17 11月14日~15日 “Embraceable You” (その3)
* * *
目を開けた。
またしても電話に起こされた。
キミはベッドに寄りかかって、厚めのハードカヴァーを読んでいた。
現代民話考。
表紙の文字はそう読めた。
どうやらシリーズものらしい。
「あら。誰だろう? 私でも大丈夫そうな人だったら、出てもいい?」
ボクは了解した。
時計を見ると、そろそろ15時になろうとしていた。
留守電が作動する。
── 先輩?
「タマキちゃんだね」
キミは受話器を取った。
「こんにちは、タマキちゃん。うん。うん。そうなのよ。今はね、落ち着いてる。うん。え? そうなの? うん。それはありがたいなあ。恩を売るなら今がチャンスよ」
「なんだって?」
不穏な言葉が聞こえた。
「うん。でもね、うつされないように気をつけてくれないと、ダメだよ。そうそう。うん、分かった。みんなによろしくね。うん。じゃあ、気をつけて。うん、ありがとう。じゃあね」
キミは受話器を置いた。
「タマキちゃん、すごく心配してた」
「それは悪いことをした」
「ちゃんと、直接謝って、お礼をするのよ」
「は?」
「これからお見舞いに来てくれるって」
「えー」
「あなたに恩を売る絶好のチャンスだから、完全防備で来てね、そんなふうに言っておいたから」
「……なんてこった」
「みんなもね、心配してくれてるんだって」
みんな、と聞いて、今日はゼミの日だったと気がついた。
しかも、タマキの発表の日。
せっかくの良き日に休んでしまったとは。
仕方ないとは言え、とても残念なことになってしまった。
「あら? なんでそんな顔してるの?」
「生まれつきなんですが」
「つまらないボケが言えるようになってきたのね」
「おかげさまで……」
「素直じゃないなあ。みんなに心配してもらえて嬉しいくせに」
キミはニヤニヤしていた。
「代表して、タマキちゃんが来てくれることになったみたい」
「なるほど」
*
先ほどのご託宣は「37.0」だった。
無茶しなければ、どうにかなりそうなところまで来た。
ボクはパジャマの上からブルゾンを羽織って、ベッドで上半身を起こしていた。
目を軽く閉じて、静かに耳をすました。
キミのチョイスで、クリフォード・ブラウンのトランペットが低めのヴォリュームで聞こえてきた。
『クリフォード・ブラウン・ウイズ・ストリングス』。
最高だと思った。
ボクはキミにリピート再生にしてもらった。
やっと音楽を聴きたくなるところまで回復してきたのだった。
キミの予告どおり、16時過ぎにタマキが来てくれた。
チャイムが鳴るとキミが迎えに出た。
タマキはミカンを持ってきてくれた。
相変わらずパンツ・ルックで……けれどもうずいぶん寒いからその方がいいのか。
「先輩方の指示で、買ってきました。ヴィタミンCが必要ということで」
レモンじゃなくてよかったとボクは思った。
「先輩方はみなさん予算を私より余分に出してくださったんですよ。特に田中先輩が」
タマキは言った。
ありがたいことだけど、田中は後が怖そうだと思った。
「タマキちゃんもココアでいい?」
「あ、すみません。では遠慮なくいただきます」
キミが訊くと、タマキが答えた。
「タマキちゃん」
「はい」
「それで正解だよ」
キミは右手を握ると、親指を立てて見せた。
ボクはとにかくタマキに座ってくれるようお願いした。
やがてキミは3つのカップを持ってきた。
ボクはゆっくりとベッドから出て、テーブルについた。
タマキの分は、普段使ってないカップだった。
「牛乳多めにしたからね」
ボクはいつものカップを取って、口をつけた。
あったかくて、熱すぎず、甘すぎず、ほっとする味だった。
「おいしいです、幸美先輩。さすがです」
「ありがと、タマキちゃん。誰かはなんにも言ってくれないけど」
「……わあ、なんておいしいんだろう」
「0点ね」
キミの採点はシヴィアだった。
*
ココアを飲みながら談笑していると、タマキの顔をしばらく見ていたキミがおもむろにこう言った。
「タマキちゃん、ファンデーション、替えた?」
「あ、分かりますか?」
ボクにはさっぱり分からなかった。
キミとタマキの会話が続いた。
「うん。前よりちょっと明るめの色にしたでしょ」
「はい、そうなんです」
「メイクの感じがよくなったみたい」
「そうですか? 幸美先輩に言っていただけると、嬉しいです」
ボクはタマキとキミの顔を交互に見ていたけれど、依然として分からなかった。
「幸美先輩は、初めてお会いしたときからいつも自然な感じで」
「えっ? 私のメイクが?」
「はい。今更ですけど、教えてもらえばよかったなって思います」
「私に教わってもダメな気がするけどなあ」
「なるほど」
ボクはつい言ってしまった。
「何よ」
「なんでもないです」
「意見があるなら聞いておくわよ、今後のために」
キミにそう言われても、ボクには何をどう言ったものやら分からなかった。
なんにも言わないのはよくないと思ったので、ひとまず分かることを言ってみた。
「ユキミさんの素顔はいいと思います」
「ふうん」
キミは何やら不機嫌になった。
「つまり、誉めているようなこと言って、実は私のメイクがヘタクソだって言いたいのね」
「そんなつもりはないよ。そもそもボクにはメイクのことなんかさっぱり分からないし」
「そ」
キミは「フン」とした様子で言った。
「なら、今度じっくり教えてあげる。あなたの顔を使って」
「……勘弁してください」
タマキはキミとボクのやりとりを見ながら、微笑みを浮かべていた。




