平和の亀裂 ③
「まだか~? ミリアー」
試着室に向かって声をかけるマオ。試着室のカーテンには『使用中』の文字が浮かび上がっており、それが中の人間の身体に触れ、ゆらゆらとなびいていた。
カーテンに手をかけたマオを制するように、
「ま、まだ開けないでください!」
と焦ったような声が返ってきた。
マオによって選ばれた服を着せられる人形のようになっていたミリアは鏡に映る自分がどう見えるのか、試着室の中で眺めていた。正直、自分だけで見てもよくわからないのだが。
「まーだーかーよー」
待ちきれないといった様子で地団太を踏み始めるマオ。
やっと見せる気になったのか、ミリアは
「いいですよ」
とだけ言ってカーテンを開けてみせた。
「……! 似合うじゃん!」
改めて自分の恰好を見て恥ずかしそうに縮こまる。ミリアの白い肌とコントラストとなるように彩られた黒いパンツとジャケット。ミリアの細身が栄えるように計算されたマオの見立ては完璧だった。
「これならどこへ行っても恥ずかしくないぞミリアー!」
そう言って抱きつくマオ。近くにいた店員はその様子を迷惑そうにしていた。
その時、店の入り口から不穏な空気が流れ込む。この店には似合わない柄の悪い男達。彼らから発せられるピリピリとした威圧感。望まない来客に店の店員や他の客の緊張も高まる。
空気が変わったのを感じ取ったマオはミリアに静かにするように告げ、
「ミリア、『いい』って言うまでここから出るなよ」
「えっ?」
それだけ言うとマオは試着室のカーテンを閉め、身構えた。姿勢を低くして、服が掛けられたハンガーラックの壁にして、店に入ってきた数人の男を確認する。
男達のリーダー格の人間が写真を片手に何かを探すように周りの男に命令した。何年もならず者の溜まり場であるスラムにいればこのような男たちが何者かぐらいわかる。金で雇われた誘拐屋だろう。
狙いが自分達でなくても厄介事に巻き込まれるのは御免だ。
「お釣りはいらないから。これで足りるよな?」
「お客様?」
ミリアが今着ている分ぐらいの衣服代を店員に無理やり、しかし静かに手渡し、マオは再び姿勢を低くして試着室前に来た。ミリアのいる小さい試着室に入り込むと、ミリアに囁くように言う。
「荷物をまとめて。カーテンを開けたら走って外に逃げる。……手、引いてくから、必死に走れよな?」
「えっ? マオさんどういう……」
「もう少し……」
カーテンの隙間から男達の様子を伺う。4人いる男が全員こちらに背を向けた……。
「行くよ!」
試着室から飛び出し、ぐいとミリアの手を引く。そのままの勢いで店から駆け出した。激しい足音に男達は全員振り返る。店から全速力で逃げ出した二人の少女に向かってリーダー格の男は怒号を上げる。
「アイツだ! 追え!」
その声を聴いてマオは「やっぱり俺達かよ」と舌打ち。ミリアは突然の出来事に困惑しながらもマオに負けじと地面を蹴り、街路を行きかう他の歩行者を縫うように走り抜ける。
二人を見つけ、少し離れた場所で待機していたマナトは細い路地に入るように二人を誘導する。マナトもまた、「やっぱりか」というような表情ですれ違い様に、
「お金は?」
「払った!」
「了解」
それだけ言葉を交わすとマナトは二人を逃がし、追ってきた男達の前に立ち塞がった。それでも向かってきた一人の男はマナトが先ほど購入した熱いコーヒーを顔面に喰らい、顔を押さえてしりもちをついた。男がすぐに立ち上がらないのを確認して、挑発。
「お前たち、女性服の店でそんな大挙で押し寄せて、何するつもりだったんだ?」
若干の笑み。まるで馬鹿にしたような。
「ナメやがってっ!」
熱いコーヒーをまともに喰らった男は頭に血が上ったのか、再びマナトに飛び込んできた。その瞬間、マナトは手に持っていたボトルを地面に強く叩きつける。すると強い光とともに濃い煙が発生した。マナトが水筒と言って持ち込んだボトルは催涙弾だった。
男達の眼と鼻に猛烈な痛み。涙が止まらない。
マナトは自分が煙に巻かれない内にマオの後を追った。シティのメインストリートから細い脇道に抜けていく。
人気の少ない裏通りで二人と合流する。追手が来てないか周囲の気配を感じとりながら話す。
「どうやってっ、あいつら撒いたんだよ?」
「催涙弾を使ったっ。他の通行人は避けて使ったから大丈夫だっ」
それを聞いてマオは笑う。走りながらだからか、苦しそうに息を乱しながら。
「あれ、ハァッ、催涙弾だったのかっ! ハァ
ッ、そんなもの使って、追手はともかく、無事
ここから出られるのか?」
「まだ二つある! ゲートで引き止められそうになっても、これを二つも使えば行けるだろ!」
シティから出るには来た時のゲートとは別のゲートを通る必要がある。恐らく街中に設置されたカメラのおかげで俺たちの居場所、そして目的地はバレているはずだ。ゲート前は警官隊が大勢で出迎えしてくれることだろう。入り組んだ裏通りを迷うことなく退場ゲートへ進めるのも、ゲート前から聞こえる警報音のおかげだ。
「見えてきたな! 思ったよりはお出迎えは少ないじゃん!」
遠くに見える退場ゲートは青の服を纏った警官隊が十人ほど見受けられた。全力で走った甲斐あってか、警官隊の人員が増える前に到着したようだ。
「目瞑ってガスに巻かれないように突っ切れ! 行くぞ!」
自分でもかなり無茶なことを言ったと思ったがそんなことも気にしていられなかった。残りの催涙弾を二つとも警官隊の包囲網の中心に投げ込み、爆発させる。猛烈な閃光と同時に発せられる催涙ガス。風の如くその場を走り抜け、認証装置などが並ぶゲートを強引に飛び越し、三人は再び街の中に消えていった。