プロローグ
―――――こんなのは、戦争じゃない。
男は、その歩兵は、目の前の状況に愕然としながら心中呟いた。
その男は、実に平凡な男だった。これと言った特徴があるわけでもなく、生まれてから17年、無難に生きてきた自信があった。
その男が、戦場に立つことなった……その切っ掛けは、彼が下等中学を卒業する日。
――――諸君らは戦わなければならない!愛する祖国のために!
彼らの愛国主義たる担任が、そう喚いていたのを覚えている。そして、自分がそれを馬鹿らしいと鼻で笑いかけたことも。
だが、周りは違った。熱い心を持つ人ほど呼応し、それが教室全体に熱として広がっていった。最早それは狂気のたぐいと言ってもいい。さらにその狂気の感染は、親友だった男にも及んだ。
――――お前も行こうぜ。
誘われたら、踏ん切りがつかなかった。そのまま流れるように戦場に投げ捨てられる。這々の体で生還を果たしたものの、同級生は7割が戦死だった。熱意があった男ほどあっけなく死んでいった。
自分が生き残ったのは、ただ運が良かったから。それと最初から逃げ腰だったからではないか、などと男は考える。
男はただ逃げ帰っただけではない。生き残る過程で男は様々なことを学んだ。塹壕の重要性、止血の重要性、馬の脆さ、砲兵の神性。一度目の従軍で、文明の偉大さをこれでもかと思い知った。
しかし、その中で忘れてはならないのが『人の脆さ』。
この世界には、『レベル』がある。戦場に立つまでは、高レベルは自分たち低レベルとは隔絶した力を持っていた。それが、戦場ではどうだ。機関銃が火を吹き砲兵がクレーターを作るこの世界では、レベルアップで多少頑健になったからと言ってどうにかなるものではない。
戦場に向かう前は、自分も余熱に浮かれてあわよくば自分も英雄に………なんて夢物語が浮かぶ日もあった。無論、英雄は存在する。だが、それでも一人で100の兵を相手にはできないのだ。
個人の力など戦場に於いては塵に同じ。この二度目の従軍で、兵はどれだけしぶとく生き残れるか、それが大事だと男は今まで何度も自分に言い聞かせた。
――――こんなものは、戦争ではない。
だからこそ、男は目の前の現実を直視できない。
それはただの、蹂躙だった。
「ぐぁぁぁああああ!!!」
戦場に、兵士の断末魔が響く。戦場ではありふれた光景だ――――もし、その理由が火器や魔法であったのなら。
そうではないのだ。
今現在、兵士ごとその手にある小銃も、ヘルメットも、何もかもを破壊せんとするそれは、そんな常識で語れるものではなかったのだ。
「『影使い』……ッ!」
誰かが叫ぶ通り、その原因は『影使い』と呼ばれるただ一人の青年。
その青年は、『特質魔法』と呼ばれる『異能』――彼の場合、影を操る能力――を有していた。
「た、助けてくれええぇぇぇっ!」
また一人、自らの影が生み出す腕に握りつぶされる。
「どうしろってんだ!」
彼らの目線の先にいるのは、ただ一人の青年。
黒髪黒目、鍛えられていないことが一目で分かる細身。大凡戦場に立つべきではない不健康な肉体を引き釣りながら、この領域を支配する男。
その男が手を一振り二振りすると、即座に影の腕が生まれて一人ずつ兵士を屠った。
青年の口元が愉悦に歪む。
「ははは!最高だなぁ!まるでゲーム!最高、最高だよ異世界!あはははははははっっ!!」
それを見て、男は直ぐ様逃走を決意した。
振り返り全力ダッシュをキメる男の横で、指揮官が怒号を飛ばす。
敵前逃亡は重罪だが、バレなければ問題ない。今の全兵士の視線は、その青年に集約されていた。
「貴様ら!撃て!どうせ死ぬのなら一発でも打ち込んでからにしろッ!」
「「了解ッ!!」」
ババババ、と一斉に射撃音が響く。
一人の男を相手にするには過剰すぎる砲火。
しかし、それすらもただの一言でかき消された。
「無駄!」
男の一言で巨大な影の腕が出現。
それがぐるりと一周するだけで、全ての弾丸と魔法は叩き落とされる。
「なんてこった、めちゃくちゃだ!」
規格外も規格外。文明の結晶たる火器、個人個人のエネルギーの結晶たる魔法。そのどちらをも軽く蹴散らす『異能』。
その暴力の中心であり、別の世界『チキュウ』から来たと主張する彼らは、尊敬と畏怖を込めて『転生者』と呼ばれていた。
その一人、通称『影使い』は必死に抗う彼らを見て嘲笑する。
「無駄なんだよぁ。わかる?僕は『転生者』様なの!唯でさえなんも才能もない君たちがさぁ、僕に勝てる訳ないじゃん?ってかツイ○ターないとかマジ無理なんだけど、ははっ」
男には彼が何を言っているかは所々わからなかったが、言っていることは事実だと理解できた。
現に彼は、少し念じるだけで幾人もの命を無へと還す。その『異能』は彼を幾千もの兵士に匹敵する存在にし得る。
絶対的な格差がそこにはあった。
「………やっぱり、戦場になんて来るべきじゃなかった」
男が何度目かわからない後悔を口にした時だった。
男は、自分の呟きが音になっていないことに気づく。
――――あれ?
声が出ない。喉は震えるのに、声が通らない。
その男の目の前……男は振り返って逃げているので軍の後方からになるが、そこに砂煙が立っているのを男は観測した。
(………あれは)
――――戦場を駆る無音の軍勢。
周囲の音を消しながら突き進むことから名付けられた部隊。
どんな困難を相手にも猪突猛進、我武者羅に突撃する勇猛なる部隊。
それが、逃げる男の真横を通り過ぎた。
その中の一人が、走りながら男に声を掛ける。
――――お前も行こうぜ。
(―――ッッ!)
奇しくも嘗て親友にかけられた言葉と同じだったそれに、気がつけば男はその軍勢に銃剣を掲げて加わっていた。
「うおおおおおおお!!!!」
音にならない声で吠える。
男は、今までに感じたことのない妙な一体感を感じていた。
(これは、違う!)
これはいい流れだ、と全身の細胞が告げる。今まで逃げることを信条としてきた男が、嬉々としてただの突撃などという無貌な行為に身を投じる。
その狂気の源流は、部隊の先頭を走る一人の男。その男は、身の丈以上の大剣を担いでいた。
そう、剣だ。
火器、魔法。火力による制圧が容易なその戦場で、時代錯誤も甚だしい代物。
それを振りかざして突撃するのだ。
「ま、まさかお前―――――」
『影使い』と恐れられた男の声も、只々飲み込みまれるのみ。
男の声の代りに振るわれるは、影の豪腕。
『特典』として与えられたそれが、先程同様周囲を薙ぎ払う。
剣士が、犬歯をむき出しにした。
突撃の中、その剣士は一歩先んじて『影使い』に急接近しその手の大剣で一閃。
「――――――!」
戦場に音が戻る。
その中心で、剣士はその剣を天に掲げた。
「第304強襲魔導中隊長『ナナシ・キルトドーヴ』大尉!
『転生者』討ち取ったり!
死ぬにゃあまだ早いぜゴミ共ォ!」
「「おおおおおおおお!!!!!!!」
熱気に包まれる中、男は妙な確信があった。
――――――これは、戦争ではない!
これは祭りだ。一体となって大きなうねりの一部となる感覚!
「おおおおおおおお!!!!」
男も吠えた。
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これは『穀潰し』と疎まれていた部隊が、戦場を駆る無音の軍勢と呼ばれるまでに成長する軌跡を描いた物語。
ではなく!
既に他の転生者により文明は1900年レベルまで発達済み。
現地人は遥かに己より優秀。
そんな異世界に転生して5年経った男が、『秩序』に唾を飛ばし、『常識』を殴り飛ばし、『権力』を蹴り飛ばす、そんな物語である。