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大逆転、関ヶ原! ~小早川秀秋、難波の夢を露と落とさず~  作者: 浦賀やまみち
第四章 風雲、大阪城

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第37話 茶室の誓い




「いただきます……。」



 こぢんまりとした四畳半の茶室。

 床の間には南天の赤が添えられ、障子戸から差し込む柔らかな光が畳に落ちている。

 茶釜から立ちのぼる湯気が、柔らかな影を落として揺れ、ひとときの穏やかさを包んでいた。


 俺は貫禄のある見事な茶碗を両手で包み込み、そっと一口含む。



「……あれ?」



 その瞬間、これまで抱いていた抹茶のイメージが覆された。


 濃厚さは想像どおりだが、驚くほどまろやかで、苦みがほとんどない。後味もすっきりとして心地よい。

 ふと立ちのぼる香りは、まるでキャラメルのように甘くやさしかった。



「美味っ……。」



 戦国時代では、なかなか味わえない甘味。

 恐る恐る口にした一口目とは打って変わって、二口目は喉を鳴らしながらごくごくと味わう。



「馬鹿、お茶はそんなふうに飲むものじゃないよ」

「あっ!?」



 空になった茶碗を下ろすと、北政所は眉を下げ、白い目でこちらを見やった。



「あんたは肝が座っていれば、知恵も回るようだけど、礼儀作法はからっきしだね」

「いやぁー……。今まで必要ありませんでしたから」



 たまらず俺は苦笑いした。

 視線のやり場に困って、思わず茶碗の縁を指でなぞる。



「ほら、もう一杯飲むだろ?」

「お願いします」



 北政所は右の掌を上に差し出し、微かに目を細めた。

 お言葉に甘え、俺は茶碗を両手でそっと押し、畳の上を滑らせるように差し出す。



「お茶は大事な会合の場だよ。

 今までは忙しくて、その暇もなかっただろうけど、これからは機会もあるさ」

「はぁ……。」



 茶室にシャカシャカと茶を立てる音が響く。

 俺はお茶の道具の名前すら知らないが、北政所の所作には自然と目を奪われた。



「明日から、九州に行くまでの間、午後はここへ通いなさい。

 あんたがボロを出さないように、私がみっちり鍛えてあげるから」

「でも、仕事が……。」



 俺は、すべてを北政所に打ち明けた。


 自分自身のこと。

 気がつけば、関ヶ原の戦いのただ中に立っていたこと。


 本来の小早川秀秋は、すでにこの世に存在しないこと。

 自分でも、なぜこの身がこうなったのか分からないこと。


 あまりにも荒唐無稽な告白に、北政所は当初、言葉を失っていた。

 だが、俺が身の上話を離れ、知り得る史実の説明へと移ると、その眼差しは次第に鋭さを帯びていった。


 関ヶ原の戦いののち、豊臣家が完全に没落すること。

 徳川家康が幕府を開き、三百年に及ぶ太平の世『江戸の時代』が訪れること。


 とりわけ、織田信長の歩みを語る中で触れた、豊臣秀吉にまつわる数々の逸話には、北政所は幾度となく息を呑んだ。


 下手に誤魔化したり、飾ったりするより、いっそさらけ出してしまったほうがいい。

 そのほうが、秘密の共有者として、彼女の協力を得やすいと思った。



「三成には、私から言っておくよ。……分かったね?」

「はい……。」



 そして、どうやら早速、協力を得られたようだ。


 仕事漬けの毎日から解放されると思うと、心は少し軽くなる。

 だが、お茶の作法を覚えねばならないと思うと、途端に心は重くなった。


 しかし、お茶は戦国時代のトレンド。


 北政所の言う通り、秘密がバレないようにするためにも、覚えるしかない。

 それに、実際に利用してみて分かったが、茶室というのは密談にはうってつけの場所だ。


 狭い室内だから、自然と互いの距離も近くなる。

 うちの屋敷もそうだが、茶室はたいてい静かな場所に建てられていて、小声でも十分に声が届く。


 これを利用しない手はない。

 これからは、刃を交える戦よりも、舌を交わす戦が増えてゆくはずだ。



「いただきます……。」

「そこは『お点前頂戴します』だよ」



 俺は差し出された茶碗を受け取り、口に運ぼうとしたが、早くも駄目出しを食らった。

 北政所は呆れたように眉を下げつつも、口元にはわずかに笑みを浮かべた。




 ******




「それにしても、馬鹿な子だよ。

 徳川殿に尻尾を振ったところで、栄華はいっときのこと。

 厳しく育てたつもりだったけど……。甘やかしすぎたかね……。」



 北政所は柄杓を置き、湯気の向こう側をじっと見つめた。

 その拍子に、茶釜から上る湯気がゆらりと揺れ、淡く消えてゆく。


 沈黙が落ちた。

 外では風が竹垣を揺らし、さらさらと葉の音が響く。


 言うまでもなく、『馬鹿な子』とは小早川秀秋のことだ。


 北政所の俺を見つめる目は、どこか遠くを見ていた。

 その瞳の奥には、叱るでも責めるでもない、深い哀しみが宿っていた。



「死因は不明です。

 一応、酒の飲みすぎということになっています」



 俺が未来の定説を告げると、北政所は視線を落とし、茶釜の湯気をじっと見つめた。

 湯がぼこりと泡を立て、静けさの中に小さな音が響く。



「でも、関ヶ原から、たった二年だろ? 若すぎるよ」

「……ですね。毒殺の可能性も否定しきれません」



 湯気の向こうに北政所の顔がかすかに揺れる。


 北政所は火かき棒で炉の墨をいじり、ぱちりと小さな火の音が弾ける。

 その音に混ぜるように、彼女は静かに口を開いた。



「前田殿のことなんだけど……。」

「駄目です」



 しかし、すべてを言わせない。

 俺は即座に否定し、言葉をかぶせた。



「どうしてさ? 利家は父ちゃんの盟友だよ?」

「もちろん、知っています。

 でも、息子は違います。

 加賀は大阪に近い。将来の禍根は、摘めるうちに摘んでおくべきです」



 北政所の眉がかすかに動く。

 俺は茶碗を持ち、そのまろやかな甘味に一口楽しみ、口元にひそやかな笑みを描く。


 関ヶ原の戦い直後、前田利長は豊臣家への恭順の意思を示してきた。

 だが、その証として差し出してきた母親の大阪入りは、徳川家康との和睦の三日後だった。


 木曽川が増水し、太田の渡しで足止めを食らったらしい。


 しかし、そんなことは言い訳にはならない。

 お家の大事である。心の底から先を急ぐ気持ちがあるのなら、幾らでも手段はあったはずだ。


 その点を俺は責めた。

 以前、大谷吉継と意見を交わしあった通り、前田利長は隠居、秀頼の御伽衆とした。


 今後次第ではあるが、俺の予定では前田家の所領は半分まで減らすつもりだ。



「じゃあ、せめて清正は許してやってくれないかい?」



 俺が傾けていた茶碗を下げると、北政所は縋るような眼差しを向けていた。

 その瞳に、不安と期待が混ざり合っているのが分かる。



「駄目です」



 だが、俺はきっぱりと断ち切った。

 真っ直ぐな目で見据えると、北政所の目は揺れ、やがて伏せた。



「どうしてだい?

 実際に歯向かった正則は仕方ないとしても、清正は……」

「すでに上洛の要請を三度送りました。

 それに応じず、返事も返さない。それがすべてです」

「でも……」

「俺は家康と同じことをしているだけにすぎません。

 ご承知ですよね? 家康が前田家と上杉家にやったことを」



 茶室の空気が張り詰め、茶釜の湯が沸く音さえ遠く感じられた。


 福島正則の処遇について、俺は一罰百戒の意味を込め、士分剥奪と斬首を望んでいた。

 でも、三成がおいおいと泣きながらすがるのを見て、迷いが生じ、結局は国外追放の大遠島流罪にとどめた。


 もちろん、福島家が所有していた財産はすべて没収だ。

 息子は豊臣に血判状まで作って忠誠を示したため、捨扶持だけは与えたが、将来がどうなるかは分からない。


 そんな福島正則の処遇を知ったうえでだろう。

 関ヶ原とほぼ同じ時期、九州で挙兵した加藤清正は、秀頼直々の要請を無視し、九州に居座り続けていた。


 そのため、年が明ければ、俺と毛利家、島津家で九州平定の兵を挙げる予定だ。



「じゃあ……」

「次は、何ですか?」



 小姓時代から豊臣秀吉に仕えてきた福島正則と加藤清正。

 北政所にとって、彼らが我が子同然であるのも納得できる。


 しかし、駄目なものは駄目だ。

 俺は北政所との視線を遮るように、茶碗をそっと口に運んだ。



「茶々はどうなんだい?」

「……えっ!?」



 思わず、手にしていた茶碗を落としそうになった。


 そういえば、そうだった。

 自分の正体を明かすのに必死で、茶々とのことをすっかり頭から抜かしていた。


 北政所は、あの場所で、あの瞬間に、俺を待っていた。

 俺と茶々の関係を、確実に見破っていると考えるのが自然だ。


 北政所や茶々が住むこの区画は、豊臣秀吉のいわゆる『後宮』である。

 細心の注意を払ってきたつもりだったが、やっぱり主には敵わなかったか。


 それとも、茶々の声の大きさが問題なのだろうか。


 俺としては、それ自体は愛おしさがもりもり湧く。

 だが、最後のあたりで俺の名前を連呼する癖だけは、どうにかしてもらいたい。あれでは、まるで忍べていない。



「あの娘は、気が強いように見えて、根は弱いんだ。

 利用するだけ利用して、捨てたりしたら絶対に許さないよ?」

「……り、利用するだなんて酷いな」

「まあ、女を操って、裏から支配する。

 ……なんて話は、歴史にはごまんとあるのも事実だけどね」

「お、俺たちは純愛ですよ。じゅ、純愛……。

 む、むしろ、俺は古満と雪にどう説明したらいいかを悩んでいるのに……。」



 あっという間に立場が逆転した。

 和らいだ茶室の空気の中、北政所が茶請けの金平糖を噛む音がポリポリと響き渡る。



「そうだった。公家の娘さんを貰ったんだろ?

 明日、奥方と一緒に連れてきなさい。挨拶がしたいんだよ」



 そこへ、パンと拍手の音が重なる。

 知らず知らずのうちに伏せていた視線を跳ね上げると、北政所はニコニコと微笑んでいた。



「そんな、いきなり……」

「いきなりなのは、あんたが私から逃げていたからだろ?

 私はずっと前から会いたかったんだ。息子の嫁なのだから、当然だよね?」

「分かりました……。明日、二人を連れてきます」

「安心しな。茶々のことは黙っといてやるよ」

「……助かります」



 駄目だ。この人には勝てそうにない。

 俺は顔を引きつらせて、がっくり項を垂れ、いやいやながらも頷いた。



「最後に一つだけ教えてくれないかい?」

「はい、何ですか?」



 ところが、北政所の言葉はまだ続く。

 俺は小さく溜息をつき、思わずうんざりした顔を上げた。



「秀頼は本当に父ちゃんの子なのかい?」



 北政所はしばらく黙り込み、膝の上で指を組んだ。

 その手が、ほんの少し震えていた。


 秀頼にまつわる豊臣家の闇。

 豊臣秀吉の女性遍歴を考えれば、種が悪かったのはまず間違いない。


 しかし、茶々は豊臣秀吉の子を二人も産んでいる。

 妻として、女として、人として、北政所は複雑な思いを抱き、ずっと自分を責めてきたのではないだろうか。


 ここで真実を明かすのは容易い。

 でも、それで北政所が幸せになるかといったら、俺は違うと思った。



「先ほど、あなたは秀秋殿を『子』と呼びました。

 だったら、秀吉様が子と認め、あなたも子と認めたなら、それはもうあなたたちの『子』で間違いないのでは?」



 俺は茶碗を口に傾け、ふわりと立ちのぼる香りと、舌の上でほどける深い甘味を確かめるように、そっと目を閉じた。

 茶の温もりが喉を通り、胸の奥へ静かに染みていく。



「そう、そうだね……。

 ごめんよ。変なことを聞いて……。忘れてくれないかい?」



 今、北政所がどんな顔をしているかは分からない。

 しかし、すぐ近くで、ふっと息を抜いた気配だけははっきりと伝わった。



「分かりました。

 でも、その代わりに、茶々とのことがバレたら、助けてくださいね?」



 俺は茶碗を膝の上まで下ろし、片目をパチリと閉じてウインク。口元の端をゆっくりと吊り上げた。



「あんた……。本当は秀秋なんだろ?

 そういう父ちゃん譲りの調子のいいところが瓜二つだよ」



 北政所は目をパチパチと瞬きさせると、白い目を向けた。

 だが、その口元はわずかに緩んでおり、俺は咄嗟に目を逸らした。




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