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大逆転、関ヶ原! ~小早川秀秋、難波の夢を露と落とさず~  作者: 浦賀やまみち
第四章 風雲、大阪城

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幕 間 兄弟、再び




「珍品ぞろい! 南蛮の品だよ!」

「聞けよ! この音! 土佐の鰹節はかたーいぞ!」

「甘い、甘い! 冬はやっぱり伊予のみかん!」



 活気に溢れる大阪の大通りを、十数人の一行が進んでゆく。


 先頭には、颯爽と馬上に立つ『結城秀康』の姿。

 人々の視線は自然と彼に集まり、道行く者たちも思わず足を止める。



「ふぅ……。」



 しかし、結城秀康の心は、大阪の賑わいとは裏腹に沈んでいた。

 秀康は、冬特有の細くたなびく雲が広がる空を見上げ、思わず溜息をついた。


 結城秀康のこれまでの人生を一言で語るなら、『不遇』であった。

 幼少期、父である徳川家康とは顔を合わせることすら叶わず、長男の死によって家督を継ぐ資格があるはずだったが、それすら許されなかった。


 その後、豊臣秀吉の養子となる。

 しかし秀吉が男児を得ると、今度は結城家に養子として出された。


 先の天下分け目の決戦では、上杉家に対する備えとして配され、ついに戦場への参加を許されなかった。


 そして今、秀康は徳川家康の名代として、大阪の町に踏み入れた。

 言うまでもなく、豊臣家に対する人質としての役割である。


 それを、徳川家康から直接告げられたのではなく、書状によって命じられていた。

 徳川家康の本拠地である江戸を立ち寄ることすら許されず、ただ急ぐように。そう付け加えられていた。



「俺は……。」



 結城秀康は、思わず漏れそうになった言葉をぐっと飲み込んだ。

 家臣たちの前で、『今度こそ、殺されるのか?』といった弱音は吐けなかった。


 父のためなら命など惜しくはない。それだけは確かだった。


 しかし、振り返れば、父からの温もりや応えは一度もなかった。

 書状に『お前だけが頼りだ』とあっても、心に届くのは冷たい紙の文字だけだった。



「お武家様、いかかですか! 新鮮な牡蠣がありますよ!」



 そんな秀康の心など知るよしもなく、町の喧騒の中から威勢のいい呼び込みが響いた。



「殿! 牡蠣ですって! 牡蠣!」



 秀康は関心を示さなかったが、彼の馬の手綱を握る若者が食いつき、思わず足を止めた。


 その目はキラキラと輝き、思わず結城秀康は苦笑をこぼした。

 純粋な熱意に触れ、沈んでいた胸の内が、ほんの少しだけ軽くなるのを感じた。



「お前……。去年、牡蠣で当たって、厠から離れられなくなったのを忘れたのか?」



 秀康の問いかけに、付き従う家臣たちから笑いの声があがった。



「こ、今度は大丈夫ですって! た、多分!」



 道行く者たちも釣られて笑い、注目を浴びた若者は赤らんだ顔を左右に振りながら、照れを隠そうと必死だった。



「くっくっくっ……。仕方がないやつめ。

 店主、その牡蠣を全部貰おう。それと、隣のブリもだ」

「へい! まいどおおきに!」

「さっすが、殿! 太っ腹!」



 それがおかしくて、結城秀康は肩を震わせて笑った。

 町の喧騒の中に和やかな空気が広がり、秀康の力がふっと抜けた。




 ******




「んっ!? ……何だ?」



 角を曲がると、結城秀康は眉を寄せた。

 大阪の結城屋敷の前では、留守居役の家臣が慌ただしく辺りを見回し、何やら焦っている様子が窺えた。



「殿、お待ち申し上げておりました!」

「どうした? 何があった?」



 結城秀康は思わず手綱を引き、馬を立止せると、留守居役の家臣が秀康に気づいた。

 袴の裾を持ち上げて駆け寄ってくる様子に、結城秀康はつい身構えた。



「殿の来訪を知り、小早川様がお待ちです!」

「何っ!? いつからだ!」



 そして、留守居役の家臣が焦っていた理由を知り、結城秀康は目を大きく見開いた。

 咄嗟に馬から下り、屋敷へ向かって駆け出す。


 この場からなら、走った方がずっと早いと秀康は判断した。


 なにせ、関ヶ原で一躍名を挙げ、今をときめく小早川秀秋の来訪である。

 悠長に馬を歩かせてなどいられなかった。焦りに突き動かされるように、自然と脚に力が入る。



「い、一刻半ほど前にございます!」

「なぜ、知らせを送らなかった!」



 豊臣家への恭順を勧めに来たのか、あるいは徳川への無理難題を押し付けに来たのか。

 大阪までの道中、何度も考えを巡らせたが、答えは見つからず、胸の奥の重さだけが増した。


 結局、結城秀康は『まずは様子を慎重に探ってみよう』と、最も安全な道を選ぶにとどまっていた。



「こ、小早川様がそれには及ばないと!」

「馬鹿者! 鵜呑みにするやつがあるか!」

「も、申し訳ございません! 

 ……あっ!? そちらではありません! 殿の書院です!」

「馬鹿者! なぜ、座敷で待ってもらわない!」

「そ、それも、小早川様がくつろげないからと!」



 ところが、出鼻を挫かれた。

 小早川秀秋は心の準備すら与えなかった。


 しかも、留守居役の家臣は、賓客中の賓客を粗末に扱うという大失態を犯していた。

 自分自身が、廊下をドタドタと音を立てて走るという失態を演じていることにも、気づかずにいた。



「なら、酒くらいは出したんだろうな!」

「い、いえ、禁酒しているからと、茶を!」



 しかし、結城秀康は足をピタリと止めた。



「あいつが……。禁酒だと?」



 大の酒好きで知られる小早川秀秋が禁酒をしている。

 そのあり得なさに、秀康は戸惑いながら、自分の書院で待っている人物が本当に小早川秀秋なのかと疑った。




 ******




「小早川殿、お待たせし……。」



 結城秀康は、出かかった言葉を引っ込め、呆然と我が目を疑った。


 見慣れた書院に、見慣れぬ光景。

 小早川秀秋は、座布団を二つに畳んで枕にし、大の字になって寝ていた。


 小早川秀秋と結城秀康は、かつて豊臣秀吉の養子であった。

 その重なった期間は六年に過ぎないが、秀秋が二歳から、秀康は十歳からと、多感な時期を共に過ごした二人は、確かに『兄弟』だった。


 しかし今は、姓も違えば、陣営も違う。

 豊臣家と徳川家の間に和は結ばれたとはいえ、二人は敵同士だった。


 ところが、小早川秀秋は我が家のように、目の前で無防備に寝ていた。

 口はニマニマとにやけ、楽しそうな夢を見ているのが見て取れた。



「……茶だ」



 結城秀康はしばらく迷った末、小早川秀秋のそばに置かれた湯呑みを手に取った。

 その味はごく普通の茶で、冷めきっている様子から、秀秋が寝てからかなりの時間が経っていることがうかがえた。


 兄弟の縁が断たれた後、小早川秀秋と結城秀康は、互いに努めて『他人』として接した。

 他者の目の有無にかかわらず、そう振る舞うことが互いのためだと、縁を切るときに誓い合ったのだ。


 それでも、結城秀康は遠くから見守っていた。


 成長するにつれ、酒に溺れる小早川秀秋を憂い、その治療のため腕の良い医者を派遣することもあった。

 もちろん、仲介を経て、自分の手によるものだと悟られないようにだ。


 だからこそ、秀康は小早川秀秋が禁酒したと聞いて驚いた。

 そして湯呑みの茶を口にしたとき、禁酒が本当であることを知り、ほっと喜んだ。



「茶々のえっちぃ~……。えへへっ……。」



 小早川秀秋の寝言に釣られ、結城秀康は振り向くと、思わず顔を引きつらせた。


 だらしない顔で、股間を窮屈そうにまさぐっていた。

 寝言ははっきり聞こえなかったが、好色な夢を見ていることは明らかだった。


 当然、結城秀康は小早川秀秋が関ヶ原で成した偉業を知っていた。


 しかし、それが目の前の小早川秀秋とどうしても重ならない。


 重なるのは、幼かった頃の日々の姿。

 習い事をさぼり、押し入れに隠れて惰眠を貪っていた、あの無防備な小早川秀秋である。



「さんざん悩んで悩んで……。」


「覚悟も決めぬうちに、お前の急な来訪を知らされて……。」


「滑稽なくらい慌てふためいた俺は……。」


「一体、何なんだ? 馬鹿なのか?」



 結城秀康は途方もない疲労感に、肩を落として深く息を吐いた。

 その後、大きく息を吸い込み、そっと口を小早川秀秋の耳元へ近づけた。



「こら、金吾っ!」



 幼き日々と同じように、秀康は声を思いっきり張り上げ、小早川秀秋を幼名で呼んだ。



「うっひゃあああああっ!?」



 その瞬間、小早川秀秋は飛び起き、目を見開き、腰を跳ねさせながら手足をバタバタと動かした。



「わっはっはっはっはっ!」

「……に、兄ちゃん?」



 結城秀康は喉の奥まで見えるほど、大笑いした。

 その声に、何が何だか分からない小早川秀秋は目を丸くし、思わず声を上げた。




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