平和の亀裂 ②
若干は想定していたことだが、ミリアの記憶は断片的に失われていた。コールドスリープにはよく見られる現象らしいが、本来ならば本人と一緒にデータタグが凍結されており、それを見ることで本人の元の所在や血縁関係など、記憶を思い出させる手がかりになるのだが、データタグが彼女にはなかった。
普通、このデータタグは本人の首か、着ている医療服の裾などに着けられているはずだ。
「ないな……」
「ここに運ぶ途中で落ちたのかな?」
「データタグのこともすっかり忘れてたな……」
「いや、俺は知らなかったけどな?」
マオが悪戯っぽく笑う。笑いごとではないんだが。
記憶を取り戻す手立てがないことをアヤトが少女に伝えると、「そんな……」と少し悲しげな表情を見せたが、仕方ないと割り切ってくれたようだ。
「取り戻せないわけじゃない。手がかりはないが……それも探していけばいいさ」
「はい……」
ミリアは蚊の鳴くような小さな声でそう言った。
◆
ミリアを助けてから数日が経った。以前の廃研究所で手に入れたジャンク品もそれなりの生活費となり、今はミリアとマオとアヤトの三人で生活をしていた。
マオはよくミリアに自分たちが今までやってきた『仕事』の体験談を話していた。今の世界情勢や物騒なことが混じっている話を聞くと気を悪くするのではないかとアヤトは心配したが、ミリアはそれを笑いながら聞いていた。最近では昼のシェイドヒルを歩いて回ったりもしているらしい。昼とはいえ女二人では危険なので着いて行くと言うのだがアヤトの心配を余所に二人で出歩くことが多い。
「ん? シティに行くのか?」
そして今日はスフィアシティに行くと提案してきた。アヤトが先日手に入れたジャンク品を整理しているとマオがミリアを横に連れて来た。マオは嬉しそうな顔、ミリアはおっかなびっくりな様子。
笑顔の彼女は俺の疑問に肯定し、すぐにでも行こうかという様子だ。
「どうしたんだいきなり」
「いやぁさ、ミリアには服がないから俺の服を分けてやろうと思ったんだけど、この子に似合う可愛いのがなくってさ~。シティに行けば今時な若者の服が買えるだろ?」
それを聞いてマオの陰に小さくなって隠れているミリアの方に目を向ける。今気づいたが、先日マオが着ていた服をミリアが身に着けている。確かに似合っているとは言えなかった。マオが用意した服を重そうに着込み、困ったような顔をする。
「サイズはぴったりなんだけどな~。もっと可愛いのを着せてみたいし」
それを聞いてピンをきた。似合う似合わないは建前だ。本音はミリアに可愛い恰好をさせたいのだろう。最近彼女はミリアに御執心のようだ。
「あと、色々生活に必要な物もあるし……」
「わかったわかった! 別に俺も止めようとしていないだろ。だが、俺も着いていく。何かあったら危険だからな」
スフィアシティ内は安全のため、様々なところに監視カメラが設置してある。主に犯罪防止のためであろうが、そのような監視カメラだけでなく、街には政府の安全保安員が常に目を光らせている。目立った行動さえしなければ問題はないはずだが。
「ちょっと待っててくれ。用意してくる」
これと言った用意は必要ないが、万が一の場合がある。マナトは使い古されたバックパックに部屋に散乱していた物を適当に詰めていく。保安員に止められ、取り調べを強要されたときに怪しまれない程度に。そして安全に逃げられるように。
準備を手短に済ませ、部屋に鍵を閉める。こんな鍵、この街で役に立つのかわからないが、無いよりはマシだという判断だ。
待たせたなと軽く礼を述べ、アヤトはミリアの横に付く。このヒルで他の人間に関わるとろくなことがない。道幅人三人分ほどしか無い細く薄暗い下り坂の道を、ミリアを庇うようにしてマオと彼女を挟むようにして一列で歩く。
「で、ミリアはどうやってシティに入れるんだ? 検問があるはずだろう?」
前を行くマオに声をかける。
「そんなのどうだってなるんじゃない? 身分証明だってしててしてないようなもんじゃん」
スフィアシティの入り口には警官隊による検問が張られている。危険物の持ち込みを防止するための物であるが、同時に身分証明が必要となっている。身分証明には手形認証を使用しているが、コールドスリープから解凍されたミリアにはデータベースの中に個人を特定する情報が無いだろう。確かにマオの言うとおり検問の身分証明は合って無いようなものだが。
「まぁなんとでもなるさ。包帯でも巻いとけば手形認証もできないだろうしよ。入場ラッシュに紛れ込めば一人のために時間も取らせたくないだろうしな」
全く、妙なところに気が付く奴だ。そんなことをアヤトは思ったが、口には出さなかった。よく見ればミリアもマオに渡されたであろう包帯を巻き始めている。この子がマオに毒されないか少々心配になる。
「街の中で何かしらのトラブルがあれば、俺がその何かを引き付けるからな」
「んん? どうしたんだよアヤト~? なんか頼もしいじゃん?」
「ただの打ち合わせだ。何も起こらないことを願うよ」
溜息混じりに言う。マオはニヤニヤしながらアヤトとミリアを一瞥して、前に向き直った。
それを見てミリアはよくわからないといった様子で首を横に傾げた。
◆
レンガ造りのメインストリートや西洋を思わせる街路灯、青々と茂った街路樹。戦前と変わらぬ街のイメージを持ち合わせながら、光の芸術とも言える立体映像広告や銀色に輝く美しいフォルムの建物群も栄えるその街は、過去のSF作家たちが思い描いてきた未来都市その物だろう。完璧な空調管理によって生み出される快適な気温。時にはアナウンスが入り、降り出す『安全な』雨。戦争さえ起こらなければ実現していたこのような都市開発は今ではこの小さなガラス張りの球体の中でしかできない。もっとも安全で、もっとも快適な場所。人類のラストリゾートとも呼ばれている。
検問を抜けるのは意外と苦労はなかった。名前を聞かれたが、そこもマオの説得でごまかした。危険物は所持していなかったし、ミリアのおとなしい態度からも危険でないと判断されたのだろう。
むしろアヤトはバッグに入っていた水筒のような物に目を付けられたが、
「シティ内の飲み物は高くて買えないんだ。だから三人分だろ」
と文句を混じえて返した。それに関してマオとミリアは頭に疑問符を浮かべていたが。
「外で待ってるからな」
返事もせずにマオとミリアは女性向け洋服店の中に入っていった。
シティ内に来てから俺は2人に引きずられっぱなしだった。洋服店や化粧品店、雑貨屋だとか小物屋だとか、それもそれぞれ数多く。道で見つければ入って、何十分も。
「よく何も食わずに……」
もう昼を過ぎているというのに、未だに二人は何を買うわけでもなくウィンドウショッピングを楽しんでいる。
ガラスケースの中で煌びやかに栄える衣装をミリアと眺めるマオの笑顔は、自分といた何年間では見せなかった顔だった。
マオは普段こんな街中に出て、普通の女の子らしくすることなんてなかった。スラムでは自分達と歳の近い子供はあまり見ないし、いても酒とか薬で少し頭が進んでる。歳も背格好も同じくらいの同性の友達ができたのが嬉しいのだろう。
こうして傍から見れば、マオも普通の女の子と変わらなかった。
「『俺』っていうの、やめればいいのにな……」
溜息混じりにそうつぶやき、寄りかかっていた柵に手をかけ、吹き抜けから見える下の階層を見下ろした。多くの人が左へ右へ行き来する。忙しそうに早歩きで電話をしながら歩くスーツ姿の男も居れば、真ん中に男の子を挟んで手を繋いで歩く家族連れや、互いの腕を絡ませて歩く男女もいた。
その中でここにいる俺は、何なのだろうか。
そこにいる人たちから見て、俺は。どう映るのだろう。
「……」
頬を撫でるように風が吹いた。心地よい風だった。人工の物だと分かっていながらそう思った。日の光も、街路樹が風に揺れてできる音も、全部計算されてできた物だと知っていながら、それでいいと思える人間に自分はなれたのか。
「……っと、さすがに少し疲れてきたか」
何かに諭されたように我に返った。普段の緊迫した空気から解放された気がして、自分を見失っていたのかもしれない。
「俺は……違う」
気を紛らわすように頭を振り、強く溜息を吐くと近くの自動販売機に向かった。小銭を取り出し、熱いコーヒーを選ぶ。これで少しは目が覚めるだろう。
カップにコーヒーが注がれるのを待っているとマオとミリアが入っていった店に数人の男が入っていくのが見えた。如何にもという感じの柄の悪い男が三、四人。
マナトは注がれたコーヒーに少し口をつけ、バックパックから一つ、水筒を取り出した。