12 10月15日~16日 “What Is This Thing Called Love” (その1)
ボクは後部座席にひとりで座っている。
ハンドルはタマキが握っている。
キミはナヴィをしながらタマキと談笑している。
でも、どんな話をしているのかは聞き取れない。
ボクは会話に混ざろうと思う。
「なんの話をしてるんだ?」
「あなたには教えたくないな」
キミに言われた。
「土井先輩のことですよ」
タマキはくすくす笑っていた。
「ダメだよタマキちゃん。内緒の話なんだから」
キミはタマキにそう言うと、フフッと笑った。
ボクは混ぜてもらえない。
このドライヴの行く先も分からない。
「何処に行くんだ?」
「何処までも」
キミが言った。
「行けるところまで行ってみようって、ふたりで決めました」
タマキが言った。
「行けるところまで?」
ボクが訊き返す。
「そうよ」
キミが答えた。
「あなたの気がすむまでは、このままで」
ボクの気がすむまでとは、どういうことだろう。
いつの間にか高速道路を走っていた。
すごい勢いで景色が飛び去っていた。
「飛ばしすぎじゃないか、タマキ」
ボクはタマキに言う。
「いいんです」
タマキが答えた。
「なるべく早く、行きたいんです」
行く先は何処なのか、やっぱりボクには分からない。
「だけど危ないよ、タマキ」
「承知の上です」
タマキはなおも加速していた。
スピード・メーターは見えないけれど、150km/hは優に超えている。
「万一事故ったら、3人ともお陀仏だぞ」
「心配でしたら、運転、代わりましょうか?」
ボクがハンドルを握っている。
車にはボクだけがいる。
ボクは何かを考えている。
しかし、答えが分からない。
何処に行けば分かるのだろう。
急に道がなくなる。
崖から真っ逆さまに落ちていく。
自滅なのかと思っている。
ボクはひとりで闇の中を落ちている。
誰かの手が差し出されているのが見える。
誰の手なのかは分からない。
その手に捕まれば、助かる気がする。
キミの声が聞こえる気がする。
タマキの声のような気もする。
なんと言っているのかは聞き取れない。
ボクは懸命に手を伸ばしている。
誰かの手を握る。
その手は手首までしかない。
ボクはさらにどんどん落ちている。
ダメかもしれないと思う。
「距離」という言葉が頭に浮かぶ。
もう一度会っておきたいと思う。
誰に?
はっきりしない。
ボクは集中治療室にいる。
コードだらけで身動きのできない姿が見える。
意識が薄れてゆく。
誰もいない。
置いていかれたと思う。
長い壁が続いている。
ドアがひとつだけある。
鍵がかかっている。
その鍵はボクが持っている。
開けてみないといけない気がする。
ドアノブに手をかける。
「・・・先輩、先輩」
タマキがボクを揺すっているのが分かる。
「大丈夫ですか、先輩?」
ひどくうなされていましたよ、と聞こえる。
「今、何時?」
「12時になるところです」
昼なのか、夜なのか、ボクには分からない。
タマキの部屋にいると気がつく。
タマキのベッドにいると分かる。
「ごめん、すぐどくから」
「そんな、気にしないでください」
身体を起こすと頭がくらくらする。
「とりあえず、お水を飲んでください」
飲み過ぎなのか、二日酔いなのか、と思う。
「幸美先輩は、劇団の用事で出かけてしまわれました」
タマキとボクがふたりきりだと分かる。
「まだ横になっていてください」
「そうもいかないだろ」
ボクは起きようとする。
「先輩は魔法にかかっています」
「え?」
8月のことを思い出す。
「けど、タマキには彼氏が」
「先輩にだって、彼女さんがいるじゃないですか」
私はもう魔法使いではないですよ、と聞こえた気がする。
「二股じゃないか」
田中だろうかと思う。
「幸せなヤツめ」
ボクが返す前に、次の言葉が聞こえる。
「とてもいい彼女がいてよかったな」
* * * *
目を開けた。
自分の部屋だ。
他に誰もいない。
ひどく汗をかいていた。
窓を開けてみた。
朝の匂いがした。
時計は5時になろうとしていた。
視界の端っこで、留守電が点滅しているのに気がついた。
電話が来ても目を覚ますことなく眠っていたのだと分かった。
シャワーを浴びようと思ってベッドを出ると、留守電を再生してみた。
── 幸美です。
キミの声だった。
名乗るなんて、初めてのことではないかと思った。
── 劇団の先輩と、飲むことになりました。
口調がいつもよりおとなしい。
── また明日、電話します。
時刻は昨日の午後7時28分だと留守電の機械的な声がした。
とはいえ、実際の時間と電話機の時計をしばらく合わせたことがないので、目安にもならない。
確認してみると、電話機は2時間ほど遅れていた。ということは、キミの電話は午後9時半頃だったわけだ。
それにしてもずいぶん眠ってたものだ。
むしろ眠りすぎだ。夜中にトイレに行ったような気もするけれど、覚えていない。
ゼミの発表もあったし、バイトも忙しかったし、疲れが溜まっているんだなと思った。
おまけに妙な夢を見たし・・・。
直接にしろ、留守電にしろ、キミの声は毎日聞いていた。
この前はたまたまケーキ屋に4人で行ったけど、このところキミとふたりだけでいる時間は減っていた。
平日のキミは8月の分を取り返すべく先月からバイトに力を入れていたし、週末は例によって劇団のことがあった。
近頃は印哲仲間との交流も活発だし。
デートらしいデートは、海に行ったきりだった。
そのことを特に気にはしていないつもりだったのに、今のボクはキミに会いたいと強く思っていた。
きっと、自分に元気がないからだと感じた。
こんなとき、真っ先に浮かぶのはキミの顔なのだと、あらためて気がついた。
ボクはキミとの距離を思った。
約1年前、あのバイト先でキミと出会ったときには、今よりもずいぶん距離があった。
キミとボクは少しずつだけれど、確実に距離を縮めてきた。
でも、それはまた少し空いてしまった気がした。
シャワーにうたれながら、ボクはキミとの将来のことを考えていた。
キミが行きたい方向へ先回りして、キミがボクのあとから安心してついてきてくれたら・・・。
このことはキミに話してはいない。
話さなくてよかったかもしれない。
これではきっとダメだ。ボクが焦って空回りするだけだ。
ときどきは離れたり、また追いついたりしながらでも、ひとりとひとりではなく、「ふたり」なら。
砂浜で足跡を並べたように、歩いていけるなら。
バスタオルで頭を拭いたあと、ボクはあのときキミが見つけた貝殻を見やりながら、ミネラル・ウォーターを飲んだ。
ボクはまだ強く思っていた。
キミに会いたい。




