13 10月22日~23日 “My Melancholy Baby” (その4)
「じゃあ、またね」
「気をつけて帰ってね」
紺色のパジャマのままでドアの前に立ち、私は笑顔で手を振った。
3人が四つ目の角を曲がって見えなくなると、ドアを閉めて、その場にしゃがみ込んでしまった。
私に教えてくれたのがついさっきで、最後の最後で本当によかった。
もしそうじゃなかったら、私は一晩中泣きじゃくっていたかもしれない。
・・・気を遣ってくれたんだ。
私は気がついた。
きっと、そうだ。
教えてくれたことも、そのタイミングも。
想像できないほどの、ものすごい脱力感に私は襲われていた。
それに、涙がぽろぽろこぼれて、止まらない。
たったひとこと、ふたことの言葉で、こんなふうになってしまうなんて。
このままだと、動けなくなる。
そう思った私は、なんとか電話の子機を手に取った。
あなたの番号を押した。
他には何も考えられなかった。
コール3回、留守番電話が作動した。
「早く、出て」
うまく声が出なかった。
「早く出てよ!」
私はかすれた声で、叫ぶようにそう言った。
── なんだ? どうした? 何かあったのか?
受話器を取ったあなたは、私の様子がおかしいとすぐに気づいたようだった。
「今すぐ、ここに来て」
しゃくり上げながら、私は言った。
「ここに来てよ、早く・・・早く」
私はうまく言えなかった。あなたには聞こえなかったかもしれない。
── 分かった。すぐに行く。待っててくれ。
あなたのすごく真剣な声が聞こえた。
力が入らないし、涙は止まらないけれど、私はちょっぴり落ち着いた。
── またあとでな。
電話が切れた。
私は子機を落としてしまった。
どうにかたどり着くと、私はベッド背にして、膝を抱えた。
顔を伏せて、じっとしていたつもりだった。
小刻みに震えているのが分かった。
目をつぶっていた。
これ以上ないくらい、強く。
それでも、涙はぽろぽろこぼれた。
あなたが来てくれるまでは頑張る。
そう思った。
でも、今にも崩れ落ちてしまいそうなのが、分かっていた。
大きな感情の波が、何度も打ち寄せた。
あなたにものすごく怒られたときのことが、自然に浮かんできた。
何言ってんだよ
悲劇のヒロインかよ
キミはあまりにも情けない
キミの人生だろ
後悔しない結論を出せよ
納得できる結論を出せよ
あのとき、あなたは本気で怒ってくれた。あんなに必死に怒ってくれた。
だから私はここにいる。
あなたにそばにいてほしい。
そばにいてくれなくちゃ、ダメだよ。
私はあなたのことを考えて、耐えた。
耐えていると思い込もうとした。
* * * *
キミからのただならぬ電話に、寝ぼけ眼のボクの目は一気に覚めた。
何かあったのは間違いない。
非常事態。
緊急事態。
だけど、印哲4人組の集いで、何があったというのだろう。
歩くのはもどかしい。
走る。
息切れ。
体力がない。
情けない。
不安で仕方ない。
電車が来るのが遅い。
待ちきれない。
それでも今のボクの全力で、キミの部屋にたどり着く。
チャイムを鳴らす。
応答なし。
ドアノブに手をかけてみる。
鍵はかかっていない。
中に入り、鍵をかける。
靴を脱ぎ捨て、奥に行く。
ベッドを背にしてうずくまっているパジャマ姿のキミがいた。
とりあえず、事件性はないようだと分かってほっとする。
「おい、大丈夫か、どうした?」
肩に手をかける。
震えているのが分かる。
いったい、何が?
キミは声をあげて泣きだし、ボクに抱きついた。
あまりの号泣に、脱水症状や過呼吸の心配があった。
もっとぎゅっとして。
離さないで。
泣きながらの言葉を、どうにか聞き取る。
ただひたすら、キミを抱きしめる。
ボクのシャツはびしょ濡れになっていく。
いつも泣きすぎのキミだけど、ここまでのことは初めてだ。
水を飲ませた方がいいと思う。
「ちょっと離れるぞ」
「ダメ」
「ほんのちょっと」
「イヤ」
「飲まなきゃまずい」
「いい」
離さないで。
お願い。
ボクは諦める。
もっと落ち着くまで待とうと思う。
どのくらいそうしていただろう。
キミはようやく水を飲んでくれた。
まだひどくしゃくり上げている。
「もっと、近くに来て」
「こんだけくっついているのに、これ以上は」
「そんなことない」
キミはよろよろ立ち上がると、身につけていたものをすべて脱いだ。
そういうことか。
ボクはキミに倣った。
「せめてベッドに行こう」
キミをベッドにあげる。
ブランケットにくるまる。
「・・・ひとつになりたい」
キミに従う。
言葉にならない声が聞こえる。
また少しだけ落ち着いてきたように見える。
横向きで見つめ合う。
キミがボクの背中にまわした腕にわずかに力が入る。
こうしていると、とても安心。
しばらくこのままでいたい。
すごく、幸せ。
このままずっといられたら、次の瞬間に世界が滅びても悔いはないよ。
キミは言葉を重ねた。
まだハスキーな声で。




