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行方(ゆくえ)  作者: ソラヒト
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16 11月5日~6日 “Prelude To A Kiss” (その2)


    *      *      *      *


 彼と私がつきあい始めてから、ほぼ2か月が経ちました。

 毎週ではありませんが、2週間に1度は会っていましたし、電話でなら週に3回以上話すようになっていました。

 それでも、彼も私も、丁寧な言葉での会話のままでした。

 ふたりとも緊張感が抜けていない。

 そんな感じでした。


 彼とつきあい始めてからずっと、私はどこか無理をしていたのかもしれません。

 彼の言葉を覚えています。


   気にしないでください。

   焦ることないです。

   まだそのときではないだけです。

   僕に原因があると思います。


 彼はその都度、優しい言葉をかけてくれました。

 そんなふうに話してくれるのを聞いているうちに、私はいつも泣いてしまいました。

 申し訳なさと嬉しさがないぜになってくるのでした。


 でも、それは過去の私のこと。

 今の私はもう違う。

 幸美先輩に心配していただいたように、うまくいかなかったのは私の気持ちに問題があったからだと、今でははっきりと分かっていました。


── 僕等はあまりにもひよっこなんです。


 彼が私にくれたあたたかい言葉が、ゆっくりと私にしみこんできている。


── 僕のそばにいてくれませんか。いや、いてください。


 彼は自分のすべてをまっすぐ私に向けてくれた。


── 僕等には、思い出が全然足りないんだと思っています。


 だったら、私は彼と一緒に思い出を作っていきたい。


── ひとつずつ、ゆっくり。


 彼のおかげで、私にはこの瞬間にだってあたたかい気持ちが湧いている。

 私にとって本当に大切だと思えるもの。


    *      *      *      *


 私は彼に提案しました。


「これからは、私を『タマキ』って呼んでください」

「名前で、ですか?」

「はい」


 彼は「なんでだろう」と言うような表情をしていたので、私は説明しておくことにしました。

 私の両親は、私が中学生のときに離婚していること。

 「大川」とは、父方の姓であること。

 私は母と暮らすようになったこと。

 母が気を遣ってくれて、姓は変えずにいてくれたこと。

 そして。

 私は母が父のためにものすごく苦労していたのを知っていましたから、本当は父方の姓でいることに抵抗がありました。

 母には悪いのですが、私は姓で呼ばれることが嫌いなのです。

 けれど、こうした理由をいちいち話すわけにもいきません。

 ですから、せめて、仲よくしてほしい人たちには、大切な方々には、私を「タマキ」と呼んでほしい。

 大学に進学したとき、私は自分の思いのままにそう決めたのです。

 高校のときは、そこまで仲よくなれた人はいませんでした。

 同じ大学に進学を決めた人もいませんでした。

 そうしたことも、よいきっかけになりました。

 ファースト・ネームを気楽に呼んでもらえたら、より一層親しくなれる気がしましたし、実際そうなったと思います。

 土井先輩も、幸美先輩も。

 だから、彼にも「タマキ」と呼ばれたい。

 「タマキ」、そう呼んでほしい。

 私は素直にそう思うことができました。


「よく分かりました」


 彼はそう言うと、私を見つめてくれました。


「話しにくいであろうことを隠さずに伝えてくれて、ありがとうございます」


 彼は微笑んでくれました。


「しばらくは照れくさくて、不自然になってしまいそうだけど、頑張ってみます」


 少しが空いたあと、彼は恥ずかしそうに私を呼んでくれました。


「・・・タマキ、さん」

「はい」


 私はにこやかに答えました。


「あらたまって名前で呼んでみるというのは、思ってた以上にハードルが高いですね」


 彼の言葉を聞いて、私はもうひとつ提案することにしました。


「丁寧な口調は、これから禁止にしましょう」

「・・・攻めてきますね」

「はい、それはもうダメです」


 あ・・・。

 私は思わず言ってしまいました。

 彼のひとことにダメ出しをしておきながら、自分で言ったそばからつい「です」を使ってしまいました。


「自分で提案しておきながら、ダメですね、私」


 ・・・また「です」って言っちゃった。

 私がそうつぶやくと、彼は微笑んでくれました。


「タマキ、さん」

「呼び捨てにしてくれていいのに」

「いきなりは、ちょっと難しいな」

「・・・そう、なのかな」

「もう少しだけ、時間をください」


 彼は言いました。


「きっとすぐ近い将来、もっと自然に話せるようになります。必ず」

「無理をせず、ひとつずつ、ゆっくり」


 私は答えました。


「僕等には、それくらいでちょうどいいペースなんだと思います」


 私は両手で、彼の両手を握りました。

 あたたかな、優しい手。

 間違いなく彼の手だと感じました。


「私、あなたが好きです」


 私は無意識に言っていました。

 でも・・・また『です』って言ってしまいました。

 彼は笑ってくれました。


「『好き』という言葉は、何度言ってもらっても嬉しいものですね」


 彼は私の手を握ったまま言いました。

 彼の手に力が入りました。


「僕も・・・タマキが好きだ」


 彼は照れながらも、そう言ってくれました。


「やっと、呼び捨てにしてくれた」


 私はくすくす笑っていました。


「ありがとう」


 私は彼に返しました。

 とても爽やかな気分になりました。


 私の中で、あたたかい気持ちがあふれているのが分かりました。

 きっと、大きなハードルをひとつ越えられた。

 彼をどんどん好きになっている。

 これからも、どんどん好きになる。

 予感ではなく、すぐそこにある真実。

 きっといつだって、変わることなく。

 私は彼をまっすぐに見つめて、微笑んでいました。


「キス、してほしい」

「ここで?」


 彼は目を丸くして驚いていました。


「ここで、今すぐに」


 私は微笑んだまま、間を置かず返していました。

 土井先輩との思い出、それは過去の私のもの。

 これからの私は彼とたくさんの思い出を作っていける。


 私たちの周りを、大勢の人が行き来しています。

 その数はますます増えているようです。

 でも、私はまったく気になりませんでした。

 彼に向かって目を閉じると、私は少し背伸びをしました。


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