08 10月8日 “Black Coffee”
バイトを終えたキミは、20時過ぎにボクの部屋へやってきた。
「なんか今週全然来てなかったから、ものすごく久しぶりな気がするなあ」
「言われてみればそうだな」
ボクの部屋のカオスぶりを見ても、キミがここにいなかったのは明白だった。
「……1週間経ってないのに」
「のに?」
「この散らかりようは何かしら?」
「ゼミ発表のシナリオづくりでたいへんだったんだ」
「また懲りずに言い訳してるでしょ」
「はい、おっしゃるとおりです。ごめんなさい」
そもそも、ゼミ発表の準備だからと言って、部屋が散らかるいわれは何もない。
キミがいくら片付けてくれても、ついつい散らかしてしまうボクだった。
主に教科書及びノートの類とCDが乱雑になっており、キッチンに洗い物がたまっていたり、洗濯機の横に洗うべき衣類が放置されたり、という3本柱が、常にしっかり課題を作ってくれていると言うべきか。
今ぐらいの状態では、ボクにとって散らかっているという認識には至らない程度であっても、キミにとってはいつも我慢しがたい領域に入っているのだった。
ボクが自分で片付けたとしても、キミの片付けぶりには手も足も出ない。
キミとボクの物差しはずいぶん違うのかもしれない。
「そろそろCDの山はなくしてほしいなあ」
「はい。そうですね」
「何度も言ってるけど、CDの山に私は手を出さないんだからね」
「心得ております」
キミはひとつため息をついた。
「あなたが闇のオーラを出していた理由が、なんとなく分かってきた」
「だからボクはそんなの出してないってば」
「この散らかしぶりは闇に支配されているのよ」
キミは真顔でそう言った。
「闇の中にすべてを取り込んで、見えなくしてごまかしたの」
そうでしょ?
キミは首を傾げてボクの目をのぞいた。
「できるものならそうしてみたいかも」
「何とぼけたこと言ってんの。反省が足りないわ」
「すみません」
この件についてはキミに従うしかない。
とりあえずボクはCDの山のひとつに手を伸ばした。
ひと山ぐらいなら、割とすぐに片付く、はず?
よく考えたら、出しっぱなしなのはラックに場所がなくなったからだった。
「片付かないものがどうなるか、答えはただひとつよ」
キミは言った。
ボクはその答えを言ってみた。
「処分」
「ですよね」
「捨てるか、売るか」
「売る方がよさそうだけど」
ボクは国内盤よりも安価で入手できる輸入盤をこれまでにたくさん買ってきた。
中古で売る場合、普通の輸入盤はかなり叩かれた金額にしかならないものなのだ。
はした金にしかならないのだったら売らなくてもいいのでは。
ボクはそう考えていた。
「きちんと片付くなら、それでいいのよ」
他に残された手段と言えば、今の部屋よりも広い部屋への転居ぐらいだった。
遊ばなくなったおもちゃを捨てられてしまうお子様は、今のボクのような気分だろう。
キミの部屋に、そう考えてみたこともある。
ボクが提案をする前にキミは何かを察知したらしく、先にこう言った。
「あなたのことだから、そこの山を全部、私の部屋に置こうとか考えてるんでしょう?」
すっかり読まれているのは何故だろうか?
ボクはもうひとつの案を思いついて、試しにキミに話してみようかと考えた。
「タマキちゃんに、なんて、思ってないよね?」
ボクが名案を思いつくにはもっと熟慮が必要らしいと分かった。
もう率直にお願いするしかない。
「もっと猶予を、時間の猶予をくだされ」
「どこの田舎のおっさんなのよ、その口ぶりは」
「北関東あたりの……」
「片付けなさい」
「はい」
*
いちおうひと山分は片付いた。
この前90分テープに録音していった曲が収録されているCDが、ひととおり元の場所に戻った。
しかし。
ラックのこととはいえ、無理をするのはよくないのである。
抜かれていた状態でちょうどいい感じだったので、戻してみるとあちこちきつきつになってしまった。
プラケースが割れそうな感じだ。
分かっていたことだけれども、山をひとつ片付けるだけでけっこう消耗してしまった。
ボクはベッドに腰かけてひと息入れた。
コーヒーでも飲もう、と思っていたら、キミがドリップし始めたところだった。
いい香りがキッチンの方から漂ってきた。
「すみません」
「何かしら」
「そのコーヒーにボクの分はありますでしょうか?」
「そうね。CDの山ひとつにつきひとくち分くらいかな」
「それじゃ厳しすぎると思います」
「あら、そう?」
「あんまり厳しくすると、伸びるべき才能が伸びなくなるかも……」
「はいはい、つまらないことを言ってないで。これでも飲んでなさい」
キミはボクのカップにサーバーから普通に注いでくれた。
「その1杯は、ひとくち分を除いて貸しにしておくわ」
厳しい裁定だった。
「ところで」
「ん?」
ボクはカップから借りではないひとくち分を飲んだところだった。
「タマキちゃん、大丈夫かな?」
キミはだいぶ心配そうな顔をしていた。
「昨日の電話であなたから聞いた様子だと、大丈夫じゃない気がするのよね」
「なるほど。そうかもしれない」
「私、ちょっと行ってこようかな」
「どちらまで?」
「タマキちゃんの部屋」
話しておきたいこともあるし。
キミは言った。
「電話借りるね」
キミはそう言うと、何も見ないでタマキの番号(に違いない)を押した。
暗記しているとはたいしたものだと思った。
ボクはいまだに暗記できずにいた。
「あ、タマキちゃん。こんばんは。今、電話してても平気?」
きちんとつながっているのだから、キミはタマキの番号を暗記していることが実証された。
「うん、今は部屋を散らかし放題の人のところ」
タマキと話していても、ボクへの口撃に手を抜かないのは立派だ。
「明日なんだけど、タマキちゃんに会いに行ってもいいかな?」
タマキは「いいとも」と言うのだろうか。
「うん、そうだよ。うん。うん。私ひとりだけ」
タマキとの会話はテンポよく進んでいるようだった。
「ヘンな人は連れていかないよ」
キミはちらっとボクをみた。
視線が尖っている気がした。
「それじゃあ、また明日ね。うん。ありがとう。お休み」
通話終了。
「ということで、明日行ってくるね」
「了解」
「あなたはダメだからね」
「なんかボクがダメなヤツだというように聞こえるのですが……」
「そういう意味じゃないけど、それでも間違ってないよね」
「ひどい言われようをされているなあ」
「あなたは、ゼミで発表する準備がたいへんで忙しいのよね、部屋が片付けられないほど」
何も言い返せない。
「タマキちゃんとふたりだけで話したいこと、いくつかあるから」
キミのこのひとことは、さっきまでの軽い口調から一転して重みのある言い方だった。
「お昼の前に、出かけるね」
キミはタマキと昼食をとることにしたらしい。
「了解。こちらはこちらで、適当に」
「カップラーメンじゃないでしょうね」
どうして分かるのだろうか。
「せめてお弁当屋さんに行くとか、スーパーでお総菜を買ってくるとか」
栄養のことを考えないとダメよ。
定期的にキミに言われることのひとつだった。
「私は、もしかしたら泊まってくるかもしれないから」
キミはここでひと息ついた。
「そのときは連絡するね」
キミのひとことに対して、ボクはまたこのひとことを返した。
「了解」




