01 9月4日 “It Had To Be You” (その2)
「私、あなたとあんなに長い時間離れていたの、初めてのことだった」
20年以上離れてたけど。
キミは言った。
「そうだな」
「正直に言うと、私、不安だった。自分で選んだことの結果なのに。帰ってもあなたはいないかもしれない、私の場所はなくなっているかもしれないって、思った。けど、それはそれで仕方ないな、って」
「なんでそうなるのさ?」
「私が自分で選んだことの結果だもん。もちろんあなたを大好きだし、さっき言ったように、タマキちゃんも大好き。大好きなふたりが幸せだったら、それは悪くないことだって、思った」
「……」
「でも、タマキちゃんも私と同じように考えたんだと思う。きっと、そうよね」
「そうなのかな」
「自分の気持ちに嘘はつけない。タマキちゃんだって、きっと後悔したくないって思ったのよ。だから自分に素直になった」
── 私、後悔なんて絶対しません。今の自分に、すごく納得してます。
ボクはタマキの言葉を思い出していた。
── もう心配しないでください。
「けれど、私とあなたの関係を壊したくはない……複雑な女心」
「……」
「私、タマキちゃんとはだいぶ性格が違うって思ってるけど、あなたが絡んでくると似てきちゃうのはどうしてなんだろうね」
「ボクには、分からないよ」
「あなたは男の人だもんね」
「うん」
「ねえ」
「ん?」
「ふたりのいい女に愛されているのって、どんな気持ち?」
「考えたことないよ」
「だったら、考えなくちゃいけないね」
「敢えて言えるのは、なんでボクなんだ、ってことだけだな」
「それはたぶん、あなたが、そのままのあなただから」
「分からないよ」
「私、タマキちゃんの気持ちがよく分かるつもりだけど、あなたを譲ることなんてできない。『譲る』だなんて、傲慢な言い方だけど……」
「……」
「タマキちゃんは、私と張り合おうなんてちっとも思ってない。だから、ケンカになることもない」
「……」
「それに、どうなるとしても、正解なんてない。いくつかの選択肢があるだけなのよ」
世界は不思議で満ちているの。
キミは言った。
キミの口癖のひとつだった。
「そんなこと、考えてたのか」
「うん。飛行機の中で、とか。ホテルの窓から外の景色を見ながら、とか」
いくつかの選択肢の内容については、キミは何も言わなかった。
「日本を離れて、あなたから遠く離れてみて、考えたことがたくさんあったの。あなたと出会ってからの私のこと、よかったこと、よくなかったこと、嬉しかったこと、つらかったこと……それに、ね」
「何?」
「これからのこと」
キミはボクの目をしっかり見てそう言った。
「あなたと出会えてよかったということは絶対間違いない。これは永遠に真実。でも、これからどうするか、どうすればいいのかは、別の話」
「未来派だな」
「過去は変えられない。未来は変えられる」
「SFで定番のヤツか」
「SFに限らないでしょ」
「一般常識?」
「どうすれば、いいと思う?」
「……」
ボクは何も言えなかった。
何も言えないことが多すぎると思った。
ふがいない。
「私、ずいぶん勝手かもしれないけど、タマキちゃんのことだっていい加減に考えたくない」
「……」
「どうなるのが、幸せなんだろう……あなた、私、タマキちゃん、3人の……それとも、“ふたり”の? そうでなければ、ひとりずつ?」
ボクはどうなるのが幸せかなんて、あらためて考えたことがなかった。
「タマキちゃんも一緒に、3人で暮らせたらいいのになって、考えたこともあるのよ」
「3人で?」
「悪くないと思うんだけどなあ……タマキちゃんと、あなたと、私の3人って」
タマキちゃんはどう思うかな。
キミは言った。
「3人だからできることだって、あると思うのよね」
「例えば?」
「手をつないで、円を作ること」
「何、それ?」
「お互いが、お互いの手をつなぐの」
「3人だから、もうふたりの手をつなげるということ?」
「そう。ふたりでも、お互いの手を握れるけど、円は作れないよね。線になるか、四角になるかで」
「そうとも言える、と」
「3人だとね、三角形も作れるけど、それだとイメージがよくないよね」
「三角関係、か」
「4人以上でも円は作れるけれど、他の全員の手を握ることはできないんだよ」
「なるほど」
「3人で、少しいびつかもしれないけど、円を作れる。調和」
「調和……ハーモニー」
「そうよ。音楽的に言っても、ずいぶん素敵だわ」
「確かに」
きっと、もっとたくさんのことができるよ。
キミは言った。
「だから、先のことはどうなるか分からないけど、そのときの3人が、3人とも後悔なく、納得できるなら、私はOKだと思う。誰かひとりでもダメなら、なし」
「キミはときどきすごい発想をするな」
「そうかな? 自分ではそんなつもりはないけど」
「3人で一緒になんて、聞いたことないぞ」
「聞いたことがないとか、あるとか、それはどうでもいいことだと思わない?」
「世間の常識ではないだろうな」
世間も、常識も、どうでもいいよ。
キミは言った。
「常識って、多数決で言えば多数派ってことだよね」
「そう、なるな」
「で、私は少数派。いつものことね」
「いつも、なんだ」
「ねえ」
「なんでしょうか」
「多数だからって、それが正しいとは限らない。でしょ?」
「ボクもどちらかと言えば少数派だし、分かる気がするよ」
「少数派が正しいことだって、たくさんあると思うの」
「事例を知っているということか」
「ガリレオとか」
「ああ、なるほど」
「ヒットラーに従わなかった人たちとか」
「分かりやすい事例だな」
「けど、今私たちが話していることは、善し悪しの問題じゃないよ」
「確かに」
「自分が納得できるかどうか、ね」
「わがままではなく」
「うん」
「まあ、当面の課題ってところだな」
「あなたは」
「ん?」
「あなたは、どうしたい?」
ボクは急に矛先を向けられて焦った。
「……即答できることじゃないな」
「そっ、か」
キミは軽くため息をついた。
「そうだよね……うん」
キミはがっかりしているように見えた。
「即答なんて、できないか」
そして、しばらくうつむくと、何かを決めたかのように顔を上げた。
「だったら、あなたの意見が決まるまでは現状維持しかないわよ」
「そういうことか」
「私、あなたと一緒にいて、いいんだよね?」
「ああ、もちろんさ」
「分かった。ありがと」
「うん」
「じゃあ、この話はここまでね」
「そうだな」
エリントン楽団は“ソリチュード(Solitude)”を演奏し始めた。
「私ね」
「ん?」
「あなたと海に行きたい」
「海?」
「9月になっちゃったけど、まだ夏の延長よね」
「まだすごく暑い」
「だから、暑いうちに、夏の思い出を作りたいの」
「なるほど」
キミは微笑んでいた。
「まだ間に合うよね」
「ああ」
「では、海に行く件について、ふたりで考えよう」
「了解」
キミは両手の人差し指と親指で四角を作り、シャッターを切るまねをした。
「写真をたくさん撮ってあげる」
キミはそう言った。




