第8話 初クエストは、ヌルヌル地獄の予感がする
冒険者ギルドの掲示板前。
俺は腕組みをして、羊皮紙の束を睨みつけていた。
『チーム雑草』の記念すべき初クエスト選びである。
選択肢は重要だ。
ドラゴン退治? 論外だ。吊り橋効果で即死する。
要人護衛? 却下だ。護衛対象(姫とか)に惚れられたら終わる。
「……これだ」
俺は一枚の依頼書を剥ぎ取った。
『依頼:森の掃除屋さん』
『内容:増えすぎたブルー・スライムの駆除』
『報酬:スライムの核1個につき銅貨5枚』
完璧だ。
スライム。最弱のモンスター。
知能はないし、見た目もただのゼリーだ。これならドラマチックな展開も生まれようがない。
淡々と作業して、淡々と解散する。俺が求めていた「ドライな職場」がそこにある。
「師匠? そのような低ランクの依頼を?」
ルミナが不思議そうに覗き込んでくる。
「基礎だ」
俺はもっともらしく言った。
「どんな達人も、基本を疎かにすれば死ぬ。お前たちのようなエリートこそ、泥臭い作業で心を洗うべきだ」
「……ッ!」
ルミナが息を呑む。
「驕りを捨てよ、ということですね……。確かに私は、聖騎士の力に自惚れていたかもしれません。承知しました、スライム相手に全力を尽くします!」
「全力は出すな! 森が消し飛ぶ!」
◇
王都近郊の森。
木漏れ日が差し込む平和な草むらに、プルプルとした青い球体が数匹転がっている。
ブルー・スライムだ。可愛いもんだ。
「よし、作戦を伝える」
俺は三人を振り返った。
「俺はここで総指揮を執る(サボる)。お前たちは自由に狩れ。ただし、絶対にカッコいい技は使うな。地味に、事務的に処理しろ」
「了解、ご主人様! 行ってきまーす!」
ミルミルが最初に飛び出した。
彼女は短剣を逆手に持ち、目にも止まらぬ速さでスライムを切り裂いていく。
「にゃはっ! ぷにぷにしてて気持ちいいー!」
続いてルミナ。
「はぁっ! 聖炎突き(セイクリッド・スティンガー)!」
突き一発でスライムが蒸発した。核まで燃え尽きてるぞ、報酬がゼロになる!
「非効率ね」
セラフィナが杖を振るう。
「凍結」
一瞬で周囲のスライムが氷像になり、砕け散った。
……強い。強すぎる。
俺の出番など1ミリもない。
これなら安全だ。俺は木陰で昼寝でも――
ボヨヨン!!
不快な音が響いた。
見ると、森の奥から巨大な影が現れた。
通常のスライムの100倍はあるだろうか。色が違う。鮮やかなピンク色だ。
「……あれは?」
セラフィナが眼鏡を直す。
「変異種ね。『ピーチ・メルティ・スライム』。特徴は、あらゆる繊維を溶かす強力な酸を分泌すること」
「繊維を……溶かす?」
俺の脳裏に、最悪の想像が走った。
繊維を溶かす。つまり、服を溶かす。
服が溶ける。つまり、ポロリがある。
ポロリがある。つまり――
『キャッ、恥ずかしい!』
『俺は見ないようにする(紳士的行動)』
『まあ、私のために目を背けてくれたのね……ポッ(恋)』
『即・死』
――この黄金パターンだ!!
「逃げろォォォォッ!!」
俺は叫んだ。
「あれとは戦うな! 戦略的撤退だ! 今すぐにだ!!」
「師匠、何を仰いますか!」
ルミナが剣を構えた。
「民を脅かす変異種を見逃すなど、騎士の恥! 私が仕留めます!」
「やめろバカ! お前の装備は軽装なんだよ! 防御面積が少ないんだよ!」
遅かった。
ルミナは果敢にも巨大スライムに突っ込んだ。
スライムが体を波打たせ、ピンク色の粘液を噴射する。
ジュワアアアアッ!
「しまっ……!?」
ルミナの白銀の胸当てが、粘液を浴びて白煙を上げた。
金属は無事だが、それを固定していた革ベルトが溶け落ちる。
カシャン、と音を立てて鎧がズレた。
その下にある薄い布地が露わになり、さらに粘液が浸透していく。
「あ……あぅ……」
ルミナが顔を赤らめてうずくまる。
服が透けている。肌色が……見えるか見えないかの瀬戸際!
【警告。ルミナ・フレアハート、羞恥心による心拍上昇】
【「見られるかも」というドキドキと、「助けて」という依存心が混合】
【即死リスク、急上昇中】
視界が明滅する。
俺が見てしまったらアウトだ。助けに行ってもアウトだ。
「きゃー! ルミナちゃんがドロドロだー!」
ミルミルが無邪気に近づこうとする。
「行くなミルミル! お前も服が溶けるぞ! 二次災害だ!」
「興味深い……溶解液の成分を採取しなきゃ」
セラフィナが試験管を持って近づく。
「お前もだセラフィナ! 理系女子のヌルヌル展開とか需要が高すぎるんだよ! やめろ!」
どうする。
このままでは全滅(俺の社会的な死を含む)だ。
ルミナの服が完全に溶ける前に、何とかしなければならない。
俺は覚悟を決めた。
辺りを見回す。
あった。
スライムが嫌がるもの。そして、俺の好感度を最低まで下げるもの。
「うおおおおおおっ!!」
俺は近くにあった泥沼に飛び込んだ。
全身にヘドロのような泥を塗りたくる。臭い。汚い。最悪だ。
そして、泥まみれの怪物となった俺は、ルミナに向かって突撃した。
「師匠!?」
「汚物は消毒だァァァァッ!!」
俺は両手にたっぷりと泥をすくい、あろうことかルミナの全身に叩きつけた。
ベチャッ! ボトッ! グチャアッ!
「ひゃっ!?」
ルミナの悲鳴。
俺は止まらない。溶けかけた服の上から、透けそうな肌の上から、容赦なく泥を塗りたくる。
これで肌は見えない! 完璧なコーティングだ!
「汚ねぇ! 汚ねぇぞルミナ! なんだその格好は! みっともないから泥でお似合いにしてやるよ! これでオークとお友達になれるな! ガハハハハ!」
俺は悪役笑いを浮かべながら、ついでに巨大スライムにも泥団子を投げつけた。
スライムは泥に含まれる不純物を嫌がり、すごすごと森の奥へ逃げていった。
残されたのは、泥人形と化した聖騎士と、息を切らす俺。
沈黙。
鳥のさえずりだけが聞こえる。
やったか。
聖騎士たるもの、泥を塗られる屈辱には耐えられないはず。これで俺への尊敬も消え失せ――
「……ありがとうございます」
泥の中から、澄んだ声が聞こえた。
「え?」
ルミナが、泥だらけの顔で、ニッコリと微笑んだ(歯だけが白く光って怖い)。
「私の……あられもない姿を、誰にも見せないために……。自らの手を汚してまで、私を守ってくださったのですね」
「は? いや、単なる嫌がらせ……」
「わかります。普通の男なら、私の肌を見て欲情するところ。ですが師匠は、私の『尊厳』を泥でコーティングして守った。……なんて紳士的な泥なのでしょう」
泥を紳士的って言うやつ初めて見たわ!
『ピコン。ルミナ・フレアハート、好感度上昇』
『カテゴリ:「守護者」』
『心拍数、安定。ただし「泥プレイ」への新たな扉が開いた可能性があります』
新たな扉を開くな! 閉めろ! 施錠しろ!
「私も塗ってほしい」
セラフィナが真顔で泥をすくって近づいてきた。
「泥パック効果の検証よ。合理的ね」
「あたしもー! 泥遊びー!」
ミルミルが背後からタックルしてきて、俺たちは全員泥沼に沈んだ。
帰りのギルドにて。
全身泥まみれの四人組(チーム雑草)が入ってきた時、冒険者たちは恐怖で道を空けたという。
「あれが……スライムごときと死闘を演じた勇者たちか……」と。
違う。
俺が戦っていたのは、スライムではない。
「エロス」という名の死神だ。




