09 10月9日 “In A Sentimental Mood” (その4)
私はまたまっすぐに訊いてみることにした。
「タマキちゃんは」
「はい」
「あいつのこと、諦めようとしているの?」
「え」
「今つきあってる彼氏のこと、本当に好きなの?」
「・・・好きだと思ってます」
「こんなこと訊いちゃうと、失礼かもしれないけれど」
「なんでもおっしゃってください」
「じゃあ、遠慮なく訊いちゃうけど」
「はい」
「ねてみた?」
「それは・・・」
「もしかして、うまくいかなかった?」
「実は・・・そう、なんです」
「受け入れるのがつらかったとか」
「つらいと言うか・・・おつきあいしていれば、いずれはそうなると思ってましたから、拒む気は全然なかったんですけど」
「うん」
「頭の中では大丈夫だと思っていたのに」
「身体が?」
「はい」
「私、似たような経験があるから、そんなタマキちゃんのこと分かる気がする」
「そうなんですか?」
「タマキちゃんには言ってなかったけど」
「はい」
「私ね、婚約してたんだ」
「婚約、ですか」
タマキちゃんは驚いた様子だった。
「うん。あいつと知り合う前のことなんだけど、ゼミの先輩に告白されて」
タマキちゃんと知り合ったときは、まだ婚約中だったの。
私は思い出して付け加えた。
「そのときは、その先輩と一緒になることが、自然なことだと思ってた。だから、初めてもその先輩で」
「そうなんですか・・・」
「でもね」
「はい」
「すごくつらかったんだ。その先輩に抱かれることが」
「・・・」
「イヤというわけではなくて、断る理由もないし、そうなることが自然だと思ってた。だけどね、今ならよく分かる。身体が反応しなかったんだって。だから痛いだけで、行為自体がつらくなってた」
タマキちゃんはうつむいてしまった。
「なのにね、あいつとだと、ちっともそんなことなくて」
「ああ・・・分かる気がします」
「私、あいつに抱かれたいと思っちゃって」
「はい」
「そんなこと、初めてだったけど、すごいことになってたの」
「本当に、好きになったんですね」
「うん、そうだと思った。もしかしたら、身体は心より正直なのかも」
「そう、ですよね」
「だから、彼氏のこと、まだなら」
「はい」
「タマキちゃんも分かってると思うけど・・・」
「うまく言えませんけど」
「うん」
「否定はできません」
タマキちゃんは顔を上げかけたのに、またうつむいてしまった。
「タマキちゃん」
「はい」
「元気ないよ」
「あ」
タマキちゃんはもじもじしていた。
「・・・すみません」
「私、ね」
「はい」
「タマキちゃんは、くすくす笑っているときが、抜群にかわいいと思うんだ」
「え」
「だから、タマキちゃんには、難しい表情をしてほしくないって思ってる」
「ありがとう・・・ございます」
タマキちゃんは少し赤くなった。
やっぱり、タマキちゃんはかわいい人なのだ。
「私、あいつと一緒にいる時間を、私なりにすごく大切にしてきたけど」
「はい」
「少しずつね、距離を置いてみようかなって、考えてる」
「え? ・・・どうして、ですか」
「タマキちゃんも、同じように考えたんじゃない?」
「そう・・・でしょうか」
「私はそう思うな」
「・・・」
「あいつには、このことを言うつもりはないんだけど、距離を置くことで、きっといろいろなことが見えてくると思うんだ」
「幸美先輩・・・」
「近すぎて見えなくなってることも、あるんじゃないかって」
それだけではない。
自分を見つめ直す。
ひとりきりでいる時間。
ときどきは必要なことだと思っている。
気持ちがざわついているように思えるときは、絶対に。
「でもね、無理をするつもりはないんだ」
「無理・・・」
「会いたくなったら会っちゃうだろうし、甘えたくなったら、甘えに行っちゃうと思う」
「・・・」
「タマキちゃん」
「はい」
「私、自分に素直でいることはやめたくない。後悔したくない。タマキちゃんだって、そうだよね」
いつの間にかずいぶん遅い時間になっていた。
電車はまだしばらく動いているけれど、私はタマキちゃんにお願いすることにした。
「今日、泊めてもらってもいい?」
「もちろんいいですよ。あ、でも、散らかっててすみません」
「タマキちゃん、そんな心配いらないよ。これで散らかってるなんていったら、あいつの部屋は魔窟だよ」
うまい具合にあいつとの約束を思い出した。
「タマキちゃん、電話、借りるね」
「はい、遠慮なく」
コール3回で留守電が稼働したと思ったら、あいつが受話器を取っていた。
── もしもし。
「珍しく自分から出てくれたね」
── キミにとやかく言われたらいろいろたいへんだからね。
「すぐひどいこと言うんだから」
── ひどいかな?
「ひどいよ・・・知ってたけど」
受話器の向こうで苦笑いしている顔が見えた気がした。
「今日は、タマキちゃんの部屋に泊めてもらうから」
── 了解。
私はお布団を用意してくれているタマキちゃんを呼んだ。
「タマキちゃん、替わる?」
「あ・・・いえ、私は」
そんなタマキちゃんにおかまいなく、受話器の向こうに私は言った。
「タマキちゃんと替わるね」
私は受話器をタマキちゃんに渡した。
どぎまぎしているタマキちゃんは、やはりかわいかった。
「も、もしもし」
(おお、タマキ。元気か? なんか久しぶりにまともに話してもらえる気がするな)
「ごめんなさい」
(謝られるようなことはないと思うけど)
「最近、先輩のこと、なるべく避けていましたから」
(そうだったのか)
「はい・・・」
(気にしてないよ)
「でも」
(タマキが元気なら、それがいちばん)
「先輩・・・」
(今度行き会ったときにでも、例のエラが歌った“アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユー((I'm Glad There Is You))”が入ったディスクを貸すから)
「ありがとう・・・ございます」
(約束だもんな。きっと気にいると思うよ。あ、それとさ、ずっと忘れてて申し訳ないんだけど、“コートにすみれを((Violets For Your Furs))”が入ってるヤツも)
あいつとタマキちゃんがどんなことを話しているのか、私には分からないけれど、タマキちゃんの表情が柔らかくなっていたので、替わって正解だと思えた。
タマキちゃん、すごく素直なんだから。
私はそんなタマキちゃんの気持ちが、よく分かるような気がしていた。




