第四章 思いと現実の中で (6)
美佐子と三咲という女性がいながら石原美奈に心が惹かれる優一。優一との心の距離が心配になり三咲はついに一人で優一の家に行きます。
優一は、自分自身の気持ちの中でなぜか石原美奈のことが大きくなっていった。三咲とも美佐子とも違う美奈に惹かれていく自分に気づいていた。
“もう少しいいかな”妹の言葉にある程度納得しながら、そして母の言葉を理解しながら決断出来ない自分自身を“もう少し時間に任せよう”と思っていた。
理由は簡単だった。自分自身がはっきり選択できるものが何もない、ということが今のままにしている理由だ。ただそれはいずれ大きな“つけ”としてやってくる。
「ただいま」
可愛い息子の言葉にリビングから出てきた母のカリンは、
「美佐子さんからお電話がありました」
少しだけ嬉しそうな顔をしている母を見ながら
「何か言っていました」
「いえ、何も。“まだ帰っていません”と言ったら、“それでは結構です”と言って切られましたが」
「そうですか」
自分の部屋に行きながら、“なんだろう”と思いながらスマホを見ると三咲と美佐子の名前が映っていた。携帯をマナーモードにしていたので気付かなかったのだと思った。
美奈と会った後で、連絡を取る気持ちがないままに、スマホの下についている時間を見ると結構な時間だったので“まあ、明日にしよう”と思うと、そのまま風呂に入って寝てしまった。
いつもなら必ず返事をするはずが、二人からの同時の電話は、少し心に重さを感じていた。二人に連絡しないままに次の日を過ごすと二日目の金曜日に、また二人から連絡があった。
「優一、三咲。明日、会いたい。優一がいつも聞くから言うけど理由ない、会いたいからいいでしょう」
「優一、どうしたの、連絡したのに。すぐに連絡貰えると思ったから待っていたのに」
優一には、少し心に重さを感じていた。“自分が悪いのは分かっている。でも・・”少し自分自身で心を整理したかった。三咲の事、美佐子の事、そして美奈。誰が悪いわけでもない。ただ、自分の心が整理できなかった。
二人には、その時は返事せずに、後で体調が悪いとメールで返信した。会社に行っても家に帰っても何も思い浮かばなかった。ただ判断できずにいた。
いきなりだった。次の週の木曜日。三咲が家に来た。母には、先に連絡があったようだ。優一は、仕事をいつもの時間に切り上げると、そのまま家に帰る気にならず、渋谷の最近知った店で、一時間ほど好きなバーボンを飲むと家に帰った。
それでも七時なので、特に問題ないと思った優一は、表門を入り玄関に入ると、見たことのある靴が脱がれていた。
“えっ”と思いながら玄関を上がろうとすると
「優一、お客様です。三咲さんがいらしています。もう応接で一時間も待たれています」
いつもとは違う目で“はっきりしないからこうなるんです”という目で見ると
「わかりましたか」
と言って、もう一度厳しい目で見た。
着替えもしないまま、応接に行くと三咲が不安な顔をしたまま、おびえるようにソファに座っていた。優一が入ると
「優一」
と声を出して立つと動かないままに優一の目を見た。その目に何も言えないままに立っていると母親のカリンが紅茶を運んできた。心の落ち着くような香りに
「三咲」
と声をかけると
「優一、ごめんなさい。勝手に来て。でも連絡しても体調悪いとメールくれただけでその後連絡ないから・・」
そう言って目元に涙を溜めながら言葉が途切れると、母親が何も言わずに息子に厳しくそして優しい視線を向けた。“時間は人の心に深く入り込んでくる”その言葉を言うように。
母親が応接を出た後も優一と三咲は何も言えないままに見つめ合っていた。長い時間か短い時間か分からない時間が流れた。
「優一、教えて」
何も言えないままに三咲の瞳を見つめていると
「優一、私を一生守ってくれると約束できる」
あまりにも強烈な一言だった。心の準備のないままに“時間が余裕をくれる”と思っていただけに。何も言えないままに、また時間が過ぎた。
「優一、なぜ答えてくれないの。守れないと言ってくれても私は我慢する。でも何も言われないままに、心の整理が出来ないままに、このままいるのは・・・」
一瞬、黙った後、
「美佐子の事、知った」
目の中にもう止められない涙が溢れていた。そしてやがて洪水のように溢れ出ると
「なんで、なんで、いつも何も言ってくれないの」
そう言って、いきなり優一のそばに来ると優一の胸に顔を思い切り押しつけながら泣いた。優一は何も言えなかった。
三咲が自分の胸に顔を押しつけながら“泣きじゃくる”姿を見ながら、三咲の体を抱擁してあげることもできなかった。やがて泣き声が止まると
「優一、これがあなたの答えなの」
とっても深く、寂しい目をしながら少しずつ体を離すといきなり応接を出て玄関に行った。母親が対応しようと思った時は、三咲はすでに表門の方に駆け出していた。
優一は何も言えないままに立っていると
「優一、あなたの優柔不断さが、あの素敵なお嬢様を追い詰めてしまったのです」
母親は、見たことのない厳しい目で見るときびすを返して自分たちの部屋に戻った。
優一は、体が動かなかった。初めて三咲が家に来た時、何も考えないままに三咲を追いかけ、そして駒沢の病院での出来事も全て、流れの中で自分の運命と思って三咲を受け入れた。
そして美佐子の事が心の中に大きくなってからも三咲の“言葉に表せない可愛さ”にずっとそのままでいた。同僚であり親友と呼べる平岡からも“早くどちらかにした方が、二人のためだ”と言われながら何もしない自分。
花音から大切なアドバイスを受けながら優柔不断なままに流していた、そのいままでの“つけ”が大きくのしかかった。
優一は動けないままにずっと応接のソファに座っていた。体にまるで、“全ての責任はお前だ”と言わんばかりに葉月家の調度品が言葉のないプレッシャーを優一にかけていた。“どうしたらいいんだ”何も答えを出せないままに優一は玄関に向かった。
会社から帰って来て着替えもしていない。靴をもう一度履くとそのまま表玄関に歩いて行った。何を考えている訳でもなかった。ただ“ほんの、本当にほんの少し”の期待のままに表門に歩いて行った。そして、表門を開けることをためらって、御用口を抜けるとうずくまっている人がいた。
誰なのかは、分かっている。ただ声を掛けられないままにそばに一緒にうずくまると
「優一のばか。ばか。ばか。ばか」
言葉を切ると
「美佐子が好きなら早く言ってくれればよかったのに」
そう言って横に座っている優一にしがみつくと周りに聞こえる位の声で思い切り泣いた。
どれだけ時間がたったのだろう。三咲が泣きやんでも“ずーっ”と自分から離れないままにそばにいた。そして思いっきり優一の目を見ると
「優一、もう私を守ってはくれないの」
涙もなにもなかった。ほんの少し時間をおいて、そして何も言えない優一に顔を近づけて頬に口づけをすると
「ふふっ、優一、これが最後の口づけ」
そう言って立つと
「美佐子を大切にして」
そう言って歩いて行った。
頭の中が真っ白だった。自分の心を何も整理出来ないままに、優一のだらしなさを何も言わないで去って行った三咲。
あまりにも可愛い三咲の顔だけが心に残っている。全ては自分が悪いと思いながら何も言えない自分に、ただどうしようもないストレスだけが残った。
“女性の一人も守れなくて何が男だ”強烈なまでの自虐が心が、そのままに動かずに座っていた。やがて気がつくとずいぶん明るくなっていった。
「優一様」
父の若いころからの秘書でありボディガードを兼ねる北山が声をかけた。北山の部下もそばにいる。記憶が戻りながら
「あっ、北山か」
立ち上がると
「ありがとう」
そう言って勝手口を入り玄関に戻った。すでに父の優が出かける時間だった。父は息子に一瞥すると
「優一、決断しないといけない時がある」
そう言うと玄関を出た。母親が後ろについて表門まで歩いている。後姿を見ながら、言葉が何も浮かばない自分自身が放心状態だった。
今も美佐子とは、三咲との一件があった後も何事もないように会っている。ただ二人の間には触れてはいけない約束のような思いが残っていた。
優一は、三咲がなぜ美佐子の事を知ったのか分からない。でも今となってはそんなことはどうでもよかった。
でも美佐子ははっきりと聞きたかった。“三咲が自ら引いたのではなく、優一が自分を選んだのだと”ただそんなことを言う人ではないことを知っていたので何も言わずいた。
だが、その一件以来、優一の心が前ほどに明るく接していないことを何となく感じていた。
「優一、今度、ドライブに連れって」
「えっ」
いきなりの言葉に驚いた顔をすると
「ダメなの」
そう言って少し寂しそうな顔をした。すでに優一の家の事も優一が好きな車も知っている。三咲の件があって以来、以前は三週間に一度だったデートも毎週になった。そして一カ月に一度は優一の腕の中にいる。
美佐子は、自分が言った“私に責任とれます”という言葉に頷いた優一を信じていた。“いずれは、あの厳しいお母様と一緒に暮らす日がくるのだろうと”思っていた。
二人が大学で知り合ってから七年、もうすぐ二六になろうとしていた。いずれは優一が自分にプロポーズしてくれるだろうと信じていた。
しかし優一は、美佐子に黙っていることがある。これだけは、三咲と美佐子の関係ではない。優一自身が守りたい事だった。理屈なんて関係ない。
「優一、答えなさい」
三咲とは違い、自分の意見をはっきり言いながら、一歩下がる美佐子の言葉はとても気持ちよかった。
母親のカリンもそんな美佐子のしぐさを相当に気に入っているらしく家に遊びに来させては、優一を無視して、お茶屋や生け花の習いを一緒にさせた。
美佐子は、最初は、色々思ったが、“自分もいずれは”と思うと、何気なく優一の母親のそれに合わせていった。
「ああ、いいけど。いつ」
「それは、優一が決めて」
そう言ってうれしそうな顔をして自分の腕の中で話す美佐子に頬笑みながら
「美佐子の思うままだよ」
と言うと自分の胸をつついて、
「ここと一緒にいたい」
そう言って、優一の胸に顔をうずめた。
「葉月君」
美奈は周りを見て、同じ会社の人がいないことを確かめると
「今日、いい」
甘えるような声を出しながら優一の目を見ると
「いいよ。じゃあ、いつものところで」
「うん」
そう言うと、昼休み時間が終わることを気にしながらビルの玄関に歩いて行った。もう随分前になるが、渋谷の公園通りでの一件以来、二人は急速に近づいた。
まだ、体を合わせることはなかったがデートをした時は必ず口づけをした。胸やお尻を触るほどにはなっていたが、それ以上は美奈が許さなかった。
会社員が帰りに入るような少し小奇麗なお店で食事をしながら美奈は、
「葉月君、私、部署移動になりそう」
「えっ」
「もう、他に言葉ないの。例えば、どこに移動するのとか」
「いや、いきなりだったので」
「まあ、いいわ。驚かないで。葉月君のところ」
「えーっ」
一瞬だけ理解できないでいると
「いわゆる、キャリアローテーションってやつ。なるべく現部とは違ったところに移動させ経験を積ませようというのが目的らしい。まあ、確かにこの春で会社四年目となるとローテーション必要とは思うけど」
うれしいけど困ったという顔をすると
「どうする、優一」
「どうすると言われても」
「同じ部になったらどうしても葉月君を意識してしまう。いずれみんなに葉月君とのことがばれる。私はいいけど、葉月君まずいでしょう」
美奈には、まだ、家の事は詳しくは教えてなかった。もちろん、家に呼んだこともない。ただ、優一の態度からして何か理由があるのだろうと思っていた。それを強引に聞くほど、美奈は愚かではなかった。
「うーん、そんなことないけど、そんなことある」
「どっちなの」
優一の返事に笑いを浮かべながら言う美奈は、手に持った徳利のお酒を優一のグラスに注ぎながら
「ローテーション断れないし」
優一は、“少し上に圧力をかければ人事なんかどうにでもなる”と思いながら、そんなことしたら余計まずいことになることは分かっていたので、
「会社移ろうかな。そうすれば美奈と会っても問題ないし」
目を丸くして驚きながら
「それはだめ。葉月君と毎日会えなくなる」
そう言って自分のグラスにもお酒を注いだ。お店を出たのは、まだ九時前だった。会社の帰りに二人で待ち合わせして入ったので、二時間はいたことにはなる。優一は、もう少し二人で居たいと思っていた。
「葉月君、まだ早いね。どうする」
「うん、美奈ともう少しいたい」
優一は、なぜ美奈だけにはこんなに素直に言えるのか分からなかった。一緒に歩きながら、少しずつだが自分の心がどこにあるのか分かるような気がした。ただ、美佐子の事を思うと、あまりにもだらしない自分自身に決断という言葉は、心に添えなかった。
「葉月君、今度、君の家に遊びに行きたい」
“えーっ”、あまりの突然の美奈からの言葉に歩みを止めると“じっ”と顔を見た。優一の態度に
「どうしたの。私、なんかすごいこと言った」
何も言わないで歩いていると
「葉月君、君の家の事情はわかないけど、いやならいいよ」
寂しそうな顔をする美奈が横で一緒に歩いていた。だいぶ寒かった。美奈が優一の左腕を掴んで寄添う様に歩いていると
「美奈、いいよ。迎えに行く。両親の都合も聞きたいのでいつ来てもらうかは、後でいい」「えっ」
美奈は、気楽にただ、優一がどんなところに住んでいるか程度に考えていた。両親に紹介されるなんて考えてもいなかった。
「どうしたの」
優一の言葉に下を向いまま歩みを止めるとゆっくり顔をあげて
「葉月君、いいの」
そう言って優一の顔を“じっ”と見た。優一の両親に会うということはそれなりの覚悟をしていく必要がある。たまたま遊びに行って会うとは違う。
“葉月君が両親に紹介すると言っている”それだけで顔が少しだけ赤くなった。
「うん、でも」
「でもなあに」
「美奈の家知らない。迎えに行くと言ったけど」
「じゃあ、今から送って行って。もちろん電車で」
美奈は、タクシーで家の前まで送られて、両親や近所の人に見られるのが嫌だった。
「いいよ。もちろん」
美奈はその返事に優一の腕に自分の腕をまわして、ほほ笑むと
「行こう」と言った。
優一は、渋谷の駅から田園都市線に乗った。昔母親が、まだ“新玉線”と呼ばれていた時に用賀に住んでいたことを聞くと何となく桜新町という場所に親近感が湧いた。
桜新町で降りて、少し広い通りを五分くらい歩いた後、左に曲がった。そして酒屋の手前右に曲がると美奈が指を指した。
「ここ」
優一は、塀に囲まれた家を見た。美奈は二階の窓を指して
「あそこが私の部屋」
そう言って優一を見た。
「分かった。両親には、なるべく早く言う」
美奈は、周りを見て誰もいないこと確認すると優一の顔に自分の顔を近づけて目を閉じた。
優一は、美奈の唇にちょっとだけ自分の唇を合わせると
「美奈」
そう言って美奈の顔を見ると
「葉月君、ありがとう」
もう一度自分から唇を合わせると家の門を開けた。
三咲の言葉に何も返せないまま動かない優一に「美佐子を大切にして」と言って身を引いた三咲。男としてちょっと許せない感じもあります。そして美佐子という長く付き合った女性がいながら石原美奈に惹かれる優一。どうなっていくのでしょうか。次回から新しい章に入ります。
お楽しみに。




