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行方(ゆくえ)  作者: ソラヒト
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06 10月5日 “How About You” (その2)


「話を土井のことに戻すぞ」

「好きにしろよ」

「だからな、土井は佐野と大川のふたりとうまくやってんじゃねえのかと思うわけだ」

「なんでそう思うんだ?」


 ボクは参考までに田中の意見を聞いておこうと思った。


「つまりだな、オレは土井が佐野と仲むつまじく学食にいるところとか、一緒に帰るところとか、目撃してるわけだ」

「ほう。それで?」

「この間のように、大川と土井がいっつも仲よくしてんのもだな、数え切れんくらい見てるわけだ」


 確かにボクはキミともタマキとも仲よくしていた。

 別に隠しているのではないから、田中に見られることもあっただろう。

 それにしても、数え切れないとはおおげさだ。


「特に大川だな」

「タマキが? なんでさ?」

「ほら。それだ」

「どれだよ?」

「今みたいにだ、土井は大川のことを『タマキ』と、名前で呼んでるよな、苗字じゃなくて」

「ああ。それがどうかしたか?」

「大川を『タマキ』と呼んでんのはな、オレが知っている限りでは、世界中で土井だけだ」

「え! そうなのか?」

「やっぱ、気がついてなかったか」


 ニヤリと田中はほくそ笑んだ。


「土井はゼミの行事にちっとも出てこんから知らんのだろうが、オレを含めて土井以外のヤツらは、普通に『大川』と呼んでるんだぞ」

「嘘だね」


 ボクは田中に鎌をかけてみた。


「ボクを騙そうとしているな?」

「このオレがそんな面倒なことするわけがなかろう。疑うなら、うちのゼミのヤツらに訊いてみろ。広瀬だってこのことは認めるはずだ」


 広瀬が認める。

 ということは、信憑性が高い。

 ボクはそう感じた。

 田中は嘘がヘタだし。

 それにしても、ボクにはかなり衝撃的な話だ。

 だって、タマキに自己紹介されたとき、ボクは『タマキです。よろしくお願いします』と言われたのだ。

 そのすぐあとで、フル・ネームは「大川環おおかわたまき」だと聞いた。

 けれども、初めに「タマキ」と自己紹介されたので、ボクはそれ以降現在に至るまで、苗字ではなく「タマキ」と普通に呼んでいるのだ。

 ボクはタマキがゼミのみんなに、ボクにしたような自己紹介をすませているものと思っていた。


「オレの考えでは、というより、一般的に考えてみるとだな、ファースト・ネームで呼べるのは、深い仲になった者だけじゃねえかと思うんだよ」

「なんだそれ。へんてこな考え方を一般化するのはよしてくれよな」

「土井はそう思わんのか?」

「ボクはけっこう前から小野さんを『恵子ちゃん』と呼んでいるのですが」

「それは例外だ」

「例外かよ」

「オレが『恵子』と呼んでるから、土井も合わせてくれたんだろうが」


 まあ、そのとおりだった。


「まだ疑問が残っていてだな」


 田中はちょっとだけがっかりした様子を見せた。


「この際だから全部聞いてやる。言ってみろよ」

「オレはまだ、土井と佐野がどんなふうにお互いを呼んで、どんな話をしているのか、まったく分からんのだ」

「おやおや、それは残念。片手落ちだったな、田中」


 でも田中のセリフから、ボクはキミとは名前を呼び合ったことがないことに気がついた。

 ボクが「キミ」と呼んでいるのは、「You」の意味と、キミの名前である「幸美ゆきみ」をかけているのだけれども……。

 このことはキミにも言ってなかったと、さらに気がついた。


「イカン。約束の10分前になっちまった」

「確実に恵子ちゃんは第1学習室に来てるな」


 ボクは断言した。

 恵子ちゃんはきっちりした人だと思っているからだ。


「オレも恵子は既に来ていると思う」


 田中は小声でそう言ったあと、悔しそうにこう言った。


「せっかくいいところまで話が進んだのだがな……」

「いいところ、なのか?」

「クソ、仕方ねえ」


 田中は立ち上がった。


「今日のところはオレの負けだ」

「何を勝負してるんだよ?」


 田中は例の青いバッグを持つと出入口の方へ歩き出した。


「次は負けんからな、土井」


 そう言うと、田中はいつものように右手を軽く挙げてから、どこかにこやかに第2学習室をあとにした。

 これでようやくボクはレジュメ作成に戻れる。

 しかし。

 タマキのことが非常に気になってしまった。

 ゼミの連中のうちボクだけだったのか、「タマキ」と呼ぶのは。

 だからと言って、今更「大川」と呼ぶのもおかしな話だ。

 ボクはタマキに確認しようと思った。

 どうして「タマキです」と自己紹介してくれたのか。

 それも初対面で。


      *


 田中がここからいなくなって清々した。

 けれど、タマキのことを考えているうちに、ボクのやる気はすっかりどこかに消えてしまった。

 このまま学習室で粘ったところで、非効率に違いない。

 ボクは店をたたんで帰ることにした。

 階段を下りて、こっそり第1学習室を覗くと、窓際の席に座っている恵子ちゃんと田中のうしろ姿が見えた。

 田中は恵子ちゃんの右側にいた。

 右側が好きなやつだなとボクは思った。

 何事だろうか、田中は恵子ちゃんに説明をしているようだった。

 とても真剣に。

 アロハが似合うほど熱く。

 ボクにはそう見えた。

 恵子ちゃんにとって、田中はあれでもいちばん頼れる彼氏なのかもしれない。

 ボクは野暮なことはせず、このまま正門を出ることにした。


      *


 21時30分頃、電話が鳴り出した。

 コール3回で留守電が動いた。


── そこにいるなら、出てほしいな。


 電話の相手はキミだった。

 ボクはキミの指示に従った。

 別々に過ごすときでも、眠る前に電話をしよう。

 キミとボクはそうすることに決めていた。

 印哲の友人宅では2泊、と言っても違う友人の部屋で1泊ずつするとのことだったから、今晩は自分の部屋からだろうか。


「はい、お待たせしました」

── 遅い。

「すみません」

── 自分の部屋に帰ってきたところなの。


 ボクの予想どおりだと分かった。


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