第9話 看病は、枕元のデスマッチ
原因は明白だ。
昨日の「泥沼ダイブ」の後、冷たい川の水で泥を洗い流し、暖房設備のないボロ宿で、布団もなく柱に縛られたまま寝たからだ。
これで風邪を引かない人間がいたら、それは人間ではなくトロールの一種だろう。
「……頭が、割れるように痛い」
朝。
俺、相馬ユウリは、四畳半の部屋の床で芋虫のように転がっていた。
熱い。関節が痛い。喉が渇いた。
視界がぼやける。ステータス画面を開くまでもない。状態異常『風邪(重度)』だ。
「うぅ……水……」
俺が呻き声を上げると、部屋の空気が一瞬にして張り詰めた。
「師匠!?」
「ユウリ!?」
「対象の体温上昇を確認!」
ドタドタと足音が近づいてくる。
三つの顔が、俺を上から覗き込んだ。
心配そうなルミナ。
興味津々なセラフィナ。
匂いを嗅ぎに来たミルミル。
まずい。
「弱っている男」というのは、母性本能をくすぐる危険なコンテンツだ。
俺はかすれ声で叫ぼうとした。
「ち、近づくな……俺は今、致死率100%の『オッサン化ウィルス』に感染して……」
「黙ってください師匠! そんな顔色で強がらないで!」
ルミナが俺の額に、自分の額をピタリと当てた。
ひんやりとして気持ちいい――じゃない!
「!?」
「熱い……! 相当な高熱です!」
至近距離。
ルミナの整った顔が目の前にある。
彼女の瞳が潤んでいる。
「私のせいです……私が泥などで遊んでいたせいで、師匠がお風邪を……」
「違う、泥をかけたのは俺だ……」
「いいえ、全ては未熟な私の責任。……責任を持って、私が看病します」
【警告。ルミナ・フレアハート、「贖罪」と「母性」が結合中】
【「弱った彼を私が支えなきゃ」という使命感は、恋への最短ルートです】
【心拍数上昇。即死リスク、レベル4】
やめろ、その慈愛に満ちた目で俺を見るな。
俺はただの風邪っぴきの汚い男だぞ。
「どいて、ルミナ」
セラフィナが冷静な声で割り込んだ。
「精神論でウイルスは死なないわ。医学的アプローチが必要よ」
彼女は白衣のポケットから、なにやら怪しげな注射器を取り出した。
針が太い。馬用か?
「私の調合した『万能回復薬』よ。副作用で一時的に猫耳が生えるかもしれないけれど、熱は下がるわ」
「断る! 猫耳中年なんて誰が得するんだ!」
「駄々をこねないで。……それとも、座薬タイプがお好み?」
セラフィナがゴム手袋を「パチン」と鳴らした。
目が笑っていない。いや、科学者としての嗜虐的な喜びで笑っている。
「どっちも嫌だ! 寝かせろ! 自然治癒力を信じろ!」
「もー! ふたりとも邪魔!」
ドンッ、とミルミルが二人を押しのけた。
「獣人はね、病気になったらこうやって治すんだよ!」
ミルミルは俺の服の襟元を掴み、バリバリと引き裂いた。
「なっ!?」
「あっためてあげる!」
彼女は自分の服も緩め、素肌を密着させようと覆い被さってきた。
いわゆる「人肌療法」だ。
だが待て、それはラノベの終盤でやるイベントだ! 第9話でやっていいことじゃない!
「やめろミルミル! 俺の肌はサメ肌だ! 大根おろしみたいに削れるぞ!」
「気にしないよ! ユウリ、熱くて気持ちいいー!」
カオスだ。
額には聖女、尻には魔女(座薬狙い)、腹には獣人。
俺の体は物理的にも社会的にも限界を迎えていた。
ピコン、ピコン、ピコン。
脳内のアラート音が、心電図の停止音のように連続している。
このままでは、病死する前に「愛死」する。
俺は残された最後の力を振り絞った。
熱で朦朧とする意識の中、俺は「最強に嫌われる病人」を演じることにした。
「う、うあぁ……」
俺は白目を剥き、わざとらしく痙攣した。
「マ……マ……」
「師匠?」
「ママの……おっぱい……吸いたい……バブゥ……」
「……ッ!」
全員の動きが止まった。
どうだ。いい歳した男の、熱に浮かされたマザコン発言。
これには百年の恋も冷めるはず――
「かわいそうに……」
ルミナが俺の頭を胸に抱き寄せた。
「は?」
「幼少期の愛情不足が、高熱による退行現象として現れているのですね……。師匠、どれほど孤独な戦いを……」
「違う! 単なる性癖だ! 俺はバブみを感じたいだけなんだ!」
「よしよし。私がママ代わりになりますよ」
ルミナが慈愛の表情で俺の頭を撫でる。
柔らかい感触。石鹸の香り。
心地よい。……じゃない! 死ぬ! 即死する!
【警告。幸福度が致死量に達しようとしています】
【ルミナの母性オーラにより、ユウリの精神防御壁が溶解中】
【逆に、ルミナ側も「守りたい」という感情が極限まで高まっています】
このままでは共倒れだ。
俺はルミナの腕から逃れようともがいた。
その時、セラフィナが口を開いた。
「興味深いデータね」
彼女は眼鏡を光らせ、俺の口元にスプーンを突きつけた。
「退行現象には糖分が有効よ。はい、あーん」
「え?」
「あーん」
氷の魔女が、顔を赤らめて「あーん」をしている。
震える手。
彼女にとっても、これは「未知の実験(看病プレイ)」らしい。
「い、いらん! 俺は鼻から食う主義だ!」
「非論理的ね。でも、試してみる価値はあるわ」
「やめろ本気にするな!」
ミルミルが対抗して叫ぶ。
「あたしが口移しするー!」
地獄絵図だ。
俺は絶叫した。
「頼むから一人にしてくれぇぇぇ!!」
ドォォォン!!
俺の絶叫(とスキルの誤作動)に合わせて、なぜか窓ガラスが割れた。
冷たい風が吹き込む。
「はっ……!?」
冷気のおかげか、俺の意識が少し覚醒した。
そして、自分の置かれた状況(美女三人に揉みくちゃにされている)を客観視し、恐怖で鳥肌が立った。
「……治った」
俺は真顔で言った。
恐怖が熱を凌駕したのだ。
「え?」
「風邪は治った! 見ろ、このキレのある動き!」
俺は布団から飛び起き、反復横跳びを始めた。
シュッシュッシュッ!
「ほら元気! 超元気! だから看病は終了だ! 解散!」
三人は呆然と俺を見ている。
ルミナが残念そうに呟いた。
「……もう少し、ママになっていたかったのですが」
危なかった。あと5分続いていたら、俺は彼女の子供として転生するところだった。
「驚異的な回復力ね……。やはり解剖が必要か」
セラフィナがメスを取り出す。
「ユウリ、汗臭い! 舐めてあげる!」
ミルミルが舌なめずりする。
「仕事だ! クエストに行くぞ!」
俺は病み上がりの体に鞭打って、部屋から飛び出した。
看病されるより、モンスターと戦っている方がよっぽど安全だ。
俺の安息の日は、今日も遠い。




