第四章 思いと現実の中で (4)
前日遅くまで美佐子に会った後、翌日も三咲と会う優一。そんな優一の行動に母親のカリンは、三咲と美佐子のいづれかに早く決めないと、いづれどちらかを深く傷つけることになると指摘する。優一は、そんな自分の優柔不断な心を同僚の平岡に相談するが。
「優一、ねえ優一」
「えっ」
三咲と会って、食事と洋服の買い物を付き合った後、映画を見たいという三咲に付き合って映画館に入った優一は、昨日からの睡眠不足とあまり興味のない映画につい寝てしまった。
「もう他の人も出たよ。帰ろう」
三咲の言葉に周りを見ると館内清掃の人が周りにいた。
「あっ、ごめん。ちょっと寝ちゃった」
「もう、出よう」
「うん」
そう言って、映画館の外に出るともう下りのエレベータを待っている人も少なくなっていた。三咲は優一の顔を見て
「疲れているの」
「いや・・・ちょっと」
優一は、昨日遅くまで美佐子と会っていたことを頭に浮かべると言葉が出なかった。買い物をして四時から映画を見て、丁度六時少し前だった。
三咲は優一と一緒にエレベータで一階に降りると、
「優一、夕飯食べよ」
“えっ、今日はお昼と買い物だけと思っていたところに映画も一緒でもう”と思っていたところだった。三咲の事を思うと今日は帰った方がいい感じもしていたが、
「優一いいでしょう」
と言われると自分自身も断れきれない心の壁が低くなるのを感じた。
“前だったらしっかりと帰ると言えたのに”自分の体に染みついた何かが、“心のたが”を緩くしていた。
結局優一は、昨日に続いて自宅に帰るのが午前二時を過ぎていた。表門のところでタクシーを降りて静かに玄関まで歩きそっと玄関のドアを開け入ると優一は体が止まった。
母親の厳しい視線が自分を見ていた。
「優一、どういうつもりです。いくら社会人になったとはいえ、昨日に続いて今日も・・」
母親は、暗に“自分をもっと律しなさい”と言っていた。
「あなたの優柔不断さが、お二人の心をやがては、つらい気持ちにさせて行くのです。時間が経てばそれだけ、心の中に深く入り込む人の気持ちを・・あなたは切ることができるのですか」
「優一」
自分の名前を呼んだ母親の目は、いつもの優しい爽やかな瞳ではなかった。
“これがお母さんの目”優一は始めてみる母の厳しい人を射抜くように見る視線に動くことができなかった。“祖母や父をも凌駕する強い芯の持ち主”今そのことを初めて体で感じていた。
「優一、お母さんは、どちらのお嬢様でもあなたが一生守り抜く気持ちがある方なら何も言いません」
少しの時間の後、いつもの優しい目に戻り、まだ上がっていない自分が立っている玄関に降り、優一に近づくと優しく抱擁して
「優一、決めなくてはいけない時があります」
カリンは自分がかつて決断したように、その時を思い出すと少しだけきつく息子を腕の中に入れた。
優一は、自分の顔の半分くらいまでしかない母の体から出る何とも言えない優しく甘いにおいと小さいころから感じていた圧倒的に大きな胸に押されながら“自分が判断しなければならない時期なのだ”と感じていた。
「葉月、どうした。葉月」
「えっ」
「えっじゃない。もう一二時を過ぎたぞ。昼行くぞ」
「あっ、はい」
優一は、昨日母から言われた事が頭から離れず、ほとんど眠れないまま一夜を過ごした。
“まだ、二四、されど二四。両親は、お父さんが二七、お母さんが二三の時に結婚したと聞いている”まだ時間はあると思いながら、母親の行った言葉“あなたの優柔不断さが、お二人の心をやがては、つらい気持ちにさせて行くのです”その通りだった。
“このままでは、どちらかを本当につらい思いにさせてしまう。今ならば”そう思いながら判断できないでいた。
会社に出て来たのは良かったが、仕事も手につかず“ぼーっ“としていたところに同僚の平岡から声をかけられた。
平岡は入社同期で会社の飲み会や仲間の飲み会が有るといつも最後まで残って飲んでしまう関係で、いつの間にか自分の素性など話していたが、“そんなことはお前自身の事だ”と言って自分の中身と付き合ってくれる同僚にいつの間にか気を許していた。
「葉月どうした。おかしいぞ。今日出社してから、仕事するでもなく、眠るでもなく全く視線が有っていない。どうしたんだ」
同僚の自分を気にしてくれる言葉に
「平岡、今日仕事の帰り付き合ってくれないか」
優一の目を見た平岡は、何か言いたそうな視線を感じると
「いいけど、給料日前だから安いところでな」
そう言って伸び気味のラーメンに箸を付けた。
「まーったく。どうしたらそんなにもてる事が出来るんだ。俺なんかまだいないというのに」
「平岡は、もてるじゃないか。会社の女の子、みんなお前に視線あるぜ」
「それは、誤解だ。それよりどうするつもりだ。確かにお前の母親の言っていることは正しい。時間が経てば経つほど心の中に入り込んだ気持ちを整理するのは大変だ」
「母は、植村さんを気にいっている。だけど、安西さんも母が認めた人に違いはない」
グラスに漂うバーボンの琥珀色を眺めながら平岡は
「だからだよ。自分で決心しなければいけないんだ。二人が目の前にいて“私たちのどちらを選ぶの”と言われたらどうする」
グラスに入った氷の周りを漂う琥珀色の液体を一気に喉の奥に流し込むと
「できない」
そう言って、目の前にあるジャックダニエルのボトルからたっぷりとグラスに注いだ。
「じゃあ、どうするんだ。もし二人にお前の子供ができたらどうするんだ。その前に決める必要があるんじゃないか」
優一は、注いだバーボンを一気に飲むとそれを見ていた平岡があきれた顔している間に
「三咲を選ぶ」
そう言って視線をまっすぐにした。
「たとえ、家族から何を言われようが、俺が守りたいのは三咲だ」
優一は、自分に思い切り我がままを言ってくれる三咲が好きだった。美佐子がいけないなんて言葉はどこにもない。ただ甘えてくれる三咲が好きだった。
「じゃあ、決まりだ」
そう言って優一と自分のグラスに半分ほどジャックを注ぐと目線まで上げて
「葉月の気持ちに乾杯」
そう言って一気に空けた。優一も付き合って飲み干すとさすがに効いてきた。
「平岡、そろそろ限界だ。帰るぞ」
優一はそう言って、ふらふらしながら外に出るとタクシーを拾って勝手に帰ってしまった。
「まーったく」
酔っぱらってどうしようもなくなった同僚を見ながら平岡は、もう一杯だけ飲むと自分も席を立った。
「優一、助けて・・」
目の前で深い海の底に沈んでいく三咲を目の前にしながら体が全く動かない。手を伸ばしてもまるでスローモーションのように届かない。
「ゆーいちー」
そう言って消えていく三咲に“うわーっ”と叫ぶといきなり目が覚めた。体が汗でビッショリだった。パジャマが濡れていたが、酔いから来る頭の重さと眠たさに“まあいいや”と思うとまた眠りについた。
「うそつき、優一のうそつき。はっきりしてくれるって言ったじゃない。私に責任取れるって言ったじゃない」
寂しそうな目つきで言う美佐子が後向きになって去っていく。そして急にどこかに消えた。体が引き戻される様に、何も分からないまま体が急に宙に浮くと今度は頭がものすごく重く感じた。
「うーっ、くっ」
自分の言葉に意識が戻り始めた。体がものすごく寒かった。目を薄くあけると目の前に母親のカリンと妹の花音がいた。
「優一どうしたんです。昨日帰ってきたと思ったらいきなり二階に上がって、静かになったと思ったら今度は、うなされてばかり。花音が心配になって私のところに声をかけくれたので、来てみたら八度五分の熱。まったく仕方ないわね。今日は休みなさい。もう人事には連絡をしておきました」
「えっ」
重い頭を引きずるように意識を回復させると
「今何時なのですか」
「お兄様、もう一一時を過ぎています。今日は私がそばにいて差し上げます。ゆっくりお休みください」
そう言って母親譲りの優しい視線を優一に向けると
「花音」
その言葉までだった。そしてまた意識を失った。優一は、そのまま次の朝まで眠り続けた。朝を迎えると花音も母もいなかった。
「花音」
そう言うと少ししてドアが開いた。
「お兄様。お目覚めなのですね。具合はいかが」
優しい言葉に
「うん、具合は昨日よりいい。でもまだ体が重い」
「当り前です。昨日、お兄様が気を失われた後、お医者様に来て頂きました。笑っておられましたよ。“お酒の飲みすぎで肝臓が疲れたところに汗をかいた後、下着の交換をしなかったので、風邪をひいたのだろう”と」
優しい目を少しだけいたずらっぽくすると
「お兄様。何かお悩みごとでも」
“ふふふっ”と笑うと
「花音が聞いて差し上げますわ」
そう言ってまた“ふふふっ”と笑った。
「いい、もうあっちに行け」
「あらひどい。昨日お兄様の介護をした優しい妹に“あっちに行け”とは」
どう見てもからかっているようにしか見えない目をしている妹に、事実を突き付けられると
「悪かった。でも一人で考える」
“ふふふっ”と笑うと
「では、私は自分の部屋に戻ります。何か用事がありましたら声をかけてください。お勉強しています」
ベッドのそばにある椅子から立ち上がり自分の部屋に戻ろうとする妹を見ながら“普通なら、相当にもてるだろうに”にと思った。
輝くような髪の毛に爽やかで透き通るような目、スッとした鼻に潤った可愛い唇。母親譲りの決して小さくない胸。そして透き通るような肌が全体を際立たせていた。
優一は夕方になると平熱に戻った。風呂に入り体を綺麗にするとダイニングへ行った。
「優一、そう言えば石原美奈という方から電話が有りました。“具合はいかがですか”って。“どちら様ですか”と聞いたら、“会社の同期です”とお答えになったので、優一も知っているのかと思い、“明日に出社できると思います”と言っておいたわ」
「石原美奈」
つい声を上げしてしまいながらその顔を思い出すと母と花音が目を合わせて“ふふふっ”と笑った。
「お兄様。何人のお嬢様の心を奪えば気が済むのですか」
“冗談ぽく”いう妹に今日だけは何も言えない優一は、苦り切った顔をした。
優一は、翌日会社に出社した。
「おはよう。大丈夫か」
同僚の平岡が少し、口元を緩まして言うと
「おはよう、大丈夫だ。この前は少し調子に乗りすぎた」
「まあ、仕方なかろう」
そう言って平岡が自分のPCに目を向けると優一もPCを立ち上げてメールを見た。ずいぶん溜まっている。
“たった、二日なのに”そう思いながら最新メールから見始めた。見ていない最初から見るとリプライで二重読みになるのを防げるからだ。
その中に発信人が“石原美奈”と書かれたメールが有った。“出社したら連絡ください”と書いてある。
優一は、“今、出社した。休み中に連絡くれたんだって。何か用事が有ったの”と言って返信するとしばらくして返信が有った。
“昼休み一緒に食事しない”
“いいよ”と返信するとすぐに
“じゃあ、一一時四五分に一階の入り口で”と戻ってきた。
優一は、とりあえず溜まっているメールに必要な返信をすると自分のスケジュールを見た。
幸い適当にミーティングが入っている以外、そんなに詰まってはいなかった。休んでちょっと気になっていたが、それを見て“ほっ”とすると、また別の作業にかかった。
美奈は、一階のビルの入り口のフロアの右端に立っていた。優一の顔を見るとほほ笑んだ。優一がそのままビルの入り口を出たのでついて行くように隣に並ぶと
「どこ行きます」
と、優一の方から聞いた。
「葉月君の行くところでいいよ」
“うーん”と思いながら考えていると
「こっちの方向でいいの」
美奈に聞かれたが、優一は考えながら歩いてしまっている。仕方なく信号の反対側に有ったそば屋を見て
「あそこでいい」と聞く
「いいよ」と返ってきた。
注文が出てくるのを待ちながら美奈が
「どうしたの。急に二日も休むなんて」
“えっ、なんで知っているの”と思いながら
「いや、ちょっと飲みすぎたところに汗かいてそのまま寝たら風邪引いて」
“うわーっ、なんでこんなにぺらぺら。なんでこの子には、話してしまうんだ”そう思いながら美奈の顔を見ていると
「ふふっ、なあんだ。よかった。でもそんなに飲んだの。この前はそんな雰囲気なかったのに」
暗に、“この前は、我慢していたの”という目をすると
「体調早く元に戻して」
「えっ」
と言うと、美奈がテーブルの上に目をそらした。ちょっと間が有ったところにちょうど注文したそばを店員が持ってきた。
「野菜てんぷらそばの方は」
優一が“自分です”という仕草をすると、もう一つの方を先に美奈の前に置いた。その後、自分の分が前に置かれるとそのまま店員が、カウンターに戻って行った。
美奈が手を合わせて“頂きます”という仕草をすると“へーっ、こんなことするんだ”と思って見ていると
「葉月君食べよ」と言って優一に視線を戻した。
結局、昼食はそば屋で済ませた後、まだ時間があったので近くのコーヒーショップに入った。
「葉月君、この前は遠慮していたの」
そう言って、優一の目を見ると
「えっ、いや・・初めてだったし・・」
うまく言えずにちょっと視線を外して“答えにくいことを聞くな”と思いながら視線を戻すと
「ねえ、葉月君、今度の土曜日、何か用事入っている」
「入ってないけど」
「じゃあ、会わない。映画見に行かない。見たい映画が有るんだけど、一人じゃちょっと行く気にならなくて」
まじめな顔をして言う美奈の顔を見ながら“それってデートの約束”そう思いながら黙っていると
「そうか、だめか。そうだよね。いきなり誘ってごめんね」
少しだけ寂しそうな顔をして視線を外して窓の外を見た。
“どうしよう。特にだめって訳じゃないけど”、ちょっと気まずい雰囲気になりそうになった。
「あっ、ちょっと考えていたけど、今度の土曜日は、何も入っていない。大丈夫だよ。うん」
寂しそうな顔が急に笑顔になって“ふふっ”と笑うと
「考えている時間長すぎ。まあいいわ。じゃあ、ハチ公前交番に一〇時でいい」
「うん、いいよ」
そう言って笑顔を美奈に見せた。
平岡に相談した時、調子に乗って飲みすぎた優一は風邪を引いてしまいました。唯一それを知ることができた美奈は、優一の体を心配し、電話をかけます。結局、三咲と美佐子が目の前にいない間に美奈とのデートの約束をする優一。なぜか、美奈にだけは心が開いてしまう。そんな優一と美奈の関係が進みます。次回もお楽しみに。




