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今日、言い争いになった理由なんて目新しい事じゃなかった。
ただ、しいて言うならば、しばらく本格的な狩りをしていなかった事にサズは苛々していた。
重ねて、時期的に発情期が近いせいもあるだろう。つがいが居れば発散させられるモノを、つがいを失ったサズは溜め込まなければならない。つがいを得ていない独身同士よろしくして発散させる者もいるが、気分が乗らなかった。
だからこそ、この時期は狩りに勤しみたくなる。食料を採る目的ではない狩りを、だ。
ただただ獲物を狩って。己の気が済むまで没頭し、明け暮れたい。
昔は簡単に出来たそれが、今はできない。
理由は簡単だ。
小さなエルを置いていくわけにはいかないからだ。
最近、日帰り行う狩りに、エルがついてくるようになった。とはいえ、本当にただついてくるだけで、サズの狩りに混ざる事はしない。
ゲイルの教育のたまものである。
ただ、
「飛ぶのが早い」
「置いてくなっ」
そんな事をぶつぶつ言いながらついてくる。
それに子供同伴での狩りとなると、どうしても獲物を制限させられる。サズが狩りをしている間、エルが気配を殺して身を潜めていても、だ。万が一という事があるから、そこそこの大物や数が多い獲物は狙えなかった。
それでも普段は我慢した。
だが、大きな狩りをもう何度見送っただろうか。時期によって活動が活発になる獣は違う。この時期にしか狩れない、という獣も少なくない。それが苦戦を強いられるような大物なら、挑戦したいと思うのが竜人の性だった。
竜人は理知だが、闘争心もそれなりにある。
命のやり取りをするような狩りにサズは飢えていたのである。
オレが居なくてもゲイルが面倒見るだろ。
あいつの方がよっぽど保護者らしいし。
そう考えて身支度を整えたサズを見て、エルが顔を険しくして問う。少し太く、長くなっただろうシッポが乱暴に揺れた。
「一ヶ月ぐらい狩りに行ってくる。ぜってーついてくんなよ? 邪魔だかんな」
このサズの一言で、過去に類を見ない程の激しい舌戦が開始された。
売り言葉に買い言葉。それが何度も何度も繰り返された。お互いの言葉が、ただただ相手を煽る。感情を、どこまでも逆なでする。
終いには舌戦だけでは済まず軽く乱闘にもなった。
力技となればエルがサズに勝てるはずがない。
牙をむくエルをサズはねじ伏せて、
――――その結末が、別離。
「もうサズの傍になんかいてやるもんかっ!!」
「はあ!? んなもん頼んでねーっつうの!! むしろ、つがいに義理立ててオレがお前の傍に居てやったんだ、感謝しろ!」
それが最後の売り言葉に買い言葉。
最後の最後に、エルは言いかけた言葉を飲み込んで、窓ガラスをかち割って飛び出していった。四つん這いで歩くエルはドアを開けるのが苦手だった。普段はシッポで苦労しながら開けているが、その姿をサズにさらす事が嫌だったのだろう。そしてそれは本人が意図したかどうかは別として見事な嫌がらせだった。
ガラスの砕ける音に、床に散る破片に、
「クソガキ!!!」
八つ当たるようにしてサズが吠えた。
「お前さ、なんでそんなにバカなんだよ?」
全身全霊で放たれた氷晶を、サズもまた全力で受け止めた。力量的にはサズの方がゲイルより上だが、怒りに任せて放たれた氷晶は通常より攻撃力が増していたらしく、かなりきわどかった。それでも大きな怪我はしなかったが。
一気に力を使ったせいか、身体は僅かに徒労感を感じるが、同時にすっきりとした爽快感も感じられる。
狩りで発散する予定だったものをこの場で発散する事が出来たからに違いなかった。
「バカとはなんだ。バカとは。大体、あいつがいつまでも成長しないのが悪いんだろうが」
「そこがバカだって言ってるんだよ! どう見ても大人になってるじゃないか」
「どこが」
「どこがって全部だろっ!? なんでわかんないのっ!?」
化け物を見るような、それでいて救いようもないバカを見るような視線をゲイルから真正面に向けられたが、サズには分からなかった。
「ってか、暴言も問題だけど、馬乗りしたってひどいだろうが!」
サズとエルとでの喧嘩の最中、ついていくか留守番するかという部分ではなく、エルが大人であるか子供であるかで議論が分かれた。
勿論、大人であると主張したのはエルで、子供だと主張したのはサズ。
主張をてっとり早くねじ伏せる為に、サズはエルの背に馬乗った。
首根っこやしっぽをつかまれてつり上げられる、という経験はあったエルだが、馬乗られた事は初めてで油断した。
大人だ、と主張するエルの身体は、意表を突かれた事もあるが、筋肉の発達したサズの重さに耐えきれなかった。1秒と堪えることなく崩れ落ちたのはサズにとっては愉快、エルにとっては屈辱だったに違いない。
「だから、エル大人になってるじゃん! なんでそこで疑問もたないの?」
「どこに疑問を持つような事があるってんだ」
バカだ。正真正銘の…。
そう続いたゲイルの呟きがしっかり聞こえたサズだが、言い返して「疑問を持つべきところを言い当ててみろ」と言われると嫌なので黙っていた。
どこに疑問を抱くべき部分があったのか、サズにはさっぱりわからない。
「お前さぁ、エルがここに来た頃他の竜人に何て言われたのか本当に覚えてないのか?」
……………………………………………?
「………踏みつぶされそうって言われたのは?」
「ああ。それは勿論覚えてる」
「あそ。じゃあ、その後に「そうなったら最後だな。こんなちっさいの竜人が踏んだらそんだけで終わりだ」」
確かにそんなような事を言われた記憶があったサズは、素直に頷いた。
「あん時は確かにそう思ったが、死ななかったな。案外丈夫だった」
踏んではいないが、馬乗った。エルは立っていられなくなりはしたが、骨折も臓物が潰れたり飛び出したりすることも無かった。
黒ヒョウというのは案外丈夫なものだと認識を改めさせられたサズである。
「バカ! エルが大人になってるから潰れなかったんだよ。そもそもだ、記憶引っ張り出して考えてみろ! ここに来た頃のエルに! そもそもお前が馬乗りできるだけの大きさの身体は無かっただろうが!!」
…………………………………。
…………………………………………………………………………。
……………………………………………………………………………………………………………そう言えば、
「無かったかもしれねぇ」
「しれねぇじゃない。正真正銘無かったんだよ! お前が一番エルの傍に居たのに、なんでここまでエルに疑問を持たないのかが不思議だよ」
怒る事が珍しいゲイルの表情から徐々に怒りが抜け落ちる。代わりに疲労が表情に滲んでいった。声も、「死んで来いっ!!!!」と怒鳴った時よりも力が無くなっていた。
「十年」
「ん?」
「踏みつければ即死しそうな小さい身体でエルがここに居た時間が十年だ。その後一日で今の、お前が乗っても潰れない位に大きくなった。お前の狩りの仕方が下手くそな所為でエルが怪我して、それが治った直後に、だ」
「…………そうだったか?」
叱った後に僅かながら大きくなったという記憶は確かに残っていた。だが、具体的にどのくらいの期間で育ったのかまでの意識は持っていなかった。時間の流れについて意識が緩慢になるのは長寿の竜人にはありがちな事である。
「頼むから気付いてくれ、俺、エルが幸せになったらつがいを探しに行こうって思ってるから」
「何だ、その妙な義理立ては? そんなの気にせずさっさと探しに行けよ。異種だといつ生まれて死んでもおかしくねぇんだからよ」
「義理立てのつもりはないけどお前が朴念仁だからだよ……だから」
ぎっ、と向けられたゲイルの眼差しには、先ほど絶えたはずの殺気が満ち満ちていて、
「死ぬ気でエルを連れ戻してこいっ!!」
武力行使で、我が家から追い出されてしまった。
意味不明の激励付きで。
1話目に戻ったという感じで…。