「卅と一夜の短篇」の理念およびスタンス【あるいは第13回予告版】
理念などという高尚なものはない。
かつて井上雅彦先生がやっておられたアンソロジー「異形コレクション」を、この場で再現できないものかと起ちあげた企画である。参会者持ちまわりの非公表のお題に沿って、月に一度の短篇を同時投稿する。同好の士による祭り、たのしみである。
投稿日時を合わせるという試みは、目だとうという戦術ではある。功名心がないわけではない。
ただひとつ明確にしておきたいのは、ポイントや日間ランキングに載るために始めた企画ではないということ。発表日に日間ランキングに「卅と一夜の短篇」の名があがるようになり、主催者としては騰がらざるを得ない。理想はもっと高いところにあるが、ここではあきらかにしない。それは理想というよりも妄想と呼ぶべき類いのものであるから。
参会者内で相互にポイントを入れているという不正は、いっさいおこなっていない。ばかげている。そんなことをしてポイントが得られてランキングに載ることに、なんの意味があるというのか。読んでくれたひとからポイントがもらえてその結果としてランキングに載るからこそ、うれしくなるのだ。不正をしてランキングに載りつづけたところで、クリエイターとしての心が虚しくなるだけではないだろうか。
参会者同士によるポイントのやりとりを禁止にしたらどうかという考えにはならない。そんな窮屈な会則をさだめてしまったら、「卅と一夜の短篇」はタリバンのようになってしまう。ポイントのために作品を書くわけではないが、ポイントをもらえることはモチベーションに直結する。それが参会者からのものであろうと参会者でないひとからのものであろうと、ポイントをもらえることはうれしい。ポイント評価は各人の権利である。それを禁止することは、中国共産党やファシストの発想である。
会の作品をすべて読み、感想を添えている。それは主催者として自身に課した使命のようなものであり、好きでやっている。この使命めいたものを、参会者に強制しない。ポイントも、ほんとうに好きになった作品にしか入れていない。ポイントを入れて「卅と一夜の短篇」の名をひろめようなどという考えは、毛筋ほどもない。だいたいそれも、100ポイントも取れたらうれしいという次元の低い話でしかない。10000ポイントなんて、望みようもない。
公正でありたいと思う、自分の感性には。客観というものを疑ってはいるが、せめて主観のなかでは公正でありたい。そう思って感想やレビューを寄せ、ポイントを入れてきたつもりである。
お題を外にあきらかにしない理由は、じつは内向きの理由ではない。会外のひとが一連の作品を読んで、「今回のお題はなんなのか?」と考えてくれたりしたらなあ……そんなねがいをこめて、お題を秘密にしつづける。このスタンスは変えない。
このエッセイに分類されるべき宣言は、次回第13回のお題にかかっている。第13回の作品として投稿してもよかったのだが、それでは遅い。第13回には、第13回の作品を投稿する。だから第13回の予告版として、この文章を投稿する。