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行方(ゆくえ)  作者: ソラヒト
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13 10月22日~23日 “My Melancholy Baby” (その2)


 快速電車で先輩を見つけたとき、しかもすぐそばに行ってしまったとき、私は少しパニックだったかもしれません。

 顔が赤くなって、鼓動が早くなったのが自分で分かりました。

 お酒を飲んでいましたから、彼はそのせいだと思ってくれたようでした。

 大丈夫かい、と何度か訊かれました。

 このままではまずいと思った私は、いつもの学校の最寄り駅で降りることを決めました。

 ケーキ屋さんに寄っていきたいと彼にお願いすれば、私のお願いを聞いてくれると思いましたし、実際そうなりました。

 ホームに降りると、私は大きなため息をついてしまいました。

 彼はまた心配してくれましたけど、お酒のせいではないということを、私は充分に分かっていました。

 空気がひんやりしていたおかげで、私は多少落ち着きました。


 ケーキ屋さんはもう閉店していると思っていましたが、行ってみるとちょうど閉店のための片付けを始めたところのようでした。

 私はお店の人にお願いしてみました。

 快く店内に入れてくださいました。

 本当はだいぶ前に閉店時間を過ぎていたようです。

 ショウケースをのぞくと、2種のチーズケーキ、ベイクドとレアが、嬉しいことにひとつずつ残っていました。

 私はそのふたつを買いました。

 帰ったら、コーヒーをいれて彼とふたりで食べようと思いました。


 再び電車に乗る前に、「友だちに連絡するのを忘れてたから、ちょっと待ってて」と彼に言ってから、私はカード電話を使いました。緑色の電話機にテレフォン・カードを入れると、私は土井先輩の番号をプッシュしていました。

 何故かそうしないといけないような気がしていました。

 土井先輩はまだ部屋に着いてないはずだから、メッセージを残そう。そう思っていたのですが、留守番電話が作動しても、私は何を言えばいいのか分かっていませんでした。

 留守電の録音時間は確か30秒だと聞いていたので、多少は黙っていても大丈夫だろうと思いましたが、10秒以上経ってもこの場にふさわしい言葉が出てきませんでした。

 私は「またあらためてかけます」とだけ言いました。

 他に何も思いつかなかったのです。


    *      *      *      *


 ボクは電車を降りるとまっすぐ自室に向かった。

 不快な気分はなかなか消えなかった。

 途中に空き缶が転がっているのを見つけた。無性に蹴っ飛ばしたくなった。危ないのでやらなかったけれど、このやりきれなさをどうしたものかと思っていた。枯葉を踏んづけて粉々にしてみたところで、どうにもおさまらなかった。

 ボクは自室に帰ってもしばらくそわそわしていて落ち着かなかった。

 こんなときは寝てしまうに限る。

 いつもならこんなことはしないのだけど、ボクはキミが買っておいたジャック・ダニエルを開栓し、無造作にグラスにあけ、一気にグイッとあおった。ボクらしくすぐに真っ赤になって朦朧とした。

 ボクはコップ1杯の水を飲むと、ベッドに横たわった。

 とりあえず、眠れそうではあった。


── アルコールを飲んでそのまま寝てしまうのは身体からだによくないんだよ。


 キミが言ってたのを思い出していた。


 なんだか閉じた目蓋がヘンだと思ったら、部屋の電話機がチカチカしていた。

 留守電が入っているということだった。

 チカチカされ続けるのは困るので、仕方なく再生してみることにした。

 3件入っていた。

 1件目はキミだった。どこかの店からかけてきたようだった。

 うしろがかなり騒がしく、よく通る声のキミでもいつもより大きな声だなと感じた。


『死んでませんか。泣いてませんか。大丈夫ですか。私のジャック、勝手に飲んじゃダメよ。ふたりで一緒に飲むんだから。また明日あしたかけるね』


 ・・・見てたんかい、と思った。

 キミはいつも鋭い人だった。

 2件目はメッセージなしで、すぐに切れていた。間違い電話だと思った。

 3件目は何故かタマキだった。

 名乗りはしなかったが、声を聞いてタマキであることはすぐに分かった。

 メッセージの録音が開始されても、タマキはなかなか声を出さなかった。

 15秒くらいあと、『またあらためてかけます』、とだけ言った。

 メッセージ再生後に聞こえた時刻では、おそらくケーキ屋に行ったか行かなかったかのあとに、かかってきたのだろうと思われた。

 タマキにしてみれば、ボクがまだ部屋に戻っていないことは分かっているはずの時間だった。

 ボクと話すのが目的ではないということだ。

 ならば、どういう意図があったのだろう。

 ボクには分からなかった。


 眠れない気がした。

 キミに釘を刺されたものの、またジャック・ダニエルの力を借りた。ボトルをひと目でも見れば、ボクが飲んだことが明らかに分かる減り方だった。

 怒られたら買い直せばいいやと思った。

 そのときはキミに「ジャックじゃなくてアーリー・タイムズがいいかな」と言われるかもしれない。「今度はまた違うのを飲もうかな」、そう聞いてたから。

 ボクは鎮静剤代わりにビル・エヴァンズのアルバム、『ムーン・ビームス』のCDをかけた。

 近頃このディスクにお世話になりっぱなしな気がした。

 最後のトラックである“ヴェリー・アーリー(Very Early)”を聴く頃には落ち着いて眠れると思っていた。

 2トラック目、“ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス(Polka Dots and Moonbeams)”の途中で、ボクは計3回くらい大きなくしゃみをした。

 意外に部屋が冷え込んでいたのだ。

 そう気づいても、もうだめだった。

 4トラック目の“ステアウェイ・トゥ・ザ・スターズ(Stairway to the Stars)”が始まった。

 ボクの記憶はそこまでだった。


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