平和の亀裂 END
「おい! 大丈夫かミリア! おい!」
マオが肩を揺する。かくかくと首が動くが反応がない。
光なく虚ろになったミリアの瞳はこの世の闇を見ているようだった。どこまでも続く闇。アヤトはその瞳をどこかで見たことがあった。命がなくなり、抜け殻になってしまった者の眼だ。
ミリアはその闇の中で、遠い記憶の海を彷徨っていた。
自分の母親と父親の姿。こちらの顔を覗きこむように近づけられる二人の顔。少し曇ったような笑顔。頬にキスをした。ぬくもり。
両親との生活。応用言語の理解。基本的な人間の生活。社会性の学習。美しい物。そうでない物。幸せな時間。
姉妹の誕生。たくさんの姉妹。両親の悲しげな顔。「お前だけは」。父の言葉。母の涙。
検診という名の手術。流れ込む情報。現れる『敵』。醜い物。そうでない物。壊れていく『自我』。湧き上がる『自我』。
訪れる冷気。闇。孤独。
ミリアの中を膨大な情報が駆け巡る。それは走馬灯のように、または現実味に帯びた夢のように。
「ミリア……」
耳をふさいで硬直するミリアに声をかける。手が小刻みに震え、何かに怯えていた。
自分の中に眠っていたのは幸せな記憶だけではない。
兵器の技術情報や銃火器の扱い、人を殺める方法。
自分の本質は、兵器でしかないということ。
自分の中に眠る恐ろしい本性。それが彼女にとっての本当の恐怖だった。それが持つ青く澄んだ二つの瞳は暗闇でも敵を感知し、顔の両側には息を潜めて近づく敵を察知するため。整った鼻が感知するのは敵が放つ殺人衝動を嗅ぎ取る優れた嗅覚センサ。そしてその手が本来握るのは人の手ではなく……忌むべき敵からその魂を奪い去らんとするために向けられた鈍く輝く拳銃。
「ァぁぁぁあああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
耳をつんざくようなミリアの絶叫。それは獣の雄叫びにも似ていた。
「そこにいたかァッッ!」
その声を聞いて闇から姿を現す殺人狂。彼の眼から対峙するあらゆる命持つ者の生気を脅かすような危険な光が放たれていた。
「一人ずつ殺してやるぜぇッッ」
構えられた銃がマオの方を向く。時間が止まったような感覚に陥る。心臓が早鐘を打ち、頭の中であらゆる思考が停止した。死が音を立てて近づいてくる。
「やめろぉぉぉぉーッッ!」
「死ねぇぇぇぇッッ!」
男が指に力を込めた。引き金が引かれ、銃の中で火薬が爆発する。銃口から幾多の鋼鉄の塊が放たれ、マオをズタズタにしてやろうと猛スピードで向かっていく。
マオが死を覚悟した瞬間、目の前で火花が散った。暗闇に浮かび上がったシルエット。それはミリアだった。
「ミリアッ!」
ミリアは手に持つナイフで撃ち込まれた無数の弾丸を防いでいた。防ぎきれなかった弾丸がマオの後方で音を立てた。
すかさず左手に持つ銃で発砲。男は身体を翻し、それを回避。身体を後ろに飛び込ませ、低い姿勢で銃を構え直し、ポンプを引く。
自らに向けられた銃に怯むことなくミリアは男に突進し、距離を詰める。男の二度の発砲もナイフで軌道を反らし、限界まで近づくとナイフで一閃。男は身体を反らし、ギリギリで鋭い一撃を避ける。
ライヤーは側方に跳躍し、彼女の銃の射程外に転がり込んだ。しかし、その場所はまだ彼女のテリトリーに入っていた。銃の跳弾を計算し、正確無比に撃ち込まれた弾丸はライヤーの強靭な脚を貫いた。
「グッ……道具風情がァッッ」
ライヤーは怒りを露わにし、向かってくる少女に背負っていた新たな銃の銃口を向けた。ありったけの力を込めて引き金を絞る。銃口からは夥しい量の弾丸が吐き出された。
その全てを彼女は回避し、一瞬の弾幕の隙を衝いて男に数発の弾丸を放つ。男の撃つ弾丸の軌道を潜り抜け、彼女の放った弾丸は男の腕に命中した。二発が男の右腕の肉を削げ落とし、残りの一発が男の握る銃を吹き飛ばした。
「クソォ! クソォ!!」
ライヤーは防護服の肩からナイフを取り出し、ミリアに向かって走った。ミリアが撃った弾丸が防護服の間を抜けて身体を貫こうとも構わずに。
「ゥラァッ!」
眼を血走らせて右腕から振り下ろされたナイフ。狂気の先端と化したそれを少女は受け流す。それを予期していたかのようにライヤーは残酷な笑みを浮かべた。左腕に持ち直していたライフルが少女に向かって突き出される。
勝利を確信した男が引き金を絞る瞬間、少女はその銃の砲身を掴むと前方向に跳躍し、軽い身のこなしで男の上を舞った。身体を反らし、握った銃を奪い取って着地する。呆気を取られた男が振り向くと少女が首に向かって銃を構えていた。視覚的にそれを確認するよりも早く後ろに跳んで間一髪で回避。
男はそのまま閃光弾を落とし、階段で地上へと逃げて行った。
「……」
全てが一瞬だった。アヤトとマオは二人の動きを眼で追ってはいたが何が起こったのかわからなかった。
敵の処理が完了したミリアはその場に崩れるようにして膝をついた。倒れこむのを抱きかかえるようにしてアヤトは受け止めた。
「ミリア……」
返事がない。気絶しているようだった。こちらに対して意思表示をせず、ぴくりとも動かなかった。身体は異常に熱く、中から微かに機械音が聞こえた気がした。
「ミリア……ありがとう」
マオが動かないその少女を抱きしめた。アヤトも自分たちを守ったその少女を強く、優しく抱きしめた。
もうこの子が、冷たい闇に落とされないように。
「長いの書くぞ、うおー」的な感じで書いたら中途半端に長くなってしまった。自分でも設定考えるのが前後したりして、あとがきを書いてる今でもごちゃごちゃしてます。
自らを知ったミリアはこれからどうなるのか。ミリアに迫る存在、それらの意図とは。アヤトとマオの『過去』も絡み合ったりなんかして、次に続きたいと思います。