーナちゃんは優秀だし頼りになるし当てにしてるよ」
「好きですか?」
「だけど今回はね……なんか、こう」
「おおぉ~~~~~~いぃ~~~へんじをぉ~~~~」
全身に鳥肌が立つのを感じる。これがアンデッド。これがエクソシストですらさじを投げ、何百年にも渡って語り継がれる怪異。その木製の船体がすぐそこまで迫っている。大きなマストを立てた帆船、だけどボロボロじゃない。
「い、意外と立派な船だね」
「今時あんな帆船ねーよ。こうなったら腹をくくるしか……うわっ!」
血鮫号が揺れたと同時に、すぐそこに巨大帆船があった。木製のタラップがこちら側にかけられている。そしてあれだけ荒れ狂っていた嵐がウソみたいに静まっていた。波の音さえも聴こえない。まるでここだけが別の空間として切り取られたような感覚だ。
「なにこれ、来いよってこと? 行くわけないじゃん」
「ナナーミさん、船は動かせそうですか?」
「ダメだ。操作がまったく効かねー」
「はぁ……幽霊船だか知らないけど何がしたいのさ」
タラップに指先で触り、その声を聴く。
――死ス死死死死ヌ死死死死死無念死死死!
「ぎゃあーー!」
そりゃ飛びのく。やめておけばよかった。これは物霊とかじゃない。完全に怨念とかいうやつだ。
「モノネさん!」
「この船、ひたすら怨霊だよ……」
「つまり、おれ達を逃がさず殺すってことか?」
「ナナーミちゃんの勘では?」
「よくわからねー」
あの声の主どころか、タラップの先にも誰もいない。どうせ亡霊だから姿なんて確認できないか。本当は血鮫号君を私の力で動かして逃げたい。だけど動いたところで逃げ場がない。何故かはわからないけど、そんな気さえさせてくれるのがこの怪異だ。
で、これを討伐すると。考えてみたら、こっちが怖がってばかりで癪だ。本来は楽しい船旅になるはずが、これだもの。元はといえば、幽霊船と帝王イカが出る時期なのを確認しなかったのが悪いんだけどさ。
「ホントに何がしたいの」
「あ、レリィさん……イルシャさんも。危ないですよ!」
「幽霊船……気になる」
レリィちゃんが船内から出てきて、ふらふらとタラップを渡り始めた。イルシャちゃんもなぜか調理道具を携えている。
「ここでジッとしていても何も始まらないでしょ。それに幽霊といっても、元は生きていた人間よ。ナンチ開拓隊の人達だってお腹が減ってたじゃない」
「どうしてこの状況でその発想が出るのか」
「フフッ、冒険者よりも勇敢ですね。これは見習わなければいけません。モノネさん、乗り込みましょう」
「レリィちゃんやー! さすがに君は戻って……いや、待てよ」
「もうあんしんだぞ~」
誰もいない巨大船から、また呼びかけられた。死とか不吉なワードを飛び出させた船体の時点で信用ならない。何せ相手は亡霊だ。怪異だ。何が起こっても不思議じゃない。この死人め。
「レリィちゃんといえば……案外、有効かもしれない」
「思い出しましたか。その通りです」
「私は……無力」
「私が守りますからぁ!」
と、抱きしめられるくらいならここで待っていたほうがいいようにも思える。だけどあの二人を先行させておいて、それは出来ない。そんな状況でナナーミちゃんもタラップを渡り始めていた。
「ナナーミちゃん、丸腰なの?」
「おう、この拳一つで十分さ」
「霊体に効くかね」
「さぁな」
ナナーミちゃんはやっぱり拳で戦うスタイルなのかな。何にしても亡霊相手に有効とは思えない。でもこの子の勘なら、本当に無理なら行かないか。私ごときが心配する必要もない。仕方ないから渋々と私もタラップを渡る。もちろん布団君で。
「私はセイントセイバーとレリィちゃんの薬が主力ですね」
「そう考えると、イルシャちゃんの料理が完全に場違いすぎる」
「何か役立つかもしれませんよ。未知の相手ならば尚更です」
「ナナーミちゃんの実力はわからないとして……あれ?」
この場において一番いらないのはウサギファイターじゃないでしょうか。物霊使いが料理人と並んで戦力外通知。これ私が行く意味ない。ないけど一般人を率先させてしまった手前、引き下がれない。冒険者引退の決意が高まる。
◆ ティカ 記録 ◆
海の魔物 これはなかなか 手強イ
特にスプラッシュスネークは マスターでなければ 危うかっタ
アスセーナさんでも 戦えないことはないだろうが 船上で あの動きを
捉えるのは 難しいはズ
しかし 本当に恐ろしいのは そんな魔物ではなイ
幽霊船 その全貌は わからないが およそ 400年前の
帆船だと 特定
まだ 魔石技術もなかった時代の 帆船
航海には さぞかし 苦労が つきまとったと思われル
そんな彼らが 海を彷徨う 怪異となり果てたのには
理由があるはズ
恐らく そこに 攻略の鍵が 眠っていル
それを 暴けるのは やはり マスターのみダ
結局 最後に 頼れるのは マスター
このティカ つくづく マスターモノネに 仕えて よかっタ
引き続き 記録を 継続
「ジェシリカちゃんさ、そんなロングスカートで歩きにくくない?」
「わかってませんのね。スカートは旅の際に重宝されてましたのよ」
「ほー、どんな利点があるの?」
「それは秘密ですわ」
「用を足している時に敵に襲われたら大変ですからね。そのまま立ち上がって戦えるのがいいんです」
「アスセーナさん! そこまで教えなくていいですこと! それにわたくし、きちんと履いてますのよ!」
「じゃあ意味ないじゃん」




