15 11月5日~6日 “Just In Time” (その1)
いつもの通い慣れてる道、しかもお昼を過ぎてそれほど経ってない時間だというのに、学校に近づくにつれて歩いてる人の数が増えてきていると感じた。
普通の日なら、こんなことはあり得ない。
危険な兆候だ。
「今からそんなことでどうするのよ」
キミはまったく気になっていないらしい。
キミは舞台に立つ人だから、人がたくさんいることに慣れているのかもしれない。
むしろ、たくさん人がいてくれると嬉しいとか・・・。
学校の敷地に沿ってできている歩道を進み始めたときから、既に学内の賑わっている様子が伝わってきた。
入口となっている正門の外では、呼び込みや、チラシを配っている人、男女を問わず子どもから大人まで、たくさんの人が行き来している。
学内からの有象無象の音が大きくなってきた。
非常にこの先が思いやられる。
「ほら、そんな顔しないで」
キミはボクの右手を取った。
「さあ、戦闘開始だよ」
キミとボクは正門をくぐった。
正門に付いていた看板のひとつに、特設ステージでのイヴェントの告知があった。
毎年有名人を招聘しているらしいことは知っていたけれども、そこにはテレビを見ないボクでも分かるお笑い芸人のコンビに、ヒット曲をいくつも持っているバンドの名前があった。
「へえ。けっこう有名な人たちを呼んでるんだね」
キミは言った。
間違いない。
おそらくすごい人混みになることだろう。
巻き込まれることだけは絶対に避けねばならない。
ボクは特設ステージ方面には極力近づかないことを固く心に誓った。
* * * *
キミとボクは最初に英語研究会に行ってみることにした。
実行委員から入口でもらったパンフによると、英研は3号館の前に陣取っているらしい。
英語での寸劇、2時間おきに3回、正味1時間くらい。
寸劇とは言っても、1時間は割と長いとボクは思った。
パンフにあったとおり、3号館の前に受付の机があった。
広瀬がそこにいた。
「あ、広瀬くん。こんにちは」
「いらっしゃい」
キミに応えて、広瀬は言った。
「受付はひとりだけでいいのか?」
ボクは訊いてみた。
劇は3号館の大教室でやるので、手分けして適宜お客さんを案内しているのだそうだ。
「なかなかたいへんだね」
キミは言った。
「ぼくはただの受付だから、楽なもんだよ。香苗は英語がぺらぺらだけどセリフが多い主役級だから、プレッシャーを感じてるかも」
「なるほど」
広瀬の説明にボクは納得した。
「香苗ちゃん、て?」
「ぼくの、彼女だよ」
広瀬がちょっと照れながらキミに言った。
「佐野さんとは会ったことないんだっけな」
「うん。今度会わせてね」
「分かった」
続いてボクはまた訊いてみた。
「案外お客さんが来ているんじゃないか?」
ボクの予想よりも足を運ぶ人が多いように思えた。
「どうかな」
「今ぐらいの時間だと、まだまだこれからだよね」
キミが言った。
「学祭の出店ですませる人もいるだろうけれど、お昼を食べて一段落してから来る人が多いと思うのよ」
「佐野さん、さすが」
広瀬はキミを誉めた。
劇ということで、キミが興味津々なのは明らかだった。
「3号館の大教室ね。そこなら分かるわ」
「時間はパンフにもある、と」
ボクはパンフを確認した。
キミは情報が揃っていることが分かると、ひとまず満足したらしい。
「全編英語のセリフというのが、私には泣きどころだわ」
「あらすじ、説明した方がいい?」
広瀬はキミに訊いた。
「そうね、もし理解できなかったら、あとで訊くから教えて」
「うん。それがいいな」
広瀬は珍しくにこっとした。
「では道中お気をつけて。特に、そこの彼」
広瀬はボクを指さした。
「人を指さすのはよくないんだぞ」
「学祭に来た勇気は認めてあげるよ。よく来られたね」
「ま、まあな」
「佐野さんのおかげだ」
「断言するか」
「それくらい分かるよ」
キミはフフッと笑った。
「じゃあ広瀬くん、頑張ってね」
広瀬は右手を挙げてキミに応えた。
キミとボクが広瀬から離れると、すぐにお客さんが広瀬の前に立っていた。
「つい長居して、悪いことしたな」
「そうみたいだね」
キミはちろっと舌を出した。
「2回目の上演がもうすぐ始まるんだな」
ボクは腕時計を確認して、キミに言った。
「見に行くなら、最後の3回目よ」
キミは言った。
「きっと今日いちばんのパフォーマンスだと思うの」
舞台のことに通じているキミが言うと、説得力があった。
「では、そのように」
ボクはそう言ってから、うちの学科の展示を見に行くことを提案した。
「タマキちゃん、いるかな?」
「分からん」
「差し入れ持ってきたから、ちゃんと渡したいのよね」
ボクは知らないふりをしたけれど、もちろんリサーチ済みだった。
初日の午後に、タマキがいる。
タマキ本人に確認できた。
非常に好都合だった。
不測の事態が起こる可能性はゼロではないが、まあ大丈夫だろう。
予定どおり、展示の前のテーブルにタマキがつめていた。あと1年生が何人か。
ボクはひと息ついた。
これで出直すことはなくなった。
「ご苦労さま」
まずボクは言った。
すると、1年生がボクに「こんにちは」と挨拶してくれた。
なかなか感動的な出来事だった。
ボクの様子を見て、キミは笑っていた。
「タマキちゃん、差し入れ持ってきたよ」
キミはときどき使っている中型のバッグからそれを取り出した。
「ドーナツ買ってきたから、みんなでどうぞ」
「幸美先輩、ありがとうございます」
1年生たちも喜んでくれたようだ。
「お客さん、来てくれてんの?」
ボクはタマキに訊いた。
「そうですね、去年より多いかもしれません」
「ということは、タマキは去年も有志だったのか」
「はい」
「偉いな、タマキ。どおりで輝いて見えるわけだ」
「・・・陽射しのせいで、てかてかしてるっていう意味ですか?」
「そこは素直に受け取ってほしいのですが」
「土井先輩の言葉を素直に受け取るには、私は先輩のことを知りすぎてしまいました」
タマキがそう言ってそっぽを向くと、キミは大笑いしていた。
「タマキちゃんの圧勝ね」
ボクはキミの言葉を認めるしかなかった。
あらためて、ボクはまたタマキに訊いた。
「田中はどうした?」
「午前中は、田中先輩と小野先輩がいてくださったんです」
「なるほど」
「午後は私と1年生の番なんです」
「ということは」
「おふたりは、いろいろ見て回ってるんだと思います」
「小野先輩って、あなたの言ってた恵子ちゃん?」
キミに訊かれた。
「そうだよ。田中の彼女なんだ。恵子ちゃんはキ・・・ゆきみさんと話したがってたんだけどな」
キミはハッとした後、表情を緩めた。
「・・・呼んでくれた。満足はできないけど」
「命令に完全に逆らっちゃうと、お仕置きがあるだろうからな」
「ひどい」
キミはちょっとふくれて見せた。
どうもキミ自身の前ではまだうまく呼べない。
「呼び捨てにしてくれるなら、『キミ』からたった1文字増えるだけなのにな」
ボクは苦笑いするしかなかった。
タマキがくすくす笑っていた。
「土井先輩」
「ん?」
「何をそんなに照れていらっしゃるんですか?」
タマキの突っ込みに、返す言葉がなかった。
キミはフフッと笑った。
「もっと、堂々としてください」
「ね、そう思うでしょ」
タマキとキミに組まれたら、かなわない。
1年生も含めて、ボク以外のみなさんはニヤニヤしていた。
ボクの完敗だった。




