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行方(ゆくえ)  作者: ソラヒト
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15 11月5日~6日 “Just In Time” (その4)


 電車がひとつ前の駅を出たのが見えた。


「進級して2年になっても、ボクがあんまりひどい状態だったからだと思うけど、見かねた4年生のO先輩がボクに何度も声をかけてくれて、あのバイトを勧めてくれた。先輩から引き継いでほしいと思ってたヤツは、たくさんいたのに」


 2年になった頃、はるか遠くにではあったけれども、ボクは出口が見えてきたような気になっていた。

 気晴らしに、まだリリースされてそれほど経っていなかったはずの「ビートルズBOX」のために、資金調達をするのもいいかもしれないと思えるくらいになった。

 ただ、面接を受けられるような元気はまったくなかった。

 だから面接もなくすっと入ることができたあのバイトは、打ってつけのものだった。


「そして、私と出会った」


 キミは呟くように言った。

 そのとおり。


「立ち直ろうという気持ちが、少しだけだったけど出てきたから、頑張ってみようと思った。新しい世界があるかもしれない、そんなつもりで。人づきあいが苦手なのは変わっていなかったけど」


 ボクはそこで区切って、なおも続けた。


「でもまず、O先輩がわざわざボクに紹介してくれた、O先輩のその気持ちを裏切りたくなかった」


 O先輩がいてくれなかったら、キミと出会ってなかっただろうし。


「私も、O先輩に感謝しないといけないね」


 キミは微笑んでいた。

 キミに隠していたつもりはなかったけれど、思いがけずひととおり話せたことで重荷がひとつ減ったように感じた。

 こんなことならもっと早く話しておけばよかった。


 電車がホームに着いた。

 各駅停車だったけれど、通過待ちはなかった。

 キミとボクは乗り込んだ。


「バイトの初日、初めて幸美に会った日、幸美は気にしてないみたいだったけど、闇の中で動けなくなっていたボクの手を引いてくれたんだ」


 ボクの言葉は、ボクが思う以上にキミに響いたようだった。

 ボクはキミの名前を、初めてすらっと言うことができた。


「呼んでくれたね、きちんと」


 そう言ったキミは複雑な表情だった。

 おそらくキミも、何かを思い出していたのだろう。


「幸美の手は、ボクを導いてくれる救いの手だった」


 ボクは続けた。


「今まで意識していなかったけど、ボクが幸美を怒ったのは、ひどく後悔してた自分のことがあったからかもしれない。ボクに救いの手を差しのべてくれた幸美がいじいじしていたのを、見ていられなくなってた」

「あの頃の私は、みっともない子だった」

「そうだったな」


 ボクは言った。


「でも今の幸美は、あの頃と比べるのが失礼なくらいポジティヴになった。たぶんボクよりも」


 キミはしばらく黙っていた。

 各駅停車は次の駅に停まった。


「ねえ」

「ん?」

「話してくれて、ありがとう」


 ボクの左に座っていたキミは、ボクを見つめていた。

 ボクもキミを見つめていたから、すぐそれが分かった。


「ま、過去の話だ」

「うん」


 どんなにつらいことだったとしても、無駄なことなんて何ひとつない。

 すべての過去の積み重ねの上に、今がある。

 どれかひとつでもなかったなら、この「今」はないはず。

 漠然と思いを巡らすうちに、各駅停車はボクの最寄り駅に着いていた。


「『これから』が、大切なんだろ?」

「そのとおり、だよ」


 いつだって、これからが大切。

 キミは言った。

 改札を出てボクの部屋に向かって歩き出すと、キミはまた口を開いた。


「いろいろあったけど、こうして一緒にいられて、嬉しいな」

「そうだな」

「相変わらず、あなたとはいつまでも話していられる気がする。そんな人は、あなただけ」

「それはどうも」

「どこまで行けるだろうね、私たち」

「即答できることじゃないな」

「えっ?」


 はっとしたキミから声が漏れた。


「どうして?」

「分からないからさ」

「そっ、か・・・」


 キミはうつむいてしまった。ずいぶん残念そうだった。


「だから、行けるところまで、行ってみようか」

「え」


 キミは顔を上げた。びっくりしたらしい。


「それで、どう?」

「答えてくれたんだね、やっと」


 微笑んだキミの目に涙がにじんできた。


「なんで涙が出てんのさ」

「そんなの、嬉しいからに決まってるじゃない」

「やっぱりキ・・・幸美は泣きすぎだ」


 名前を呼んだからか、ハンカチで目元を拭きながらキミはにこっとした。


「あなたの前でだけなんだから、いいでしょ」

「いいよ」


 ボクは何回目かのそのセリフを繰り返していた。


    *      *      *      *


 ドアの鍵を開けて部屋に入ると、CDの山の向こうになんとなく隠れているような、ジャック・ダニエルのボトルが目に入った。

 よくキミにばれなかったものだ。・・・違うな、わざと言わなかっただけだろう。

 いずれにせよ。

 ボクはクリアすべき課題に気がついた。


「次は、何を飲みたいんだっけ?」


 ボクはキミに訊いた。


「何って・・・ジャック・ダニエルの次ってこと?」


 キミはそう言うと、察したらしい。


「ふうん」

「・・・なんでしょうか?」

「じゃあ、アーリー・タイムズがいいかなあ」


 銘柄の読みは当たっていた。

 たぶんキミにはお見通しなことも。


「まだだいぶ残っているんでしょう?」

「ええ、まあ・・・」

「あなたは一度にたくさん飲めないもんね」


 キミはやはり鋭かった。


「怒ったり、しないよ」


 にこっとしたキミが言った。


「どうして飲んじゃったのか、ちゃんと教えてくれるならね」

「妹が」


 ボクはつい言ってしまった。


「嫁いでしまいまして・・・」

「あなたに妹さんなんていないでしょ」

「実の妹ではありません、で」

「へえ、そうなんだ」


 キミはフフッと笑った。


「今はそんなふうに思っているんだね」

「はい?」

「タマキちゃんのこと」


 毎度のことながら、なんで分かるんだろうか。

 キミの方が何枚も上手なのだと思うしかなかった。

 そして、タマキはただの後輩ではない。

 娘、ではなく、ボクにとって大切な妹分だ。


「私、タマキちゃんの恋なら精一杯応援したいって、思ってるんだ」


 前に聞いたことがあるセリフだった。


「あとちょっとで、応援できるかも」


 キミは嬉しそうに微笑むと、左手でボクの右手を握った。

 陽が陰りだしていた。


「じゃあ、行きましょうか」

「何処に?」

「アーリーを買いに、でしょ?」

「なるほど」


 キミとボクはあらためて部屋を出た。


「その前に」


 キミは前方に見える角のベーカリーを指さした。

 普段パンを食べないボクでもときどき買いに行くことがある、おいしいパンを売っているお店だった。

 街灯がともり始めた。


「バケット、食べたいな」

「了解」


 行くとなれば、きっと他のパンも買いたくなるに違いなかった。


「アーリーを買うとき、一緒にクリーム・チーズもね」

「・・・了解」

「ガーリック・ペーストも欲しいかなあ」

「それも了解」

「あと、ね・・・」


 ボクはバイト代がたくさん残っているときでよかったと思った。


「リンツ(Lindt)のホワイト・チョコレートも」



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