09 10月9日 “In A Sentimental Mood” (その2)
タマキちゃんはチェット・ベイカーの『イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー(Chet Baker Sings It Could Happen To You)』をかけた。
あいつの好きな“エブリシング・ハプンズ・トゥー・ミー(Everything Happens To Me)”が入ってる1枚だ。
私はこのアルバムの2曲目、“アイム・オールド・ファッションド(I'm Old Fashioned)”の演奏が好きだ。
“私は古風。月光が好きだし、古いものが好き”。
歌詞の内容がすっと入ってくる。
私にも古風な部分があるのかもしれない。
「先輩は座っていらしてくださいね」
お昼は私持ちで外食をしようと考えていたのだが、タマキちゃんはそうは考えていなかった。
── 午前中に買い物をしておいたので、もしよろしければ今日は私の部屋で。
私は喜んでタマキちゃんの誘いに乗った。
タマキちゃんにお昼をごちそうになるなんて、しかも手料理なんて、まったく想像していなかったけど、それだけにとても嬉しかった。
「簡単なメニューで恐縮なんですけど」
レタスとセロリにワカメが入ったサラダ。
コンソメ・ベースのスープには色とりどりの野菜。
ホウレンソウ入りの緑のフェットゥチーネを使ったカルボナーラ。
どれもほどよい味加減。
「タマキちゃん」
「はい」
「すごくおいしかった。大満足よ」
「そう言っていただけると、嬉しいです」
ドリップしたてのコーヒー。
忘れてはいけないデザートは、レアチーズケーキ。
タマキちゃんがいれてくれたコーヒーはとてもおいしかった。
「タマキちゃん、コーヒーもおいしいよ」
「あ、ありがとうございます」
レアチーズケーキだって、私の味覚センサーには合格だ。
きっと、また食べたくなるだろう。
「私のちょっとくたびれた味覚センサーはね」
「はい?」
「まだ食べたりないみたい」
タマキちゃんはくすっと笑ってくれた。
「私、これじゃただの食いしん坊だね」
「先輩と一緒にいると、楽しいです」
「そう言ってもらえると、私も嬉しいな」
私もタマキちゃんも、コーヒーとレアチーズをたいらげた。
「やっぱりタマキちゃんといると、楽しいな」
「えっ?」
「私、タマキちゃんと知り合えて、幸せ」
「そんな・・・」
「へりくだるのは禁止だよ。私の素直な気持ちを、そのまま受け取ってほしいな」
「ありがとうございます。でも、誉めすぎです」
「そんなことないよ。私、タマキちゃんをお嫁にもらいたいくらいだもん」
愛の告白はもうしてあるから、後はタマキちゃんの気持ち次第だわ。
私は言った。
タマキちゃんは返答に困ったらしく、もじもじしていた。
そんなところも、とてもかわいい。
私はどう頑張っても、タマキちゃんのようにかわいくはなれない。
タマキちゃんに迫られたら、私は拒めないかもしれない。
少しだけ、あいつの気持ちが分かる気がした。
「私と一緒だと、イヤかな」
「・・・先輩は、意地悪です」
そんなつもりはなかったのだが、どこか無意識に、そうなってしまったのかもしれない。
タマキちゃんとの距離を縮めたかったのに、このままではいけない。
「私のこと、タマキちゃんには名前で呼んでほしいな」
「え・・・でも、畏れ多いです」
「そんなことないよ。私からお願いしてるんだし、無理強いはしないけど」
「でしたら・・・」
タマキちゃんは少し間を置いた。
「・・・幸美先輩、こう呼ばせてください」
呼び捨てには、さすがにできません。
タマキちゃんは言った。
名前を呼んでもらえることに違いないのだから、私は納得できた。
「ありがとう、タマキちゃん」
タマキちゃんとの距離は劇的にではないけれど、確かに縮んだ気がした。
* * * *
「タマキちゃん」
「はい」
「私の留守中、いろいろとありがとう」
「いえ、そんな・・・」
「遅くなっちゃったけど、まずはおみやげ渡すね」
台湾で買ってきたの。ほんの気持ち程度だけど。
私は言った。
「ひとつめは、金魚型ティー・バッグ」
「あ、なんだか楽しそうですね。それに、かわいいです」
「あいつは『こわいい』なんて言ったのよ」
「土井先輩らしいですね」
「続いて」
「はい」
「天然ハーブ石けん」
「きれいな色ですね。匂いも好きです」
「そう言ってもらえると、気持ちが軽くなる」
「どうもありがとうございます」
タマキちゃんが嬉しそうに微笑んでくれて、私はほっとした。
もう少し間を置いた方がよかったのかもしれないけれど、意識しすぎてもおかしいので、私は遠慮なくこう言った。
「私、ね」
「はい」
「8月のこと、あいつからだいたい聞いたよ」
「・・・そう、ですか」
タマキちゃんはどこか深刻そうな表情になってしまった。
「そんな顔しなくていいのに」
「でも」
「後悔してるのかと思っちゃうよ」
タマキちゃんははっとしたように見えた。
「私たち3人が、3人とも、自分に素直だっただけだよ」
タマキちゃんは黙ってうつむいてしまった。
「気にすることはないよ、タマキちゃん。私は、自然な流れだと思ってる。もし私がタマキちゃんの立場だったら、やっぱり同じようにしていただろうし」
「幸美先輩・・・」
タマキちゃんは顔を上げて、まっすぐ私を見てくれた。
そこに後悔の色は見えなかった。
「私がタマキちゃんにお願いしたことでもあるしね」
あいつ、タマキちゃんがそばにいてくれて、とても嬉しかったんだと思うよ。
私は素直な気持ちでそう言った。
ときどきすごくさみしがり屋のあいつの気持ちを確かめもせず、私は独断で海外公演を選んだのだ。
それも、タマキちゃんを当てにしてのことだ。
責められることがあるとすれば、私の方だと思った。




