20 12月16日~24日 “Four” (その4)
12月24日。
とうとうこの日が来てしまった。
クリスマス・イヴ、それも土曜日。
しかもひどく寒い。天気はとてもいいけれど。
そして、人混みが・・・。
避けようがないのは充分承知なのだけど、それにしても。
ボクはどうも不安が拭いきれない感じがしていた。
いつからなのか、興味がないボクには分からないけれど、かなり前からクリスマスのイルミネーションが街を明るく飾っていたのは知っている。
そして今日は一段と豊かな彩りが、いつもの風景を新鮮に見せていた。
ボクにはあまり喜ばしくないけど、朝早くから人の出は間違いなく多い。
祝祭的な雰囲気がいやおうなしに高まっている。
すれ違う人たちの顔が明るい表情に見える。
駅前のクリスマス・ツリーも今夜は最高に美しく見えるだろう。
そういう場所に行くのは避けたいと思うけど、今日はいったいどうなることやら、ボクにはさっぱり予想ができない。
何か恐ろしいことが起こらなければいいのだが。
ボクの不安の正体、実はそれは寒さや人混みではない。
4人で動くのは、初めてだから。
* * * *
ボクの部屋を出る前、キミは中型ショルダーにカメラを収めたことをこれでもかというくらい確認した。
その上、最後はボクも確認することになった。
海へ行ったときにカメラを忘れたことがフラッシュ・バックしたらしい。
ショルダーはボクが持った。
「大丈夫、だよね」
「大丈夫だよ」
「予備のフィルムも、電池も持ったよね」
「大丈夫だよ」
「寒いと電池がすぐなくなっちゃう気がして、心配」
「大丈夫だよ」
「晴れてるけど冬だから陽射しが弱いし、少しでも暗いとフラッシュを使うから、ますますなくなるのが早そうで・・・」
「大丈夫だよ」
「ちょっと」
「大丈夫だよ」
「さっきからそれしか言ってないじゃない」
「ばれた」
「ホントに大丈夫なのかなあ」
「大丈夫だよ」
ボクはまた繰り返した。
「弱気なのは幸美らしくないぞ」
「・・・そうだね」
キミはようやく微笑んだ。
予備の物はボクのコートのポケットに入っていた。
フィルムはすべてカラーだった。
キミはボクのコートのポケットに穴が空いてないことも確認した。
「まさか、このあとで穴を空けることはないでしょうね」
「大丈夫だよ」
「ホントにホント?」
「ホントにホント」
「ホントにホントにホントに?」
キミは繰り返した。
「大丈夫だよ」
笑いながらボクがもう一度繰り返すと、キミはひとまずほっとできたように見えた。
* * * *
タマキチームと幸美チームは、遊園地の前で合流した。
ここも当然人の出が多い。予想以上かもと覚悟していたけれど、ここまでとは。
ボクの目に遊園地入口の大きな看板が飛び込んできた。
やはりそうだったのか。ボクはぞっとした。
認めたくはなかったけれど、「クリスマス・イヴェント」という名の試練が中で待ちかまえていることが、ようやくボクにも分かった。
このままでは大混雑に参加、おまけに不可避。
さらに、タマキとキミはこれから火花を散らすらしい。
「よろしくお願いします、幸美先輩」
タマキが彼のそばを離れてキミに近寄ると、嬉しそうに言った。
「健闘を祈るわ、タマキちゃん」
「ずいぶん余裕だな」
ボクはキミに言ってみた。
タマキはキミとボクを交互に見ていた。
「あなたは、私の背中とお尻でも見てて」
「またそれですか」
タッグ・マッチのはずなのに、キミはボクを戦力とは思っていないらしい。
「初心者のあなたは、まず参加することに意義があるのよ」
キミはオリンピックの精神に基づいて、そう言ってくれた。
「私と一緒にいてくれたら、それでOK」
キミはとてもいい笑顔だった。
「大船に乗ったつもりでいてね」
「了解」
ボクは今回もキミの指示に従うことにした。
タマキは彼の隣に戻ると、彼の右腕を取って自分の左腕と組んだ。
もしかしたらタマキなりのアピールなのかもしれない。
「タマキちゃん、やっぱりかわいいな」
そう言うと、キミはちょっと首を傾げて、ボクはキミのまねをして、ふたりして微笑みながらタマキと彼を見ていた。
* * * *
「あらためまして、村松聡志です」
遂に彼の名前がキミとボクにも明らかになった。
タマキから間接的に紹介されるのではなく、最初は自分できちんと挨拶をしたいという彼の強い意向があったのだそうだ。
どおりでいくらタマキをつついても口を割らなかったわけだ。
「おふたりのことはタマキからよく聞いています」
「ホントに背が高いんだねえ」
彼のつま先から頭の天辺まで一瞥すると、キミは言った。
タマキは村松くんの隣でにこにこしている。
「どのくらいあるの?」
「185です」
キミは無言で3回うなずいた。
「うらやましいなあ、背が高くて、しかもカッコいい。男前」
さすがタマキちゃんだわ。
キミはそう言うと、視線をボクに向けていた。
「・・・もう止まってるから、無理だぞ」
ボクはキミに言った。
「カッコよくて男前かどうかは、幸美も知ってのとおりだ」
「なあんだ。それは残念」
タマキと村松くんが笑っていた。
「あなたはどうして村松くんは背が高いって知ってたの?」
「実は電車で見かけたことがあってさ」
「悪趣味・・・」
「なんでだよ」
「のぞき」
タマキと村松くんにまた笑われた。
村松くんは電車でボクがぶつかったことを覚えているだろうか。
「今日はやけにいじめるんだな」
ボクはキミに言った。
「だけどね、こんなヤツでも、私のいちばん大切な人なの」
キミはアキンボ(Akimbo)の姿勢で、腕を組んだままのタマキと村松くんに向かって誇らしげに言った。
「この気持ち、誰にも負けないよ」
「でしたら、私も」
タマキが即座に言った。前哨戦が開始されたらしい。
「早速幸美先輩がお手本を見せてくださったので、見習って・・・」
タマキは顔をちょっとだけ上げて、背の高い村松くんを見つめた。
村松くんは多少面食らったように見えたけど、すぐにタマキを見つめ返した。
タマキはキミと、キミの隣にいるボクに向かって、堂々とした態度でこう言った。
「私は彼を愛しています。心から愛しています。世界中の誰よりも」
「タマキちゃん・・・」
キミはタマキを見つめているようだった。
ボクにはキミがとても感動しているのが分かった。
村松くんは目が点になった感じだったけど、とても満足そうにタマキを見守っていた。
タマキは自分が言い放った言葉に気がついたのか、頬を赤くしていた。
「タマキちゃんて、ときどきものすごく大胆だよね」
キミはタマキの方を向いたまま、優しい表情でそう言った。
「遊園地前での前哨戦は、私の負けかな」
キミはタマキに駆け寄って、両手を差し出した。
タマキは村松くんと組んでいた腕を静かにほどいて、キミの両手を取った。
ふたりは顔を見合わせてとても満足そうに笑っていた。
ボクはまたしてもキミとタマキは結託していると思っていた。
村松くんがボクの隣に来ていた。
いつぞやの電車以来のことだ。
「タマキがあんなに楽しそうにしているのをそばで見ることができて、僕は嬉しく思っています」
「なるほど」
「土井さん」
「なんでしょう」
村松くんはボクをまっすぐに見ながら右手を差し出していた。
そういうことですか。
ボクもならって右手を差し出すと、村松くんはボクの手を躊躇なく握った。
「タマキと同様に、これからよろしくお願いします」
握手をしたままで、村松くんはボクに向かってぺこりと頭を下げた。
「ボクたち同級生なんだから、そんなにあらたまる必要ないと思うけど」
ボクが言うと、村松くんがボクの目をしっかりと見ながら言った。
「土井さんと佐野さんが、タマキにとってすごく大切な先輩なら、僕にとってもすごく大切な先輩です。僕はタマキと同じ目線で、同じ位置に立ちたいんです」
すごく真剣な表情をしていた。
ボクは驚愕することになった。
そうか、ここまでまっすぐに言えるのか。
ボクはいつかのキミのまなざしを思い出した。
「タマキと同じもの、同じ景色を見て、ゆっくりふたりで歩いていきます」
とてもカッコいいヤツだ。
タマキが本気になれたのも、すんなり納得できた。
ボクは素直にそう感じていた。
キミがタマキに負けたと感じたように、ボクも村松くんに負けたと感じた。
けれど、ボクはいつかと違って気分がよかった。
握手を解くと、ボクは彼に言った。
「こちらこそよろしく」
村松くんは表情を崩してにこっとした。
ボクはもうひとこと言った。
「どうぞお手柔らかに」
3人から4人、か。
きっとボクと村松くんが握手できたときから。
キミとタマキがボクと村松くんが立っているところまで歩いてきた。
「あなたたちは何を話していたの?」
「男の約束だから、それは言えないな」
ボクは腕を組んで胸を張った体勢で、キミに言った。
タマキがくすっと笑った。
村松くんはまだにこっとしていた。
「そ」
ひと文字だけ言うと、キミはニヤリとした。
では、ボクは?
「幸美には、今のボクの表情はどう見えている?」
「そうねえ」
ボクは腕を組むのをやめていたけれど、続いてキミが腕を組んでいた。
ボクの顔を首を左右に傾げながら見やった。
キミはあっさりした感じで答えた。
「うん、嬉しそうに見えるよ」
キミはボクに微笑んでくれた。
「あなたが自分で思っているよりずっと」
「なるほど」
「それにね」
腕組みをやめたキミは、両方の手をボクの肩に乗せた。
「私が気に入ってる表情だよ」
キミは目を閉じて、ボクに口づけた。
タマキはにこにこしていたけれど、今度は村松くんが驚愕したようだった。
「さてと」
キミは長いキスを終えると、タマキチームに向かって言った。
「じゃあ、4人揃って入っていくとしますか」
「はい」
タマキがいい表情で笑いながら返事をした。
「4人揃って、だそうです」
ボクは村松くんに言ってみた。
「佐野さんにそう言ってもらえて、やっと安心できました」
実際、彼はほっとしたように見えた。
「僕たちも行きましょう」
彼は嬉しそうにボクを促した。
* * * *
キミのカメラで撮った写真は、4人が4人ともいい顔をしていた。
そこにボクが含まれているなんて、なんだか妙だった。
「どう? よく撮れているでしょ」
キミはすごく満足そうに言った。
「ああ」
ボクは同意して答えた。
「ねえ」
「ん」
「何よ」
「何が?」
「文字数が少ない」
もっとこう感動的な言葉はないのかなあ。
そう言って、不満そうな表情に変わったキミ。
なるほど。
そういうことなら。
ボクはキミのまねをして言ってみた。
「幸美の前だけなんだから、いいだろ」
「いいよ」
キミはボクのまねをして、声色まで変えて言った。
キミはにんまりとしていた。
「あ、そうそう」
キミは左の掌を、握った右手でぽんと叩いた。
「言い忘れるとこだった」
「え」
「・・・文字数」
「個性を重視してるんだ」
「仕方ないなあ」
文字数の件は妥協した様子で、キミはあらためてこう言った。
「次は初詣・・・当然、二年参りだから」
とてもいい顔で微笑んだキミが、ボクの目に鮮やかに映っていた。
ボクのことなら世界でいちばんよく知っているらしい。
「タマキちゃんチームと再戦の約束ずみよ」
「はあ」
「何かしら」
「そうですか」
「そうですよお、だ」
「フン」とした表情のキミの向こうに、窓辺で静かに時を送っている貝殻が見えた。
日が暮れた砂浜で、カメラを忘れたキミが掌に載せていた・・・。
── 見て、きれいな貝殻。
ささやかな幸せを、うまく見つける人。
ボクに無いものをたくさん持っている人。
「ん? どうしたの」
そんなキミの声が聞こえた。
── 初めまして。
そう言って微笑んでくれたキミを、ボクは思い出していた。




