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そうだとは思っていたが…とサズが睨んでいた通りに、エルが竜人の国に慣れるのは早かった。
竜人の方は『つがいが異種である場合』で抵抗が無いのか、「小さすぎて踏みつぶしそうだ」という感想を述べた以外、エルについて特に思う者は殆どいなかった。
唯一の例外はゲイルである。
サズがつがいは見つけたが、既に死んでしまっていた事を告げた時、ゲイルは何も言わなかった。
代わりに反応を見せたのは、エルがつがいの忘れ形見だと伝えてからだ。
言葉通りの同居人であるサズと違い、保護者と呼べるのではないかと言う程にゲイルはエルの面倒を見ていた。
エルがゲイルのつがい故の行動なのかと思ったが、それならばエルがサズ宅で生活するのを黙認するはずがない。なんでそんなに世話を焼きたがるのかと冗談交じりに聞けば、ゲイルは至極あっさりと答えた。
曰く、同じ独身男でも、お前は優しさが足りなさすぎる、という理由である。
まだ親を恋しがる頃だろうと、優しい口調でゲイルがサズを咎めたのは、家での生活が退屈になって久しぶりに狩りに行こうと外出した出先での事だった。
ご丁寧に小言だけでなく家で留守番しているはずのエルを連れてきていて、エルが飛びつき、喉元に噛みついてきた時には自分が狩られるかもとちょっと本気で思ったサズである。
生肉ばかりを食事として与えていたのを咎められもした。エルは生肉が苦手なのか、全く食べていなかったからだ。食事を別にしているからそんな事も分からないんだよと言われ、エルと一緒に食べるようになった。肉や魚はダメで、主食は野菜や果物。はちみつが好きらしい事を知ったのは、エルと一緒に食事を摂るようになって更に後の事だ。エルがいるのだから――と、サズにやんわりと狩りに行くことを控えるように告げたゲイルが、狩りの土産にと採ってきた果物と共に小瓶に入れたはちみつをエルに渡した時に初めて知った。毛皮がはちみつでべたべたになるのも気にならずに食べていたので、はちみつが大好物というのも本当だろう。
人型の竜人の生活というものは、基本的に人間のスタイルに近い。
そのため、エルに狩りを教えようと決めた時には、竜体の姿で教えた。が、大型の竜体の狩りは、小さな黒ヒョウには何の勉強にもならなかった。むしろ逃げようとする獲物に巻き込まれて怪我を負ったほどである。「小さすぎる」と愚痴ったサズにエルは「ぼくをバカにするなっ!!」と反発して、いつものようにケンカになった。
それからしばらくしてエルの身体も成長したようだったが、竜体のサズに比べれば大して大きくなった気がしなかった。
「何言ってるの、充分大人だよ」
エルについてサズが愚痴をこぼす相手はゲイルである。
犬猿の仲、という言葉の模範例のごとく口論が絶えないサズとエルに比べると、ゲイルとエルとの関係は穏やかだった。
教養も大切だ、とサズが関与しない『教育』をエルに施しているゲイルが、何を思ってそんな事までエルに気にかけているのかがサズにはいまいちよくわからない。
ただ、教育と言っても特別難しい事を教えているわけでないのは確かだった。
竜人についての説明も、確かにエルが大人になってここを出ていくまではあって不都合が無い知識ではある。
エルが一匹で出歩く事もあるから、確かに必要だった。知らずつがいを持つ竜人の異性に近づいて、万が一にも話しかけようものならエルの命など一瞬でかき消される。
が、その話から、他にも世界には珍しい生き物がたくさんいて、とゲイルが談義を始めるのかはサズには理解できない。
ユニコーンやペガサス、ヴァンパイアにクラーケン、グリフォン、ケンタウロス、ワーウルフ、マーメイド、ドワーフにトロル、ニンフ、姿を自由に変えることのできる妖精というのに至っては、名前すら出てこない不十分な説明であった。
どうやらゲイルはこういう話が好きだったらしいと、意外な一面を知ることになったサズだった。熱く語るゲイルに対してエルは興味が湧かないのか、胡乱げな表情を浮かべてばかりいたが。
そんなわけで、おそらくエルの事を最も理解しているのはゲイルである。愚痴るのにこれほど最適な相手はいない。
エルの面倒を見るようになってから、むしろ付き合いは増えた。と言うより、つがいを探しまわっていたサズが家に定住するようになったのが交流の増えた最もな理由だった。
ゲイルが独身なのにつがいを探し回らないのも理由でもある。
片親が人間(勿論今は眷属化しているが)のゲイルは価値観が人間側に寄っているせいなのか、つがいを得ることに強い関心が薄い。率先して探し回る気が当人には無いらしく、サズが理由を問えば「縁だよ。縁」と言うばかりだった。
同種なら多少のんびり構えていても問題はないが、異種だったらどうするつもりなのかと言ってもゲイルが焦る様子もない。
長寿な竜人と違って他の種族の寿命は大抵短く、100と生きられないものが殆どだ。ゲイル自身人間の血を半分(眷属になった人間の血になるので厳密には半分ではない)引いているのだから、異種族婚の大変さは分かっているはずなのだが、とサズにはゲイルの考えが分からない。異種の場合、つがいを無事に見つけただけでもかなり幸運なのだ。
つがいを見つけられず寿命を終えた竜人は、証拠はないものの皆他種がつがいだったと考えられている。見つけられぬ内に相手の生が終わってしまったのだろう、と。
「エルが幸せになったら、オレも本腰入れて探す事にするよ」
ゲイルはつがいを探すより育児の方が楽しいとでも思っているのか、将来後悔する事になるかもしれねぇぞ、とサズが脅しかけても聞きやしなかった。
エルの世話を焼く事が面倒事だという認識はゲイルにはないらしく、むしろエルの方が面倒臭そうに世話を焼かれている…。
そんなやり取りをする姿が親子に見えるようになった頃、食事を用意するだけの自分の方が余程他人だと客観的に己を見て気付いたサズだった。