平和の亀裂 ⑥
夜のシェイドヒル、特に大きな道から外れた細い通路にはほとんど明かりがない。その道を三人は疾走した。三階から隣の建物に跳び移り、何とか逃げおおせているものの、数メートル下の建物の屋根に着地した時の衝撃でアヤトとマオは足首を痛めたようだった。
追跡者は男五人。全員十分な銃火器で武装した誘拐屋のようで、一人一丁の拳銃程度しか持たないアヤト達ではまともにぶつかって勝てる相手ではない。
「くっそぉ! オラァッ!」
勇ましい声を上げ、マオが榴弾を投げる。それは空中でけたたましい音とともに爆発し、白煙噴き出す。
「このまま走れ! 先にデカいジャンク屋の倉庫がある! そこなら隠れる場所もあるだろう!」
「了解ぃ!」
「ハァ、ハァッ」
関係者以外立ち入り禁止のフェンスをよじ登り、できる限りの弾丸を追手に浴びせながら、窓を割って倉庫に侵入した。
中はとても広く、多くの武器が入ったコンテナが積まれ、天井には運搬用クレーンが重々しくぶら下がっていた。ヒルが隠し持つ巨大な武器庫の一つだろう。
ひとまず倉庫の奥に隠れようとする三人を制するように追手の一人が銃を撃った。弾丸はミリアの足元を跳弾し、壁に穴をあけた。振り向くと倉庫の入口に大男が立っていた。顔には幾多の傷ができており、ところどころ痛々しく腫れ上がっていた。ドスの利いたガラガラの声で男が叫ぶ。
「逃げても無駄だァ! 殺されたくなければこっちにその女をよこしなァ!」
「誰に頼まれたんだよ!」
マオが叫ぶ。ミリアをコンテナの陰に隠し、敵と対峙する。
「おォ、威勢のいい嬢ちゃんだなァ……」
周りから下衆な笑い声が聞こえた。仲間の男達だろう。
「その子を渡せば、お前らは助けてやる。ひどい目に遭いたくなけりゃぁな……」
その男はいやらしい目つきでマオを睨み付けていた。下品な笑い声を上げ、この男勝りな小娘をどうしてやろうかと想像でもしているのだろう。
「ふざけるな」
アヤトが前に出る。男の前に立ち塞がり、二人を守るように。
「あぁ? てめぇには全く用はねぇんだよ?」
「知ってるさ。てめぇみてぇな下衆野郎にこいつらは渡さない」
守るって言ったばかりだからな。こんな訳も分からないような奴に、訳も分からすに二人を渡してたまるか。……何のプランも無しにこんな無茶をするなんて俺らしくないな。
アヤトは理不尽な運命に憤りを感じていた。
高まる緊張。男の握った銃は怒りに震え、今にもその熱く滾る弾丸をアヤトにぶちまけようとしていた。
「死ねぇッッッ!」
まるで爆発音のように倉庫内に響く男の怒号。
男がこちらに銃を向け、引き金を引こうとした瞬間。男の背後から光が拡散し、音が爆散し、鋼鉄の弾丸が男に撃ち込まれた。
男はその勢いで地に膝をつき、そのまま息絶えた。
男の背後には黒い防護服を着た金髪の男がポンプ式のショットガンを構えて立っていた。こちらに覗かせる二つの眼は獲物を見つけた猟犬のように鋭く、遠くからでも強い威圧感、恐怖を感じさせるそんな眼だった。
「よぉ……アヤト・ソーラと、マオ・ハクレンだな?」
入口から現れた男は背中を撃たれ跪いた男に歩み寄り、その亡骸を踏みしめるとこちらに見えるように一枚の紙を向けた。僅かな光に照らされ、『逮捕状』の文字が浮かび上がった。
「俺はライヤー・ベイルバッド。政府の保安機関第二部隊の隊長だ。先日のシティ内における危険物の所持、使用、警官隊に対する攻撃行為。もろもろの容疑でお前らを逮捕しにきたぜ。大人しく降伏しな」
ライヤーは手を軽く上げ、合図を送る。周囲でいくつかの気配が蠢く。先ほどアヤトが確認した、誘拐屋の連中ではない別の気配に代わっていた。視界の端でこちらに銃を向けるいくつかの影がある。
男の足元に横たわる男の惨い死様に言葉を失っていると、ライヤーは思い出したように言葉を付け足した。
「そうだそうだ、余計なことするなよ? そしたらこれが……こっちに入れ替わる」
彼はもう一枚の紙を見せる。その紙には『殺傷許可証』と書かれていた。男はそれを見せびらかすと口をにやっと歪ませた。
「お前らが逃げようとすればこっちはお前らを殺すことができる。死ぬのは嫌だよな? まだ若いんだからな?」
くっくと笑う。まるで「こちらはそれでも構わない。むしろ好都合である」というように。
「しかし……こいつらもご苦労なこったなぁ……」
ライヤーはショットガンの銃口でぐいぐいと死体の頭を押してみせた。そして男の胸ポケットから写真を取り出して言った。
「多分、こいつらは理由も聞かされずにその女を狙ってたんだろうよ。お前らは知ってるか? その女の『価値』を」
「なんのことだ……?」
「ハッ……知らねぇでここまで守ってきたのか? お笑いだねぇ……ククク」
価値。ミリアが持つ価値ってなんだ? 誘拐屋の奥にある組織、政府の保安部隊が目を付けるほどの価値って……。
コールドスリープで眠らされた少女。戦時中の研究所でたった一人で眠っていた少女。家族も失い、記憶も失い、全てを失った少女に何の価値があるっていうんだ?
「本当に知らないって表情だな? ……教えてやろうか」
男の含み笑いにアヤトとマオが息を飲む。乾ききった喉が酷く痛んだ。そして男は自分の頭を指さしながら言った。
「その女の頭にはな! 大量の兵器技術が入ってるんだよ! それどころか、その女自体ブラックテクノロジーの塊みたいなもんだ! 人間じゃねぇんだよその女はァッ!」
男はそれを言い終えると狂ったように大声で笑いだした。自分が言った冗談があまりに現実離れしていて、それがおかしくて堪らないと言った様子で。その声は倉庫に反響し、絶叫のようにも聞こえた。
「そんな……」
マオが声を漏らす。アヤトにはまだ理解ができなかった。
ミリアが人間じゃない? ブラックテクノロジーの塊?
「どういうことだ!?」
「そいつはっ。第三次世界大戦では主流だった人型兵器さ。完全な自立回路と戦闘技術、各種兵器の構造などの情報をも持った、最強の白兵戦兵器だっ!」
男の笑い声だけがその場に響いた。マオは崩れるように膝をつき、驚きで言葉を失っていた。
ライヤーは一頻り笑い続けると息を整えて二人に告げた。
「さぁってとォ……この情報は政府の……それも限られた人間しか知ってはいけない情報なんだ……。つまり……」
アヤトは男から伝わる威圧感が急激に高まるのを感じた。男は瞼が千切れんばかりに目を見開き、口を狂喜に歪ませた。この男の狙い、趣向、これから始まる彼にとっての『宴』の意味を感じ取った。
「逃げろっ! マオぉぉぉッ!」
「ここにいる人間、全員皆殺しだァァァァァッッ!」
絶叫と同時に巻き起こる銃声、断末魔。ライヤーは自分の足元に転がる男のライフルを拾い上げ、四方に乱射した。しかしその狙いは研ぎ澄まされており、他の保安部隊の身体を見事に撃ち抜いていた。残った男がライヤーに向けて撃った弾丸も虚しく地面を貫き、その着弾と男の頭が吹き飛ぶのはほぼ同時だった。
『ここにいる人間』に彼の仲間も含まれていた。
アヤトとマオはコンテナの陰で放心状態になっているミリアを見つけ、それを抱えるようにして地下倉庫への階段を下って行った。
逃げていく三人を目で追いながら殺人狂はまた笑い出した。
「そうだっ! 逃げろッ! 追い詰めて、痛めつけて苦しめてぇッ! 死に際の絶望を教えてから殺してやるッ!」