第3話 同室宿泊は、心停止へのカウントダウン
冒険者にとって、宿選びは命に関わる。
セキュリティ、清潔さ、食事の質。普通ならそれらを重視するだろう。
だが、俺の基準は違う。
1.壁が薄く、隣のいびきが丸聞こえであること(ロマンチックな雰囲気にならない)。
2.布団がカビ臭いこと(清潔感は恋の温床)。
3.主人が無愛想であること(フラグ回避)。
王都の下町、路地裏の吹き溜まりにあるボロ宿『ドブネズミ亭』。
こここそが、俺の選んだ城だ。
「……よし。ここなら聖騎士様なんて高貴な存在は寄り付かない」
ギプスのように固いベッドに腰を下ろし、俺は深く息を吐いた。
今日の成果は散々だった。
嫌われるためにやったカツアゲが「高潔な教え」と解釈され、聖女ルミナに「師匠」呼ばわりされた。
だが、さすがにこのボロ宿までは追ってこれまい。あのお嬢様には、このカビと埃の匂いは耐えられないはずだ。
コン、コン。
控えめだが、芯のあるノックの音が響いた。
「……ルームサービスは頼んでないぞ」
「私です、師匠。ルミナです」
終わった。
なんでバレたんだ。GPSでも埋め込まれてるのか。
「か、帰れ! 俺は今、全裸で瞑想中だ!」
「失礼します」
ガチャリ。鍵をかけていたはずのドアが、いともたやすく開けられた。
聖騎士の怪力、ナメてた。
ルミナが入ってきた瞬間、狭くて薄汚い部屋の空気が一変した。
彼女が放つ「清廉潔白オーラ」が、部屋の汚れを浄化していくようだ。
彼女は部屋を見渡すと、眉ひとつ動かさずに言った。
「さすが師匠。これほど劣悪な環境に身を置き、常に精神を鍛えられているとは」
「違う。金がないだけだ」
「ご謙遜を。私が渡した金貨があれば、王城にすら泊まれるはず。それをあえて使わず、民草の暮らしを知ろうとする姿勢……感服いたしました」
ダメだ、会話が通じない。
俺は頭を抱えた。
「で、何の用だ。サインなら書かないぞ」
「護衛です」
「は?」
「師匠は命を狙われるほどの実力者。就寝中の隙を、私が守ります」
ルミナは当たり前のように部屋に入り、鍵を閉め、ドアの前に仁王立ちした。
狭い。
四畳半くらいのスペースに、男と女。しかも美女。
窓の外からは、酔っ払いの喧嘩の声が聞こえるが、室内は奇妙な沈黙に包まれている。
――マズい。
俺の野生の勘が警鐘を鳴らした。
「密室」「男女」「夜」。
ラブコメにおけるスリーアウト満塁の状況だ。
「……師匠。背中の鎧、外していただけませんか? リラックスしてください」
「断る。これは俺の皮膚だ」
「無理をなさらないでください。……あ、汗をかいていますね。拭きましょうか?」
ルミナが一歩近づく。
ハンカチを取り出し、俺の額に手を伸ばす。
その顔には、慈愛という名の猛毒が満ちている。
【警告。対象との距離、危険域に突入】
【「甲斐甲斐しい世話」イベント発生中】
【このまま身体接触した場合、好感度が「母性」から「恋慕」へ変質する確率98%】
視界が赤く点滅する。
ドクン、ドクンと俺の鼓動も早くなる。
ルミナの頬がわずかに赤い。「師匠の世話ができるなんて……」とか考えているのが丸わかりだ。
殺してなるものか!
俺はハンカチを避け、ベッドの上で奇声を上げた。
「キェェェェェイ!!」
ルミナがビクッとして固まる。
「し、師匠……?」
「触るな! 俺の身体には『触れた者を3日でハゲさせる呪い』がかかっている!」
「……えっ?」
「強力な呪いだ! 俺の汗一滴で、お前のその綺麗な赤髪もツルッパゲだぞ! それでもいいなら拭け!」
どうだ。年頃の娘にとって、死よりも恐ろしい「ハゲ」の脅威。
これでドン引きして帰るはず――
ルミナは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに決意の表情で頷いた。
「構いません」
「はぁ!?」
「髪など、また生えます。ですが、師匠の疲れを癒やす機会は今しかありません。私の髪と引き換えに師匠が安らげるなら、本望です!」
重い!
愛が重いよ聖女様!
しかも一歩踏み込んできた!
【警告。致死性判定、レッドゾーン。心停止まで残り5秒】
死ぬ死ぬ死ぬ!
彼女の献身がリミットを越えようとしている。
「寝る!」
俺は叫んだ。
「俺はもう寝る! だがベッドでは寝ない! 俺の流儀はこれだ!」
俺はベッドから飛び降り、床に這いつくばった。
そして、部屋の隅にあるゴミ箱(空っぽだが汚い)を頭から被った。
「俺は『ゴミ箱のポーズ』でしか熟睡できないんだ! これぞ究極のヨガ! お前も真似できるか!? できないなら未熟者め、床で正座して反省しろ!」
完全に奇行だ。
聖騎士が見るべき姿ではない。
ゴミ箱を被った男。これに恋する女がいたら連れてこい。
沈黙。
長い沈黙。
ゴミ箱の中で、俺は己の呼吸音だけを聞いていた。
さすがに幻滅したか? 「変態」と罵って出ていったか?
「……わかりました」
隣で、衣擦れの音がした。
「これが、常識を捨てるための修行……『ゴミ箱のポーズ』……」
ガサゴソ。
ルミナが、部屋の隅にあったもう一つのボロ布(雑巾)を頭に乗せた気配がした。
そして、俺の隣で同じように床に這いつくばった。
「師匠と同じ景色を見ます。おやすみなさい、師匠」
【ピコン。好感度変動なし。カテゴリ『狂信』へ移行】
【即死リスク、一時的に低下】
低下したけど!
隣に女子がいる状態で、ゴミ箱被って寝る夜って何だよ!
結局、俺はその夜、一睡もできなかった。
隣からはルミナの規則正しい寝息と、時折聞こえる「師匠……素敵……」という、心臓に悪い寝言が聞こえ続けたからだ。
◇
翌朝。
目の下にクマを作った俺と、なぜか肌ツヤの良いルミナは宿を出た。
ゴミ箱睡眠のおかげか、彼女は「何かを掴みました」とスッキリした顔をしている。何を掴んだんだ。
「さて、今日はどうしますか、師匠?」
「俺は一人になりたい」
「では、お一人の時間を私が全力でお守りします」
会話にならないキャッチボールをしながら、大通りに出た時だ。
周囲の空気が、急激に冷え込んだ。
キィィィィィン……。
季節外れの霜が、石畳を覆っていく。
通行人たちが寒さに身を震わせ、道を開ける。
その先に立っていたのは、一人の女性だった。
腰まで届く銀髪。
理知的な光を宿す、眼鏡と青い瞳。
王都の大魔導士、セラフィナ・フロスト=ルクス。
彼女はまっすぐに俺を見ていた。
いや、俺を通り越して、俺の「心臓」あたりを見ているような、解剖学的な視線だ。
「見つけたわ、サンプルA」
セラフィナがコツコツと歩み寄ってくる。
ルミナが瞬時に反応し、剣の柄に手をかけた。
「セラフィナ殿。私の師匠に対し、その無礼な呼び方は何ですか?」
「師匠? 非論理的ね。その男の魔力値は平均以下。剣技も自己流。あなたが師と仰ぐ要素はデータ上存在しない」
セラフィナは淡々と言い放ち、俺の目の前で足を止めた。
そして、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「相馬ユウリ。貴方に『共同研究』の申し込みをします」
「……お断りします」
「拒否権はないわ。なぜなら」
彼女は眼鏡をクイッと押し上げ、口元だけで笑った。
「貴方が『恋されると困る』理由……私が暴いてあげるから」
ドキリとした。
こいつ、気づいてやがるのか?
ルミナとは違うベクトルで、この女は危険だ。
【警告。新規ルート発生】
【セラフィナ・フロスト=ルクス。攻略難易度(即死回避難易度):SSS】
【「好奇心」は「猫」を殺すといいますが、この場合、「研究心」が「俺」を殺します】
聖女の次は、魔女。
俺の安眠は、今日もゴミ箱の中ですら訪れそうにない。




