第4話 実験室は、ときめきの処刑台
目の前に、氷の魔女がいる。
背後には、炎の聖女がいる。
この状況を物理学的に説明すると、「挟み撃ち」であり、精神的に説明すると「詰み」である。
「セラフィナ殿。私の師匠を『サンプル』呼ばわりするとは、聞き捨てなりませんね」
ルミナが剣の柄に手をかけ、低い声で威嚇する。その体からは赤い闘気(と書いて『ヤル気』と読む)が立ち上っていた。
「非論理的ね、聖女ルミナ。貴女のその『熱量』は、冷静な判断力を鈍らせるだけよ」
セラフィナ・フロスト=ルクスは、冷ややかな視線を向けるだけだ。
だが、その眼鏡の奥の瞳は、獲物を見つけた肉食獣のように俺をロックオンしている。
「相馬ユウリ。貴方には特異な『魔力波形』と、周囲の人間を狂わせる『未確認フェロモン』の疑いがあるわ。王立研究所への同行を命じます」
「断る! 俺はこれから二度寝の時間だ!」
「拒否権はないと言ったはずよ」
セラフィナが指をパチンと鳴らす。
瞬間、地面から氷の蔦が伸び、俺の足首をガシリと掴んだ。
「うおっ!?」
「連行します」
「ちょ、待て! 拉致だ! 憲兵を呼んでくれー!」
俺の体はズルズルと引きずられていく。
ルミナが「師匠ォォッ!」と叫んで飛び出そうとしたが、セラフィナが生み出した氷の壁に阻まれた。
「師匠! 今助けますからね! この壁を溶かすまで、そこで耐えてください!」
「溶かす前に俺が凍るわ!」
俺の悲鳴は虚しく遠ざかり、気付けば視界が反転していた。
◇
目が覚めると、そこは白一色の部屋だった。
薬品の匂い。
無機質な機材。
そして、俺はなぜか手術台のようなベッドに、魔法の拘束具で固定されていた。
「目が覚めた?」
白衣を纏ったセラフィナが、上から覗き込んでくる。
近い。
整いすぎた顔立ち。透き通るような肌。
彼女は俺の顔をまじまじと観察し、手元のボードに何かを書き込んだ。
「覚醒後の瞳孔反応、正常。心拍数、やや上昇気味。……恐怖を感じているの?」
「当たり前だ! いきなり拘束されて喜ぶのは一部の特殊な趣味の奴だけだ!」
「安心して。解剖は最終手段よ。まずは非侵襲的な実験から始めるわ」
さらっと「解剖」という単語が出たぞ今。
「実験1。精神干渉の検証」
セラフィナは無表情で告げると、突然、ベッドの横に手をつき、顔を近づけてきた。
いわゆる、床ドン(ベッドだけど)の体勢だ。
「……な、何をする気だ」
「文献によると、異性が至近距離で視線を交わすと、脳内に恋愛物質が分泌され、判断能力が低下するというわ。通称『吊り橋効果』の応用ね」
「それを実験でやる奴があるか!」
「静かに。データを取っているの」
彼女の顔が、さらに近づく。
吐息がかかる距離。
彼女の瞳に、俺の間抜けな顔が映っている。
――マズい。
俺の『愛、即、死。』レーダーが反応し始めた。
この女、今は「実験」という名目で理性を保っているが、その境界線は非常に脆い。
「ふむ……不思議ね」
セラフィナが首を傾げる。
「対象を見ていると、私の心拍数まで上昇している。計算では、私は常に冷静であるはずなのに」
『警告。対象:セラフィナ。論理回路にノイズ発生』
『「なぜ彼が気になるのか?」という問いが、「恋」という答えに収束しようとしています』
やめろ! その計算式を解くんじゃない!
解が出た瞬間に、お前の心臓がエラーを起こして止まるぞ!
「この熱……この胸の圧迫感……。もしかして、これが未知のウイルスによる感染症?」
「そうだ! 風邪だ! インフルエンザだ! 離れろ、伝染るぞ!」
「いいえ。病理学的な症状とは異なるわ。もっと、こう……衝動的な……」
セラフィナの瞳が、とろんと潤み始めた。
頬に朱が差す。
氷の魔女が、雪解けのように熱を帯びていく。
「もっと、貴方のことを知りたい……奥深くまで……」
『ピコン。即死判定、準備完了。カウントダウン5……4……』
くそっ、このままじゃ「実験中の事故」として処理されちまう!
俺は拘束された手足をもがき、必死に叫んだ。
「――ママァァァァァーーッ!!」
実験室に、俺の幼児退行した絶叫が響き渡った。
「……はい?」
セラフィナの動きが止まる。
「ママ! 僕、おしっこ漏れそう! トイレ! ママ抱っこ! オムツ替えてぇぇぇ!」
俺は白目を剥き、よだれを垂らしながら、全力で幼児のフリをした。
いや、幼児というか、ただの不審者だ。
「クールでミステリアスな実験体」というイメージを、原子レベルで粉砕する。
セラフィナが、さっと身を引いた。
彼女の瞳から熱っぽい光が消え、代わりに「困惑」と「軽蔑」が浮かぶ。
「……貴方、精神年齢が退行しているの?」
「バブー! バブバブ! おっぱい欲しいー!」
「……理解不能」
セラフィナは眼鏡の位置を直し、深くため息をついた。
「どうやら、貴方の脳には深刻なダメージがあるようね。あるいは、極度のストレスによる錯乱……」
『ピコン。即死判定、解除』
『対象の感情が「恋」から「哀れみ」へ移行しました』
助かった……。
社会的な尊厳と引き換えに、俺は命を守り抜いたのだ。
「興味深いわ」
しかし、セラフィナは部屋を出ていかなかった。
むしろ、メモを取りながらブツブツと呟き始めた。
「通常の人間なら、プライドが邪魔をしてここまでの演技はできない。……まさか、これは私を油断させるための高度な撹乱戦術?」
「えっ」
「そうね。私の『観察』から逃れるために、あえて最も非合理的な行動を取った。つまり貴方は、常人の理解を超えた『演算能力』を持っているということ……!」
なんでそうなるんだよ!
俺はただのバブちゃんプレイをした変態だぞ!?
「素晴らしいわ、相馬ユウリ。貴方の思考回路、ますます解き明かしたくなった」
セラフィナが不敵に笑う。
その瞳の奥にある光は、先ほどまでの「恋の熱」とは違う、「マッドサイエンティストの狂気」に変わっていた。
……どっちにしろ危険だ!
ドォォォォォン!!
その時、実験室の壁が爆散した。
粉塵の中、炎を纏った聖剣を構えたルミナが現れる。
「師匠ォォッ! ご無事ですか!」
「ゲホッ……ルミナ!?」
「遅くなりました! 氷の壁を溶かすのに手間取りまして! さあ、悪しき魔女の手から逃れましょう!」
ルミナが俺の拘束具を剣で叩き切る。
自由になった俺の手を引く彼女。
しかし、セラフィナが立ちふさがる。
「待ちなさい。実験はまだ終わっていないわ」
「どきなさい、魔女殿。師匠は『バブー』という謎の呪文を唱えて助けを求めていた! これ以上の無礼は許しません!」
聞こえてたのかよ!
ていうかそれを「謎の呪文」と解釈するな!
「行くぞ、師匠!」
「ちょ、待て、靴! 靴履かせろ!」
俺はルミナに引きずられ、半壊した研究所から脱出した。
背後では、セラフィナが壊れた壁の前に立ち尽くし、熱のこもった瞳でこちらを見送っていた。
「逃がさないわ。……私の計算を狂わせた責任、取ってもらうから」
こうして、俺の王都生活における「安全地帯」は、完全に消滅した。
理系の魔女と、体育会系の聖女。
二つの災厄に挟まれた俺の明日は、どっちだ。




